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米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 帝国陸軍戦法マニュアルのすべて
 [歴史・地理・民俗]

米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 帝国陸軍戦法マニュアルのすべて

一ノ瀬俊也/著
出版社名 : 文藝春秋
出版年月 : 2012年7月
ISBNコード : 978-4-16-375480-2
税込価格 : 1,680円
頁数・縦 : 329p・19cm

 
■卑怯は弱者の常套手段
 米陸軍が1945年8月に刊行した対日戦用マニュアル『卑怯な一発 日本軍の策略、欺騙戦術、対人攻撃法』(The Punch below the Belt: Japanese Ruses, Deception Tactics, and Antipersonnel Measures)を中心に据えて、太平洋戦争における日本軍の戦闘法のある一面を論じる。それは、米国軍が「卑怯者」というレッテルを張った戦い方である。
 「卑怯な」とは、夜襲や、地雷、みせかけの戦車・大砲、撤退後の家屋などに仕掛けられた爆弾、民間人のふり、死んだふりなど、さまざまな欺騙戦術を指す。しかし、これらは言わば弱者共通の戦法で、日本軍は太平洋戦争に先立つ日中戦争において中国軍から学んだのではないかと、本書の著者は推測する。太平洋戦争末期、正攻法では状況打開が困難となり、万策尽きた日本軍がとった捨て身の戦法だったというわけだ。中国軍も、大陸で日本軍に圧倒的に攻め込まれながらも最後は踏みとどまったのも、上記のような欺騙戦術を展開したからである。
 また、相手の「卑怯」ぶりを喧伝し、憎悪感と偏見を自軍の兵士たちに植え付けることが、米軍兵士の士気を高める重要な方法でもあった。相手を動物視する風刺画なども効果的な手法だが、戦訓マニュアルも、ある種の客観性と説得力を与えて悪意を高める増幅装置として役立った。そのために、戦時中には大量の戦訓マニュアルが制作され、将兵たちを洗脳していったのだ。本書では、『卑怯な一発』以外にも、日本製、米国製の数多くのそうしたマニュアル類が紹介されている。
 もちろん、戦略、戦術を一兵卒に至るまで徹底し、一丸となって戦争に勝つためにも必要なものだったのだろう。しかし、それだけではなく、相手を侮辱し、兵士たちに憎悪感を培うために積極的に活用された事例を徹底的に本書で挙げている。
 戦争というものの意外な面を知ることのできる1冊である。

【目次】
第1章 アメリカ軍の見た日本軍「対米戦法」の全貌
 これが君の敵だ
 策略のかずかず
  ほか
第2章 日本軍「対米戦法」の歴史1―中国戦線編
 日中戦争期の日本陸軍歩兵戦法
 陸軍は火力軽視ではない
  ほか
第3章 日本軍「対米戦法」の歴史2―南方戦線編
 戦前の日米相互評価
 英米軍が緒戦で得た「戦訓」
  ほか
第4章 日本軍「対米戦法」の主力兵器―地雷・仕掛け弾爆
 「手榴弾が一番好い」
 優秀な中国軍手榴弾
  ほか

【著者】
一ノ瀬 俊也 (イチノセ トシヤ)
 1971年福岡県生まれ。九州大学大学院博士後期課程中退、博士(比較社会文化)。国立歴史民俗博物館助教を経て、埼玉大学教養学部准教授。

【抜書】
●自軍の手榴弾(p15)
 『卑怯な日本軍』のようなマニュアルが作られた背景……米軍兵士の練度低下。
 以下、第一海兵師団第五連隊の兵士ユージン・B・スレッジ『ペリリユー・沖縄戦記』による。
 沖縄でのある夜の戦闘中、自軍内に米国製手榴弾の破裂音が聞こえ始めた。〔はじめは日本兵が自軍の手榴弾を盗んだと思っていたが、そのうちに「補充兵全員に手榴弾の正しい使用法を理解させよ」という命令が伝わってきた。新兵の一人が、弾薬箱から手榴弾をキャニスター(容器)ごと出し、封印テープをはがしただけでそのまま投げていたため、日本兵が安全ピンを抜いて投げ返してきたのだった。〕

●自決(p140)
 陸軍では、将校は「捕虜になるくらいなら自決せよ」という方針であった。
 将校の士気引き締めの一環。満州事変で、経験不足の在郷将校を招集して戦場での指揮にあたらせざるを得なかった。このような下級幹部の軍事能力、士気に対する不信感から出た方針。
 兵に対しては、『歩兵操典草案』(1937年)には自決せよとは明記されていない。「若(もし)弾薬を射尽し又は敵の重囲に陥りたるときには自己の銃剣に信頼し最後の勝利を求むることに勉むべし」

●便衣隊(p142)
 民間服をまとったゲリラ部隊。上海事変(1932年)、南京事件(1937年)などで暗躍。
 南京事件では、便衣隊と民間人との区別がつかず、無差別に殺害したことも大量虐殺の原因となった。

●手榴弾(p225)
 手榴弾を発明したのは、日露戦争時の日本軍?
 〔旅順で露軍と肉弾戦を繰り広げるなかで、最初は石を投げていたが代わりに爆弾を投げてはという話になり、薬筒(砲弾の発射薬を詰める容器)に導火線を付け点火して投げてみたら「意外に爆破力が偉大で」両軍とも多用するようになった。のちに爆破力増大のため空罐や鉄罐に爆薬を詰めた(鍋島五郎〈陸軍工兵中佐〉『旅順戦話 白玉山にささぐ』)。〕
 列強の軍隊がこぞって使い出したのは、第一次大戦の塹壕戦以降。

●捕虜(p301)
 「捕虜になったら死ね」と言われただけで、捕虜としての身の処し方を教育されなかった日本軍の将兵は、米軍の巧妙な尋問を受けて自軍の機密情報を実に“協力的に”しゃべってしまった。
 地雷の位置や用法に関する情報など。

●サック(p310)
 ブーゲンビル島に敗戦までいた第十七軍司令官・神田正種中将の回想録。野砲兵第六連隊の中隊長(大尉)に手榴弾などを作らせた。
 〔手榴弾は導火線が湿るので一時だめになりかけたが、野戦病院に山積みされていたサックで防湿したところ性能がよく、第一線からも好評であった。〕
 サック=コンドーム。南方に転戦するにあたり、将兵の花柳病を防ぐために上海中の薬屋から買い占めたものが、数万個もあった。
〔 神田に従えば、帝国陸軍最後の敢闘を支えた特殊兵器はコンドームだったことになる。〕

(2012/11/10)KG

〈この本の詳細〉


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