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武蔵野の歌が聞こえる
 [文芸]

木村快/著
出版社名 :特定非営利活動法人・NPO現代座
出版年月 :2015年6月
ISBNコード :
税込価格 :1,000円
頁数・縦 :111p・21cm

 「武蔵野の歌が聞こえる」という芝居を、市民ボランティアとともに造り上げた経緯と、その過程で調べた川崎平右衛門の事績を解説。

【目次】
武蔵野の歌が聞こえる《ものがたり》
 1 宝永大地震と享保の改革
 2 困難な新田開発
 3 一難去ってまた一難
 4 新田開発は可能か
 5 協同の村
 6 さくら咲く村
芝居は心の街おこし
 1 芝居は心の街おこし
 2 素人の目で江戸の歴史を見つめる
 3 心の街おこしドラマを

【著者】
木村快 (キムラ カイ)
 1936年、朝鮮・大邱府生まれ。NPO現代座代表。

【抜書】
●幕府の記録(p71)
〔 幕府側の記録では農民出身の平右衛門が武蔵野新田開発を成功させ、美濃国(岐阜県)で水害に悩む長良川流域の治水をやり遂げ、さらに出雲国(島根県)銀山奉行として老朽化した鉱山の改革を進めて銀の産出量を倍化させ、全国の銀山を統括する銀山奉行となり、併せて幕府の財政を監査する勘定奉行目付けになって、74歳で没したことがわかる。〕

●8代目(p74)
 川崎平右衛門定孝、幼名辰之介。川崎家は、代々平右衛門を名乗り、定孝は8代目。
 川崎家は、後北条家家臣の末裔。豊臣秀吉の小田原征伐で敗北、押立村に移住。小金井の名家・関一族も同様。
 押立村は多摩川洪水で村が二分された歴史を持ち、川崎家は水害対策の役割を担っていた。

●新田世話役(p88)
 「小金井お救い米くばり」が平右衛門の采配で大きな成果を収め、幕府より銀10枚の褒美と名字帯刀を許され、川崎平右衛門と名乗ることになる。
 元文4年(1739)8月、平右衛門、大岡忠相の要請により、武蔵野新田世話役となる。
 当時、82か村1,320軒余りのうち、どうにか生活できる出百姓(移住してきた百姓)は35軒。自力で営農できる家は9軒。

●武蔵野新田の協同システム(p89)
 畑養料(はたけやしないりょう)……幕府から5,360両を借り入れ、年利1割で商人に貸し付け、利息を稼ぐ。農閑期に最安値の肥料を購入して備蓄。百姓に貸し与える。収穫した雑穀を、商人を通さず、市場価格の2割高で買い取り、有利な時期を見計らって売却。余った雑穀は、食料に困ったときの百姓に支給。
 芝地開発料……開墾地の6割で栽培された収穫は百姓の取り分。安い肥料を十分に使わせ、二毛作。残りの4割の畑は代官所のために商品作物として薬草を栽培させる。薬草を売却した収入は代官所の開発資金にあて、幕府からの開発費支給を不要に。独立した自治体としての機能を備える。代官所の蓄えは、10年足らずで700両に。
 ヒエの備蓄……飢餓対策として、収穫物の1割に当たるヒエを代官所に備蓄させる。ヒエは30年間保存できる。3年間凶作を受けずに済めば、最初の1年分を江戸の市場で売却、その収入をそれぞれの村に分配。

●武蔵野新田の協同システム(p93)

●川崎平右衛門略年表(p109)
 1694年(元禄7) 平右衛門出生。
 1707年(宝永4) 10月 宝永大地震。49日後、富士山大噴火。
 1723年(享保8) 平右衛門、押立村名主となる。武蔵野新田開発令が出る。
 1732年(享保17) 西日本で享保の大飢饉。
 1735年(享保20) 平右衛門、多摩川用水路修復工事請負。その仕事に幕府が注目。
 1737年(元文2) 平右衛門、武蔵野新田に栗林を仕立てる。
 1739年(元文4) 武蔵野新田連続大凶作、餓死者発生。平右衛門、お救い米配り。南北武蔵野新田場世話役となる。
 1743年(寛保3) 支配勘定格(実質的な代官)となる。
 1749年(寛延2) 平右衛門、美濃国の本田(ほんでん)代官となる。
 1762年(宝暦12) 平右衛門、石見国大森代官となり、銀鉱山を復活させる。
 1767年(明和4) 平右衛門、勘定吟味役兼諸国銀山奉行となる。江戸で病没(74歳)。

(2015/11/27)KG


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日本の童貞
 [歴史・地理・民俗]

日本の童貞 (河出文庫)

澁谷知美/著
出版社名 :河出書房新社(河出文庫 し23-1)
出版年月 :2015年6月
ISBNコード :978-4-309-41381-5
税込価格 :875円
頁数・縦 :292p・15cm


 女性社会学者による童貞論。2003年5月に刊行された文春新書の文庫版。1997年1月に東京大学大学院教育学研究科に提出した修士学論文「青少年のセクシュアリティをめぐる言説――一八八〇~一九九五年日本、男子篇」に大幅加筆・修正。

【目次】
第1章 「新妻にささげる贈り物」としての童貞―一九二〇年代の学生たち
第2章 童貞のススメ―男の性の問題化と医療化
第3章 貞操の男女平等の暗面―「花柳病男子拒婚同盟」への反応
第4章 女の童貞、男の童貞―「童貞」という言葉の変遷
第5章 「恥ずかしいもの」としての童貞―戦後の雑誌言説
第6章 シロウト童貞というカテゴリー―「恋愛の自由市場」の一側面
第7章 「やらはた」の誕生―童貞喪失年齢の規範化
第8章 マザコン・包茎・インポ―童貞の病理化
第9章 「童貞は見てわかる」―童貞の可視化
第10章 童貞の復権?

【著者】
澁谷 知美 (シブヤ トモミ)
 1972年、大阪市生まれ。社会学者、東京経済大学准教授。専門は男性のセクシュアリティの社会史。

【抜書】
●筆おろし(p46)
 筆おろし、ヒラキ……精通期の男性をつかまえて、初体験をさせること。一部の農村・漁村で行われていた。
 筆おろしの相手は、共同体が近所のおばさんや遠い親戚の女性から選択するか、相手をつとめる女性が「あんたも年頃だからヒラいたらどうぢやろ」と声をかけるかして決まる。高倉薫「童貞開きの伝習奇習」『犯罪科学』1930年10月号、p.179より。
 筆おろしを済ませた少年たちは、「若者組」に入り、年上から共同体のルールを教わる。
 未婚女性には、「娘組」があり、筆おろしのかわりに「破瓜(はか)」がある。

●聖母マリア(p108)
 童貞は、女性のことも指す。特にカトリック教の世界では、1970年代まで用いられていた。 
 「聖母マリア」をさす用法もある。アンドレ・ブルトン&ポール・エリュアール『童貞女受胎』(山中散生訳、ボン書店、1936年)。のちに『処女懐胎』と訳される。和辻哲郎「童貞聖母」(1923年)は、聖母マリアに関する小論。

(2015/11/27)KG

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戦後日本の宗教史 天皇制・祖先崇拝・新宗教
 [哲学・心理・宗教]

戦後日本の宗教史: 天皇制・祖先崇拝・新宗教 (筑摩選書)
島田裕巳/著
出版社名 :筑摩書房(筑摩選書 0116)
出版年月 :2015年7月
ISBNコード :978-4-480-01623-2
税込価格 :1,836円
頁数・縦 :328p・19cm

 戦後日本の宗教を、天皇制、祖先崇拝、新宗教という3つのキーワードで読み解く。
 天皇制の変容で国家神道が否定され、戦後の社会の変化によって数々の新宗教が生まれてきた背景を解説する。

【目次】
Ⅰ 敗戦と混乱期
 第1章 敗戦によって国家神道体制はどう変容したのか
 第2章 『先祖の話』のもつ意味
 第3章 敗戦が生んだ新宗教
 第4章 宗教をめぐる法的な環境の転換

Ⅱ 高度経済成長と変化する戦後の宗教
 第5章 戦後の天皇家が失ったものとその象徴としての役割
 第6章 創価学会の急成長という戦後最大の宗教事件
 第7章 創価学会の政治進出と宗教政党・公明党の結成
 第8章 靖国神社の国家護持をめぐる問題
 第9章 戦後における既成仏教の継承と変容

Ⅲ 高度経済成長の終焉と宗教世界の決定的な変容
 第10章 政教分離への圧力 その創価学会と靖国問題への影響
 第11章 オイル・ショックを契機とした新新宗教概念の登場
 第12章 靖国神社に参拝しなくなった昭和天皇の崩御
 第13章 創価学会の在家主義の徹底と一般社会の葬儀の変容
 第14章 オウム真理教の地下鉄サリン事件

【著者】
島田 裕巳 (シマダ ヒロミ)
 1953年、東京に生まれる。宗教学者・作家・東京女子大学非常勤講師。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術センター特任研究員などを歴任。

【抜書】
●PL教団(p68)
 正式名称は、「パーフェクト・リバティー教団」。宗教法人の認証を受ける際、アルファベットを使うことが認められていない。
 戦前の名称は、「ひとのみち教団」。教祖は、御木徳一(みきとくはる)。黄檗宗で得度したが、貧乏寺の住職にしかなれず、生活が困窮、僧籍を離れる。教派神道の一派、御嶽教(おんたけきょう)に属していた徳光教会の開祖、金田徳光と出会い、その元で活動。徳光は、山伏として修行した民間宗教家。神仏混交。
 1919年、徳光の死後、そのあとを継ぎ、25年に御嶽教徳光大教会本部を設立。
 1928年、御嶽教から扶桑教(富士山信仰)に移る。どちらも山岳宗教。
 1931年、扶桑教ひとのみち教団を設立。天照大神を至高の神とする。出勤や登校の前、早朝に集まって説教や礼拝、体験告白を行う「朝参り」が活動の中心に。早起きの徳を強調。
 1934年、大阪の布施市(現在の東大阪市)に大本殿を建設。高さ27m、約2300坪、1008畳敷きで収容人数2万人。
 1937年、「ひとのみち教団事件」が起こり、弾圧を受ける。不敬罪。治安警察法により、結社禁止処分。徳一は厳しい取調べを受け、保釈中に死亡。息子の徳近(とくちか)も、懲役4年。
 1945年10月、徳近は出所後、教団の名称をパーフェクト・リバティー教団に改称。
 1947年、「二十一か条の処世訓(みおしえ)」(現在はPL処世訓)を発表。第1条は、「人生は芸術である」。自由、世界平和などを謳い、自己表現を志向するなど、戦後の価値観に沿う内容。
 PL教団広島診療所、宝生会病院(富田林市。現・PL病院)、PL東京健康管理センター(人間ドック)など、近代医学を取り入れた病院を多数開設。

●認証(p89)
 現行の宗教法人法(1951年施行)では、宗教法人を設立する際に、所轄庁から「認証」を受けなければならない。
 所轄庁……単位団体の場合は都道府県、複数の都道府県にわたる単位団体を包括する団体(本社、本山、本部)の場合は文部省。
 認証……一定の条件を課し、それを満たしていれば所轄庁が宗教法人として認めるという制度。礼拝施設などの財産を所有し、信者がいて、実際に宗教活動を実践していることなど。脱税逃れのための設立を防止。
 宗教団体法(1939年)では「認可」、宗教法人令(1945年)では「届出」だった。

●アメリカと天皇制(p101)
〔 アメリカは新興国で、一八世紀に建国されたこともあり、ヨーロッパの諸国とは異なり、王や貴族という特権階級が存在しない。それは、民主国家を標榜するアメリカにとって誇りでもあるわけだが、同時に、王や貴族といった存在に対する強い憧れを生むことにもつながっている。そうしたアメリカの人間からしてみれば、天皇という存在、あるいは天皇制という政治制度は、どう扱っていいかが難しいものに映った可能性がある。
 そうしたことから、天皇制は温存され、天皇退位も行われなかった。そして、国家と国家神道の分離を推し進めることで、天皇制が軍国主義の復活に結びつかない体制が作られていったのだが、やはり天皇制のあり方は戦前と戦後では大きく変わらざるを得なかった。
 それは、第一章で述べた現人神の否定ということには留まらない。一般に、それほど注目が集まることもなく、重視されることも少ないが、戦後に大きく変わったのは、いわゆる「天皇財閥」の解体と、「天皇の藩屏」、つまりは皇室を守護するものとその役割が規定された「華族制度」の解体であった。〕

●御料地(p102)
 御料地……戦前の天皇家は、林業経営によって資産を形成。1881年(明治14):634町歩(約634ha)→1890年:365万4,000町歩。民有林が838万5,000町歩だった。
 御料地から莫大な収益を得て、株式や国債などの有価証券にも投資。日本銀行、横浜正金銀行、日本興業銀行、台湾銀行、王子製紙会社、南満州鉄道会社、など。
 戦後、財産税法に従って、皇室の所有する約37億円の9割にあたる約33億円の財産税が課され、物納された。残りの財産も、憲法88条によって国家に帰属することになった。皇室の私的な財産は、身の回りの品と預貯金、有価証券が約1,500万円のみとなった。

●創価教育学会(p125)
 1930年、牧口常三郎が「創価教育学会」を創立。当初は教育者の団体としての性格が強かった。
 牧口は地理学者で、尋常小学校の校長を歴任。柳田國男とも親交あり。日蓮正宗に入信。
 牧口、伊勢神宮が配布する神宮大麻を拝むことを拒否、札を焼却させたことから、治安維持法に違反したとされ、1943年7月に逮捕。東京拘置所で病死。戸田城聖も逮捕されたが、最後まで信仰を捨てず。
《牧口の宗教思想》
 価値論……西欧の「真善美」に対抗し、「美利善」を強調。「利」=現世利益。
 法罰論……日蓮仏法には、悪人を罰する力がともなっている。
 生活革新実験証明座談会(座談会)……信仰でどういった功徳があったか、あるいはそれに反したことでどういった法罰が下ったのかを報告しあう。

●日本小学館(p130)
 戸田城聖、戦前に日本小学館という出版社を経営していた。戦後、日本正学館と改称。中学生向けの数学と物理の通信教育を始める。

●創価学会(p130)
 戸田城聖、 西神田の日本正学館の事務所で法華経の講義を始める。創価教育学会の元会員たちが集まってくる。機関誌『価値創造』を復刊。
 1945年11月に創価学会として初の総会を開く。約500人が集まる。戸田、戦前と同様、理事長に就任。
 1951年3月、戸田が第二代会長に就任。1,500人の会員を前に、「折伏大行進」の開始を宣言。「生きている間に75万世帯を折伏」。

●葬式仏教(p201)
 「葬式仏教」が普及するのに、江戸時代の「寺請制」が大きな役割を果たした。
 日本に仏教が伝来した当初は、葬儀にかかわっていなかった。薬師寺など、古代に創建された寺院には墓地がなく、檀家もない。
 やがて浄土教信仰が盛んになり、死者を西方極楽浄土に成仏させる役割が期待されるようになる。
 さらに、禅宗の寺院で修行中の雲水の生活を支えるために、在家の信徒に対する葬儀の方法が編み出され、それが他の宗派にも受容されていった。

(2015/11/25)KG

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食べない人たち ビヨンド 不食実践家3人の「その後」
 [医学]

食べない人たち ビヨンド (不食実践家3人の「その後」)

秋山佳胤/共著 森美智代/共著 山田鷹夫/共著
出版社名 :マキノ出版
出版年月 :2015年7月
ISBNコード :978-4-8376-7223-4
税込価格 :1,404円
頁数・縦 :178p・19cm


 『食べない人たち』(マキノ出版、2014年)の続編。こちらを読まないと判然としない面もあるが、「不食」で果たして人は生命を維持していけるのか? 「プラーナ」という神秘主義でごまかしているが、科学的に証明できるのだろうか? 
 飽食がはびこる現代社会および先進国。「小食」「超小食」「不食」、気になるところではある。

【目次】
第1章 「不食の極意」が世界を変える
 なぜかのんきな地獄の暮らし
 不食の極意をつかむきっかけとは
 気がついたら、そこは地獄
  ほか
第2章 夢が次々にかなう不食の世界
 ニューヨークからやって来た魔法使い
 「初めまして、甲田です」
 少食から超少食、さらに不食へ
  ほか
第3章 夢か、はたまた幻か―不食の島へ流されて
 奇想天外の始まり
 パンツを脱いで自由になれ!
 「慣れの法則」を悟るまで
  ほか

【著者】
秋山 佳胤 (アキヤマ ヨシタネ)
 1969年、東京都生まれ。95年、東京工業大学理学部卒業。96年、司法研究所入所(50期)。98年、弁護士登録(東京弁護士会)。松本・美勢法律特許事務所に入所し、松本重敏・美勢克彦両先生に師事する。99年、東京弁護士会知的財産権法部事務局次長。2004年、東京弁護士会知的財産権法部事務局長。05年、新職務発明制度及び先使用権制度相談事業委員に就任。08年、ロータス法律特許事務所を設立。12年、医学博士(代替医療)取得。弁護士、医学博士、JPHMA認定ホメオパス。

森 美智代 (モリ ミチヨ)
 1962年、東京都生まれ。短大卒業後、養護教諭として小学校勤務をしていた84年に難病の脊髄小脳変性症に罹患。以来、西式・甲田療法に専念し、病気を克服する。その後、鍼灸師の資格を取得し、大阪府八尾市で鍼灸院を開業。現在、森鍼灸院院長。鍼灸治療のほか、講演などでも活躍中。

山田 鷹夫 (ヤマダ タカオ)
 1951年生まれ。不食研究所代表。2004年に『不食』『断眠』『超愛』(いずれも三五館)を出版。無農薬、無肥料の魚沼こしひかり(不食米)の耕作者。

(2015/11/19)KG

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相続で得するのはどっち?
 [社会・政治・時事]

相続で得するのはどっち?

天野隆/著
出版社名 :KADOKAWA出版
年月 :2015年7月
ISBNコード :978-4-04-601292-0
税込価格 :1,404円
頁数・縦 :199P・19cm


 二択式の設問をキーにして、相続税の仕組みと節税方法を分かりやすく解説。
 現行法では、相続税の基礎控除額は、3,000万円+600万円×法定相続人数となっているらしい。2015年1月から増税された。つまり、母と子ども3人の家庭では、5,400万円までしか控除されない。
 また、両親の片方が死んだ時点(一次相続)では、「配偶者の税額軽減の特例」と、「小規模宅地の評価減制度(小規模宅地の特例)」がある。
 前者は、配偶者が相続により取得した財産の価格が、「配偶者の法定相続分と1億6000万円のいずれか大きい金額以下」の場合、配偶者には相続税がかからない、というもの。後者は、居住用地の面積が330平米以内であれば、評価額を80%減額するというもの。
 また、名義預金には気をつけなければならない。通帳と印鑑を名義人が保管していないと、名義預金とみなされ、相続税がかかってしまう。

【目次】
第1章 相続の常識テスト―正解はどっち?
第2章 相続対策で得するのはどっち?
第3章 贈与で得するのはどっち?
第4章 相続でもめないのはどっち?
第5章 納税後、困らないのはどっち?
第6章 税務署ににらまれるのはどっち?

【著者】
天野 隆 (アマノ タカシ)
 税理士法人レガシィ代表社員税理士。株式会社レガシィ代表取締役。公認会計士、税理士、宅地建物取引士、CFP。1951年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。アーサーアンダーセン会計事務所・ヒューストン事務所を経て、現職。累計相続案件の実績が5300件超と日本一であり、専門ノウハウと対応の良さで、紹介者から絶大な支持を得ている。

(2015/11/19)KG

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宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理
 [経済・ビジネス]

宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理

宇沢弘文/著
出版社名 :日本経済新聞出版社
出版年月 :2015年3月
ISBNコード :978-4-532-35635-4
税込価格 :2,700円
頁数・縦 :303p・20cm


 2005年3月に私家版として刊行された『社会的共通資本と設備投資研究所』を編集・改題したもの。もともと、日本政策投資銀行設備投資研究所設立40周年を記念して編まれた。

【目次】
第1部 リベラリズムの経済学と社会的共通資本
 アダム・スミスからジョン・スチュアート・ミルへ
 ジョン・スチュアート・ミルと木村健康先生
 ソースティン・ヴェブレン
  ほか
第2部 自動車の社会的費用と社会的共通資本
 自動車の社会的費用
 水俣病問題とむつ小川原の悲劇
 「コモンズの悲劇」論争
第3部 自然・都市・制度資本
 コモンズと都市
 地球温暖化の経済分析
 社会的共通資本としての学校教育
  ほか

【著者】
宇沢 弘文 (ウザワ ヒロフミ)
 1928年生まれ。東京大学理学部数学科卒業、同大学院に進み、特別研究生。スタンフォード大学経済学部助教授、カリフォルニア大学助教授を経て、シカゴ大学教授。69年東京大学経済学部教授。その後、新潟大学教授、中央大学教授、同志社大学社会的共通資本研究センター長などを歴任。2014年死去。1997年文化勲章受章。世界計量経済学会会長を務めた。

【抜書】
●産業と営利の乖離(p30)
 ソースティン・ヴェブレン『営利企業の理論』1904年。
 近代資本主義制度を形作る物質的骨格は、マシーン・プロセスを具現化した産業である。この骨格に生命を与え、活性化するのが、利益追求を目的とする営利企業(ビジネス・エンタープライズ)である。
 生産と営利企業との間には厳しい対立関係が存在する。
 生産を直接担当する労働者、技術者たちのもっている製作者本能と、経営者のもっている利潤追求動機の間に存在する緊張感が強くなり、「産業と営利の乖離」が起こる。
 浪費的消費を増やすために、軍備、公共的な建造物、宮廷や外交に関わる制度など、政府が効果的な浪費を行うことになる。
 産業と営利の乖離は、金融市場、資本市場の発達に伴って、ますます拡大化される。投機的な行動。株価の大暴落。

●制度主義(p41)
 アーロン・ゴードン『現代経済学における制度的要素』1963年。制度学派経済学の考え方。
 「すべての経済行動は、その経済主体が置かれている制度的諸条件によって規定される。と同時に、どのような経済行動がとられたかによって、制度的諸条件もまた変化する。この、制度的諸条件と経済行動との間に存在する相互関係は、進化のプロセスである。環境の変化にともなって人々の行動が変化し、行動の変化もまた、制度的環境の変化を誘発することになり、経済学に対して、進化論的アプローチが必要となってくる」
 〔経済学に対する進化論的アプローチは、心理学、社会学、法律学、文化人類学など関連分野における成果を効果的に利用しなければならない。ここで対象としている人間は、社会的、文化的存在であって、経済人という概念をもってしては理解しえないからである。人間は制度的真実のなかで、機械的な反応しか示さないオートマータではない。〕
 
●社会的共通資本(p45)
 社会的共通資本……〔1つの国ないし特定の地域が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境、社会的装置を意味する。社会的共通資本は、たとえ私有ないし私的管理が認められたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理・運営される。〕
〔 制度主義のもとでは、生産、流通、消費の過程で制約的となるような希少資源は、社会的共通資本と私的資本との2つに分類される。社会的共通資本は私的資本と異なって、たとえ個々の経済主体に分属されていたとしても、社会的基準にもとづき、それぞれの分野を担当する職業的専門家集団によって、専門的知見と職業的規律にしたがって管理される。〕
〔 社会的共通資本のネットワークは、広い意味での環境を意味し、このネットワークのなかで、各経済主体が自由に行動し、生産活動を営むことになるわけである。市場経済制度のパフォーマンスも、どのような社会的共通資本のネットワークのなかで機能しているかということによって規定される。〕
《社会的共通資本の例》
  自然的資本……土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋
  社会的インフラストラクチャー……道路、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設
  制度資本……教育、医療、金融、財政制度

●農村人口(p154)
〔 どの社会をとってみても、その人口のある一定の割合が農村で生活しているということが、社会的安定性を維持するために不可欠なものとなっている。社会的安定性を保つために必要な農村人口の割合は、国によって異なり、また、経済的な諸条件の変化にともなって当然変化するものである。さしあたって日本の場場合、20%から25%程度が、望ましい農村人口の比率といってよいのではないだろうか。このことは、人口の20%ないし25%の人々が、社会的、心理的な強制によるものではなく、農村に定住して、農の営みに従事することが、自らの生き方としてもっとも望ましいものとして自ら選択するということを意味する。〕

●アマゾンの長老(p168)
 アメリカの製薬会社が開発する新薬の約75%は、アマゾンの熱帯雨林に居住する少数民族から生まれる。集落に専門家を送り、その長老あるいはメディシンマンを訪ね、伝承的に受け継がれてきた医療の技術を聞く。効果のある動植物、微生物、土壌、鉱物、そして治療方法など。
 これらのサンプルを本国に持ち帰り、分析、合成して新薬として売り出す。
 ブラジル政府は、アメリカの製薬会社がアマゾンの長老たちに特許料を支払う制度を作った。
 ところが、アマゾンの長老たちは、こぞってアメリカの製薬会社から特許料を受け取ることを拒否した。
 自分の持っている知識が、人間の幸福のために使われることほど嬉しいことはない。その喜びをお金に変えるというさもしいことはしたくない。

●アスワンハイダム(p170)
 アスワンハイダム……ナイル河の河口から1000km上流の町アスワンに、1960年から10年以上かけて建設。高さ111m、長さ3500m。200万kwを超える発電能力。
 ダム建設後、上流から肥沃な泥土が運ばれなくなり、洪水も起こらなくなった。ナイル河周辺の農地に、新しく化学肥料を施さなければならなくなり、その化学肥料を作るために必要な電力は、アスワンハイダムの発電量より多い!? 巨費を投じて、新しく、灌漑用水路も作らなければならなくなった。
 アスワンハイダムによって洪水を調節することになってから、下流の広い地域で、地中深くにある塩分が染み出し、塩害が起きるようになった。
 有機物を河口に送らなくなったので、豊かな漁場でなくなった。
 エジプトは現在、食糧の半分以上を輸入に頼っている。アスワンハイダムによる環境破壊が原因。
 1970年代終盤、エジプト政府はダイナマイトによってアスワンハイダムを壊すことを考えたが、巨大すぎて断念。

●社会的共通資本の管理・維持(p258)
 〔社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によってのみ左右されたりしてはならない。社会的共通資本の各部門は、それぞれの分野における職業的専門家によって、職業的規範にしたがって、管理・維持されなければならない。とくに、金融という、高度に専門化し、経済的、社会的、政治的要素ときわめて複雑に交錯している社会的共通資本の場合、その職業的規範を明確に定義し、金融にかかわるさまざまな市場について、その構造的、制度的条件を整備し、経済循環の安定性を確保することは至難のことである。しかも、金融制度が、広範な国際的拡がりをもつとき、この問題の困難度はいっそうたかまるものといわざるをえない。〕

(2015/11/19)KG

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シャンプーをやめると、髪が増える 抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ”が原因だった!
 [医学]

シャンプーをやめると、髪が増える  抜け毛、薄毛、パサつきは“洗いすぎ

宇津木龍一/著
出版社名 :角川書店
出版年月 :2013年8月
ISBNコード :978-4-04-110527-6
税込価格 :1,404円
頁数・縦 :174p・19cm


 人間、何事も自然が一番。髪をシャンプーで洗うことも、自然に反することをしているのではないだろうか?
 最近、シャンプーを使わない、回数を減らしている、という話をいろいろな人から聞くようになった。本当にシャンプーは望ましくないのか、知りたくなり、本書をひもとく。

【目次】
第1章 脱・シャンプーで髪が増えた―私たちの場合
 赤い発疹から始まつた
 気がついたら、ノン・シャンプー歴7年
  ほか
第2章 シャンプーで禿げる理由
 シャンプーをつかうほど、皮脂量が増える
 新陳代謝の衰えにより、皮膚が薄くなる
  ほか
第3章 美髪をとりもどす実践宇津木流・水洗髪
 脱・シャンプー、髪への6つのご利益
 髪以外にも2つのご利益
  ほか
第4章 からだこそ、「水洗い」が基本です
 脱・せっけんで肌がすべすべに
 老人性乾皮症は「水洗い」で治る
  ほか

【著者】
宇津木 龍一 (ウツギ リュウイチ)
 北里大学医学部卒業。日本で最初のアイチエイジング専門施設・北里研究所病院美容医学センターを創設。センター長を務める。日本では数少ないアンチエイジング治療専門の美容形成外科医。現在はクリニック宇津木流の院長として、シミ・しわ・たるみなど老化の予防と治療に従事している。

【抜書】
●皮膚は排泄器官(p55)
〔 そもそも、毛穴を有する皮膚は汗や皮脂などを対外へ出す「排泄器官」です。からだの中のものを外へ出すために存在する穴であり、外から何かを入れるためのものではありません。何かを受け入れるようにはできていませんから、口や胃のように自浄作用をそなえていないわけです。〕

●人体は奇跡の集合体(p65)
〔 人体は奇跡の集合体、ほぼ完璧につくられているから、へたに手を加えるとかえって完璧さが損なわれる――。このことを基本的な考え方に据えれば、髪も頭皮も、シャンプーやリンスやヘアクリームやムースなどで下手にいじくらないほうがいいという答えが、おのずから導きだせるでしょう。
 人間も動物の一種であり、基本的に他の動物となんら変わりがない――。この視点も自分で判断するときの助けになります。〕

●脱・シャンプー(p70)
 脱・シャンプーのご利益。
 (1) 皮脂腺が縮むため、髪へ十分な栄養がいく
  シャンプーが皮膚表面の皮脂を根こそぎ取り去るので、体は不足した分を補おうと、大量の皮脂を分泌する。そのため皮脂腺が膨張、他の栄養素を疎外する。
 (2) 毛髪をつくる大本、「毛根幹細胞」が元気になる
  防腐剤や界面活性剤は、頭皮や毛穴にしみ込み、毛根幹細胞に直接ダメージを与える細胞毒性をもたらす。
 (3) 頭皮が厚くなるので、毛が根を深く張れる
  界面活性剤の強力な洗浄力は、表皮のバリア機能を破壊。頭皮を乾燥させ、皮膚の細胞分裂を止めてします。
 (4) 常在菌が増えるため、頭皮が「健康&清潔」になる
  パラベンなどの強力な防腐剤が、有益な頭皮の常在菌を殺してしまう。
 (5) 皮質が髪に残って、「整髪力」がつく
  適量な皮脂は、「天然の整髪剤」。
 (6)ベタつきとニオイが解消する
  皮脂が酸化してできる過酸化脂質の量が減る。

●バイオフィルム(p155)
 細菌の大きさは、1mmの1,000分の1~100分の1ほど。流水の水圧で、ほとんどが流されてしまう。
 多少、残存しても大丈夫。
 菌が増殖するためには、自分たちの「根城」(医学的にはバイオフィルムという)をつくらなければならない。
 根城を作るのに、一般的には10万個以上の菌が必要。それ以下では、マクロファージやガンマグロブリンといった免疫細胞にやられてしまい、感染することは不可能。

●汗腺(p158)
 汗腺……汗を作る。エクリン腺とアポクリン腺がある。
 エクリン腺……全身に分布、サラサラの汗を出し、主に体温調整を行う。「汗臭さ」の原因。
 アポクリン腺……脇の下、乳首、陰部、耳の中などに分布、脂質やタンパク質などを多く含む粘り気のある汗を分泌。わきがは、アポクリン腺から出る汗を菌が分解して、独特のにおいを発生させたもの。
 どちらの汗も、においの成分も、水だけで落とせる。

(2015/11/15)KG

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武士の奉公 本音と建前 江戸時代の出世と処世術

武士の奉公 本音と建前: 江戸時代の出世と処世術 (歴史文化ライブラリー)

高野信治/著
出版社名 :吉川弘文館(歴史文化ライブラリー 393)
出版年月 :2015年1月
ISBNコード :978-4-642-05793-6
税込価格 :1,836円
頁数・縦 :205p・19cm


 「一所懸命」、領地を守ることに腐心していた武士たちが、戦乱が収まり、平和な江戸時代にどのような意識を持ち、奉公したのか。大名家の武士たちの残した記録を主に、サラリーマン化した彼らの生き方を解き明かす。
 時代は変わっても人は変わらない。江戸時代の武士たちは、現代の勤め人と変わらない感覚で生きていたのだ。そんな平凡な感想が沸いてくる内容。
 しかし、武士といえば一応は支配階層だ。農民たちが作った食糧の一部を巻き上げることで生活していた。現代に置き換えれば官吏ということになろうか。さらに言えば、大名家の武士は、地方公務員か?
 本書を読んで疑問に思ったことは、支配階層としての意識が伝わってこないことだ。農工商の庶民に対してどう考えていたのかが分からない。庶民は搾取する相手なのか、慈しむ対象なのか。はたまた、そんなことはまったく意識せずに暮らしていたのだろうか。彼らの眼差しは、常に主君(そしてご同輩?)に向いていた、ということなのかもしれない。その点は、現代の官僚(そしてサラリーマン)も同じかもしれないが……。

【目次】
戦功をあげられない武士たちの働く思い―プロローグ
家臣の立ち位置
慎みとやる気
人事の要件
人と金思いを記す家臣たち
武士の欲求膨張とコントロール―エピローグ

【著者】
高野 信治 (タカノ ノブハル)
 1957年、佐賀県に生まれる。1985年、九州大学大学院文学研究科博士後期課程(史学専攻)単位取得退学。現在、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。

【抜書】
●格、職、禄(p23)
 莅戸善政……小姓から奉行(家老)まで出世して、上杉治憲(鷹山)をブレーンとして補佐した。
 「安民の世話をするのが君(くん)であり、手伝うのが家臣(有司)である。それが手際よく行き届き功績あるのを誉めるのが賞で、安民に害がある者を呵(しか)るのが罰だ。その功を賞するのに、爵位昇進(格)、官職昇進(職)、貨材下賜(禄)の三方法ある。その人その家の規模になる格式を与え、美目(びもく)になる物を与えるもので、総じて賢徳ある者に爵位昇進、才能ある者に官職昇進、賢徳才能はなくとも賞すべき善がある者には貨材を下賜する。」(杉原謙編述『莅戸太華翁』p.306、p.309)

●衆道(p147)
 衆道(武士の男色)は、主従関係の中で本来見られたもの。出世の契機となる場合もあった。(山本博文『男の嫉妬』、氏家幹人『江戸藩邸物語』、同『武士道とエロス』)
 『葉隠』には、衆道に関する記述が散見され、江戸時代の衆道の主流が、主従関係から同輩関係になっていったのを窺わせる。
 山本常朝自身は、主君・鍋島光茂と衆道関係にあったと考えれらる。「忍恋」をいい、布団を下賜され、主君をひたすら思う記述より。

●武士の領地の変遷(p154)
〔 もともと私領(領知)支配を「一所懸命」に行なってきた武家領主は、私的価値観も重視していた。それは領知に対する家産観念と裏腹の関係にもあろうが、領知は主従関係のなかで宛行(あてが)われた拝領知(地)との本質を持つ。ただし、江戸時代の武士は、その領知支配のあり方が変容し、知行地から収納される米(蔵米)を支給されたり(蔵米取)、知行地拝領がなく米の支給を受ける階層(切扶取〈きりふどり〉)が主流となり、知行地支配を行なう階層(地方取〈じかたどり〉)は少なくなる。〕

(2015/11/10)KG

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沖縄の殿様 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記
 [歴史・地理・民俗]

沖縄の殿様 - 最後の米沢藩主・上杉茂憲の県令奮闘記 (中公新書)

高橋義夫/著
出版社名 :中央公論新社(中公新書 2320)
出版年月 :2015年5月
ISBNコード :978-4-12-102320-9
税込価格 :950円
頁数・縦 :251p・18㎝


 元米沢藩主上杉家の13代当主茂徳(もちのり)が、沖縄県令として明治14年(1881)6月25日に赴任し、16年4月23日にその任を解かれるまでの1年10ヶ月におよぶ沖縄治政を描く。
 日本国に編入されて日の浅い沖縄。政府方針は、「旧慣存置(旧慣習温存)」すなわちそれまでの沖縄の習慣を尊重するということだったが、赴任後、茂徳と書記官の池田成章(なりあき)は、庶民の困窮を目の当たりにし、県政の改革を目指す。
 しかし、東京から派遣された巡察使(?)尾崎三良(さぶろう)により、その政策は覆されてしまう。のみならず、茂徳は、沖縄県令を解任されてしまう。背景に、既得権益を侵害されかねない士族たちの陰謀があった。さらに「旧習慣温存」の基本方針を天皇に上奏した太政大臣三条実美の面子も関わっていたかもしれない。尾崎は、20歳すぎから三条家に仕え、七卿落ちの際にも随った間柄である。
 琉球は、薩摩の植民地化により搾取され、そのしわ寄せは庶民への苛政という形で現れた。税として収穫の3分の2を徴収され、不作等により未納が生じた場合の借金もかさんでいた。彼らは貧困に仰ぎ、農機具が旧式であるために生産性もあがらない。茂徳は民の窮状を救うために税金を下げ、教育を充実させ、新式の機械を導入して産業を興そうとした。しかし、東京の政府の無理解により実現できなかった。
 沖縄現地の民情と中央政府と思惑の乖離は、百数十年前からほとんど変化がない。

【目次】
序章 雪国と南島
第1章 沖縄の発見
第2章 沖縄本島巡回
第3章 教育と予算
第4章 刑法と慣習
第5章 上杉県令の改革意見
第6章 政治的刺客
第7章 辻遊廓
第8章 県費留学生
第9章 那覇八景

【著者】
高橋 義夫 (タカハシ ヨシオ)
 1945年(昭和20年)、千葉県に生まれる。早稲田大学文学部仏文科卒業。月刊誌の編集者を経て、執筆活動に入る。1992年、『狼奉行』で第106回直木賞を受賞

【抜書】
●間切、村(p42)
 琉球王国時代の沖縄本島の地域区分……方(ほう)=郡、間切(まぎり)=郷、村=字。
 町方(まちかた)……首里(王府)、那覇(貿易港)、泊村(国内航路の港)、久米村(清国の帰化人の居留地)。中頭方と島尻方の中間。
 田舎……島尻方(しまじりほう)、中頭方(なかがみほう)、国頭方(くにがみほう)
 島尻方……豊見城、喜屋武(きゃん)、摩文仁(まぶに)、東風平(こちんだ)、玉城、大里、南風原(はえばる)、真和志、など15間切。
 中頭方……西原(にしばる)、浦添、宜野湾、中城、読谷山(よみたんざ)、越来(ごえく)、美里(みざと)、与那城、など11間切。
 国頭方……恩納、名護、羽地、今帰仁、本部(もとぶ)、国頭、久志、など9間切。

●那覇の遊郭(p173)
 那覇には、辻(ちーじー)、仲島(なかしま)、渡地(わたんじ)の三つの遊郭があった。士族連中が通っていたのは辻。
 「廃藩置県のころまでの沖縄は、旅館も料理屋もなかったので自然遊郭が女郎屋であると共に旅館であり料理屋でもあった。それで人を御馳走するにもそこに招待し、また首里や地方(いなか)などから那覇に来たときにも此処で御飯を食べたり、宿泊(ねとまり)したりするのを便利としたもので、其のころの沖縄にはこの遊郭が必要欠くべからざる存在(もの)であった。」(来和雀〈くるわすずめ〉、『沖縄の歓楽郷 辻の今昔』「廃藩当時の沖縄人士と遊郭」)

(2015/11/10)KG

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火花
 [文芸]

火花

又吉直樹/著
出版社名 :文藝春秋
出版年月 :2015年3月
ISBNコード :978-4-16-390230-2
税込価格 :1,000円
頁数・縦 :(電子版)


 ありえなさ過ぎる「オチ」で最後に幻滅。

【著者】
又吉 直樹 (マタヨシ ナオキ)
 1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑い芸人。コンビ「ピース」として活動中。

(2015/11/5)EB

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