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三宅島流人小金井小次郎
 [歴史・地理・民俗]

三宅島流人 小金井小次郎

下村昇/著
出版社名 : 勉誠出版
出版年月 : 2000年5月
ISBNコード : 978-4-585-09024-3
税込価格 : 1,890円
頁数・縦 : 254p・20cm


 小金井に生まれた幕末維新の大親分、小金井小次郎の伝記であり、三宅島流人史。

【目次】
第1章 一片の流人在命帳から
第2章 流人哀史の島・伊豆諸島と三宅島
第3章 小金井小次郎とその生い立ち
第4章 流人配流までの経緯
第5章 三宅島での小次郎
第6章 三宅の水事情と小次郎井戸
第7章 大政の奉還と赦免後

【著者】
下村 昇 (シモムラ ノボル)
 1933年、東京都生まれ、東京学芸大学卒業。「現代子どもと教育研究所」所長。漢字・国語教育のほか、子供の教育全般にわたり活躍中。文字指導における「口唱法」の創出者としても有名。

【抜書】
●芋焼酎(p85)
 火山の島、三宅島にサツマイモが移植されたのは享保20年(1735)。徳川吉宗の肝入り。大島に10個、三宅島・八丈島に5個ずつ配られた。
 飢餓対策。サツマイモは青木昆陽が進言した救荒食物。それまで、三宅島では麦、粟、里芋が主食だった。
 三宅島の「地酒」芋焼酎を始めたのは、九州から送られてきた配流者、丹宋庄右衛門、42歳。島津藩の御用商人として回送問屋を営んでいた。藩の財政再建のため、密貿易。
 嘉永6年(1853)、禁制品を積んで江戸に向かったが捕まり、八丈島遠島の刑に。悪天候のため、三宅島で下船させられ、神着村に仮泊。波の穏やかな春秋の2回しか廻船は来ない。
 郷里阿久根の芋焼酎の製法を村人に伝授。

●関小次郎(p110)
 小金井小次郎、1818-1881。本名は関小次郎。武蔵国多摩郡下小金井村(現在の小金井市中町)鴨下の関家6代目勘右衛門の次男。長男は虎之助。
 関家、代々、割元名主を務めた家柄。北条の家臣津久井郡根古屋の城主・鴨下出雲から出ている。享保(1716-1736)から元文(1736-1741)のころに川崎平右衛門のもとで、関野新田を開発して功績を残した下小金井村の名主・関勘右衛門(鴨下家の次男。関家を興す)の後裔。(『多摩の人物史』武蔵野郷土史刊行会刊)
 割元名主……数か村の庄屋・名主を支配。年貢の割り当て、訴訟の調停などに当たる。村役人の最上位。別名、大庄屋。ちなみに、庄屋は主に関西での呼称、名主は関東での呼称。
 天保9年(1831)、小次郎、親の金を持ち出したという理由で勘当。数え年14歳で無宿者に。

●6代目勘右衛門(p111)
 小次郎の父親。小金井に桜を植樹。小金井桜。

●関綾次郎(p111)
 小次郎の曾孫。小金井市の2代目市長。

●藤屋の万吉親分(p111)
 府中の顔役、藤屋の万吉親分。小次郎の器量を見抜き、目をかけてかわいがった。
 天保14年(1844)、捕らえられて遠島。跡目を小次郎が受け継ぎ、勢力を埼玉、神奈川辺りまで広げる。(p125)

●国定忠治(p113)
 旅の途中の国定忠治一行に、万吉親分が金をせびられたとき、小次郎が啖呵を切って断ったことで、忠治に認められる。講談本に出ている話。(皆木繁宏『小金井小次郎伝』小金井新聞社)

●二塚明神前の大喧嘩(p117)
 二塚明神……現在の小平市内。
 天保11年(1841)、小次郎23歳。相手は堀端の親分こと田折の与惣兵衛、小川の幸蔵(幸八とも)、平五郎など。先手を打って殴り込み。双方に死者も出た。
 喧嘩の後、出奔して甲州、草津を渡り歩く。
 弘化元年(1844)、房州で捕らえられ、佃島(石川島)の寄場に入れられる。

●新門辰五郎(p126)
 小次郎が佃島(石川島)の人足寄場で服役中に出会う。町火消十番組の頭取と浅草奥山の香具師・大道商人の取り締まりを兼ねる侠客。義兄弟の契りを結ぶ。
 弘化3年(1846)正月、本郷丸山で出火した火事が佃島(石川島)の寄場を襲った際、辰五郎と協力して寄場への飛び火を防ぎ、油倉を死守する。おかげで二人は特赦を得る。小次郎28歳。

●万吉親分の跡目(p130)
 赦免後、堅気になろうとしたが、周りが許さず、博徒に逆戻り。藤屋の万吉親分の跡目を継ぎ、武州一円(現在の三多摩地区)と相州(神奈川県)にまたがって3000人の身内を持つ大親分に。
 安政2年(1855)、37歳、八王子で相撲の興行中、捕吏に捕らえられて小伝馬町の牢に。
 安政3年4月、三宅島に配流。島内5か村のうち、伊豆村に村割りされる。浄土宗・高麗山普済院の境内にある隠居所が住まいとなる。

●芝居の上演(p194)
 伊豆村の中心地、別当原に舞台を組み、芝居の上演を行う。みずから脚本を書き、出演。娯楽の少ない村人たちの楽しみとなる。

●小次郎井戸(p215)
 小金井井戸とも言う。曽里川(伊豆川)の水を貯める貯水槽を別当原に作る。縦十数メートル、横7メートル余、深さ2メートル。
 曽里川、水をたたえる川ではなく、雨が降ったときに水が山を下って流れる「沢」。
 流人の子分たちが穴を掘り、海岸から石を運んだ。目地には貝の焼き灰と漆喰を使った。

●赦免(p226)
 慶応4年(1868)5月6日、大政の奉還による赦免。「水汲」のゆりを連れて江戸へ。博徒の大親分に戻る。

●炭焼き事業(p230)
 明治7年(1874)、若い子分を連れて三宅島に渡る。普済院七世俊道師から20両の借金をして、神着村鴨下山で椿炭の生産を始める。
 炭焼き事業は、同年7月の大噴火(東郷噴火)のために失敗に終わる。

●清水次郎長(p235)
 清水の次郎長こと山本長五郎、1820-1893。小次郎と義兄弟の契りを結ぶ。
 23歳の時、人を斬り、子分三人を連れて旅に出る。
 戻ってきた後、万延2年(1861)、都田吉兵衛を駕籠屋に急襲してたたき斬る。再び旅へ。
 小次郎に、留守をしっかり守ってくれる子分を借りる。
 明治元年、48歳、東海道総督府判事になる。その後、新政府の東海道探索方。
 囚人を使役して富士の裾野の開墾。汽船を建造して清水港発展の糸口を付ける。

●小次郎の墓(p241)
 小金井市中町、先祖代々の墓地。戒名「大雄院至精充徳居士」。山岡鉄舟の筆による碑銘。
 還暦を迎えた折に酒をやめ、「人間、酒と女を嫌えば生きた金が使える。俺は気がつくのが遅かった。」

●沼崎吉五郎(p147)
 沼崎吉五郎……吉田松陰が収監された伝馬町の牢の牢名主だった。婦人殺人を犯して収監されていた武士。
 牢内で松陰の教えを受ける。門下生に書き遺した最後の指導書(遺言)「留魂録」を託された。
 安政6年(1859)11月、三宅島に配流。
 江戸が東京と改称された明治7年、赦免。2年後、当時神奈川県令だった野村靖(松陰門下生)を訪ね、「留魂録」を渡す。明治24年、「留魂録」は野村によって山口県萩市の松陰神社に納められる。
 沼崎は、野村に「身の立つように配慮する」と言われたが、その後の消息は分からない。

(2012/11/17)KG

〈この本の詳細〉


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コメント 2

Sanchai

ご紹介ありがとうございます。小金井小次郎のお墓は、お彼岸のお墓参りでいつもその前を通っていたので、ずっと気になっていました。こんな本があるのなら、読んでみたいです。
by Sanchai (2013-06-08 01:09) 

嶋之助

正直言って皆木繁宏氏の労作『小金井小次郎伝』をそのまま抜粋しただけの本という印象しかありません。これをオリジナルと言いはって出版などして良いのだろうか、とすら思えます。
本書の存在によって入手困難な皆木氏の著書が、今後更に片隅に追いやられてしまうことをただただ恐れます。
by 嶋之助 (2013-06-18 00:46) 

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