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偽りの保守・安倍晋三の正体
 [社会・政治・時事]

偽りの保守・安倍晋三の正体 (講談社+α新書)

岸井成格/〔著〕 佐高信/〔著〕
出版社名 : 講談社(講談社+α新書 733-1C)
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-06-272940-6
税込価格 : 864円
頁数・縦 : 189p・18cm


 自民党保守本流の政治家たちの業績をたどりながら示唆する、間接的な安倍政権批判か。ジャーナリストが間近で見たかつての大物政治家たちの、懐の深い政治手法を披露し、現在の政治家と比較しながら議論は進む。
 現在の自民党は、小選挙区制の影響もあって多様性を失い、独裁政治がまかりとおり、日本は危うい状況となっている。中選挙区制だったころは、派閥政治、金権政治という批判もあったが、多様な利害を調整する機能があった。それがなくなり、力のある者、声の大きい者の言いなりになってしまう政治が出現した。その最たるものが、民主党の失政によって生まれた現在の安倍独裁政権である。
 独裁と言えば、小選挙区制に反対の立場だった小泉純一郎が、郵政選挙では小選挙区制を利用して刺客選挙を行ったことは歴史の皮肉か?

【目次】
第1章 安倍政権のメディア支配
第2章 自民党と創価学会
第3章 保守の平和外交―園田直と保利茂、受け継がれざる精神
第4章 安全保障は「保守の知恵」が可能にする
第5章 田中角栄とアメリカ―戦後保守の対米政策
第6章 実利の保守・吉田茂と多角形の戦略
第7章 派閥と利権は絶対悪なのか?
第8章 「安倍独裁」の正体

【著者】
岸井 成格 (キシイ シゲタダ)
 1944年、東京都に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業。1967年に毎日新聞社に入社。熊本支局、政治部、ワシントン特派員を経て、論説委員、政治部長、編集局次長、論説委員長、特別編集委員、主筆を歴任する。現在、毎日新聞特別編集委員。2013年から2016年まで、テレビニュース番組「NEWS23」(TBS系)でアンカーを務めた。

佐高 信 (サタカ マコト)
 1945年、山形県酒田市に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業。高校教師、経済雑誌編集者を経て、現在は、評論家、「週刊金曜日」編集委員。

【抜書】
●卓球(p75、佐高)
 周恩来が、国際卓球連盟会長の荻村伊智朗に頼んだ。「中国の纏足を直すためにはスポーツが必要だ。貧しい国だから金がかからなくてできるのは卓球しかない、だから中国の指導をしてくれ」。
 今の卓球中国をつくったのは、日本でもある。そして周恩来でもある。
 〔このあたりの日中の共同作業を掘り起こしていかなければと私は思っているんだ。〕

●ヨーロッパの資本主義(p135)
 岸井 今、「欧」と「米」は本当は対立しているかもしれない。ここをどう捉えるかで全然変わってくるんだよ、今後の世界情勢は。
 佐高 欧州からの、アメリカの新自由主義に対する批判だね。
 岸井 ヨーロッパ社会というのは、何年もの歴史の中で積み上げられたある種の秩序でしょう。労働組合とどう対峙するか、旧植民地とどう向き合うか――そういういろいろな課題を経過した資本主義だと言える。ところがアメリカ資本主義は果実だけをあさろうとする。
 岸井 だから、弱肉強食という現実をアメリカン・ドリームとして肯定しかねないところがある。
 佐高 外交と言うなら、欧州的な知恵から学ぶことは大きい。欧州に接近する身ぶりによってアメリカを牽制するというのも絶対あり得る方法なのに、そういう動き方はまるでないんだよね。
 寺島実郎さんのリレー塾で講演した時、「小泉は何を殺したか、から話を始めます」と言ったんだ。小泉純一郎は何を殺したかというと、多元的な政治手法を殺した。八方美人と映る態度をとっていても、外交というのは基本的に八方美人なわけです。それを、純粋化と言えば聞こえはいいけれど、小泉は単純化してしまった。 

(2016/8/31)KG

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日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
 [社会・政治・時事]

日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか
矢部宏治/著
出版社名 : 集英社インターナショナル
出版年月 : 2016年5月
ISBNコード : 978-4-7976-7328-9
税込価格 : 1,296円
頁数・縦 : 318p・19cm


 日本と米国との間にしぶとく存在する、「基地権の問題」と「指揮権の問題」を歴史的に紐解く。

【目次】
序章 六本木ヘリポートから闇の世界へ
 外務省の高級官僚も知らない「横田空域」
 日本には国境がない
  ほか
1 ふたつの密約―「基地」の密約と「指揮」の密約
 「基地権密約」と「指揮権密約」
 日本政府の対応
  ほか
2 ふたつの戦後世界―ダレスVS.マッカーサー
 朝鮮戦争直前―マッカーサー・モデルの崩壊
 朝鮮戦争の勃発―「基地権問題」の決着と「指揮権問題」の浮上
3 最後の秘密・日本はなぜ、戦争を止められないのか―継続した「占領下の戦時体制」
 第1次交渉の合意まで(~1951年2月9日)
 マッカーサーの解任(1951年4月11日)
  ほか
あとがき 私たちは、なにを選択すべきなのか
 独立のモデル
 フィリピン・モデル―「米軍撤退条項」と「加憲型」の改憲
  ほか

【著者】
矢部 宏治 (ヤベ コウジ)
 1960年、兵庫県生まれ。慶応大学文学部卒業後、(株)博報堂マーケティング部をへて、1987年より書籍情報社代表。

【抜書】
●ジョン・フォスター・ダレス(p97)
 1888-1959年。アイゼンハワー大統領の下の第52代国務長官を務めた。「戦後世界」の設計者の一人。
 戦後、国務省顧問として来日し、日本の再軍備と米軍の指揮権の基本構想を作った。

●特別協定(p146)
 国連憲章43条により、各国が国連安保理と結ぶ「特別協定」によって、国連軍のための兵力を提供することになっていた。しかし、「特別協定」についての協議が、米ソ間の基本構想の対立によって、まったく進展しなかった。
 〔現在までこの「特別協定」は結局一度も結ばれることがなく、正規の国連軍構想は「人類の見果てぬ夢」のまま、歴史のなかに消えてしまうことになったのです。〕
 本来は、「米国軍」ではなく、日本の主権回復後、「国連軍」が日本に駐留するはずだった。
 現在、「米国軍」=「国連軍」ではなく、「米国軍」≠「国連軍」となっている。

●多国籍軍(p183)
 「朝鮮国連軍(朝鮮派遣国連軍)=非正規の国連軍」は、国連安保理決議84号(1950年7月7日)として、国連の勧告に基づき、米国に統一指揮権をゆだねた、大韓民国に対する必要な支援として編成された。正規の国連軍ではない。米軍と韓国軍以外は、米国と同盟関係にあった国々などが、ごく少数の兵力を派遣するにとどめた。
 国連の関与が一切排除されたかたちで、米軍の統一指揮権が確立された。現在まで続く、「国連の勧告に基づいて編成された、米軍が統一指揮権をもつ連合軍」、いわゆる「多国籍軍」が誕生することになった。

●警察予備隊(p187)
 1950年7月8日の、マッカーサーから吉田茂首相への手紙によって、7万5000人の警察予備隊創設、8000人の海上保安庁の増員が決定した。
 朝鮮半島に出動した在日米軍の後を埋めるための措置。

●日米防衛協力小委員会(p265)
 1976年7月8日の第16回安全保障協議委員会で、日米の作戦調整機関としての「日米防衛協力小委員会」の設置が決まった。メンバーは、日本側が外務大臣と防衛庁長官、米側が駐日大使と太平洋軍司令官(代理:在日米軍司令官)。統一指揮権を持った、実質的な「日米統一司令部」としての機能を果たすことになる。
 1990年12月、「日米安全保障協議委員会」となる。米国側のメンバーが国務長官と国防長官に格上げされ、「2+2」(外務・防衛担当閣僚会議)の略称のもと、軍事問題における主役の座を、駐日大使や日米合同委員会から奪い取っていくことになる。

●長谷部恭男(p280)
 長谷部恭男(早稲田大学教授)、緊急事態条項の危険性についての講演の中での発言。
 「統治行為論は始末する必要があります」
 「統治行為論を廃止するという憲法改正をおこなえば、たとえば安保関連法制の違憲性についても、裁判所がきちんと審議をして答を出すということになるはずです」
 与党の参考人として国会に呼ばれたにもかかわらず、「集団的自衛権の行使が許されるという点については、憲法違反だと考えおります」と発言。

●知性への自信(p281)
〔 鳩山友紀夫(原文ママ)さんもそうですが、こうした社会の流れに真正面から逆行するような発言は、自らの知性に絶対的な自信がある人にしかできない。高い社会的ポジションにありながら、みずからの知性を信じて軋轢を恐れず、ストレートに発言する人の言葉から、時代は大きく変わっていくことが多いのです。〕

●サンフランシスコ・システム(p290)
 サンフランシスコ・システム……日本近代史研究の権威、ジョン・ダワーの命名。
 サンフランシスコ平和条約を結び、日本占領を終結させた当時の米国は、わずか6年前まで敵として戦っていた日本に対して強い不信感を持っていた。ところが、朝鮮戦争の勃発により、その日本を再軍備させて同盟国にしなければならないという、ジレンマを抱えることになった。
 「そのジレンマをアメリカは、日本を恒久的な軍事的従属のもとにおく米日の軍事同盟を構築することによって解決した。事実、占領終結時に両国がむすんだ旧安保条約は、第2次大戦後、アメリカが各国とむすんだ条約や協定の中で、もっとも不平等なものだった」("War without Mercy" Panteon Books, 1986/邦訳『容赦なき戦争』平凡社)
 「そしてその軍事的な従属関係は、安保改定をへて現在までつづいているのです」
 「岸首相はたしかに有能な政治家ではありましたが、従属的な日米関係(=サンフランシスコ・システム)を固定化する土台を作った人だと私は考えています」(「朝日新聞」2015/8/4)
 「(日本にある米軍基地は)朝鮮戦争や、ベトナムやカンボジア、最近もイラク戦争などで使われた。これらの戦争は必ずしも正義とはいえないのに、日本はつねにアメリカに従い、意見をいうことすらできなかった。これでは将来、アメリカが世界で始める戦争に、日本は巻き込まれることになるでしょう。(略)歴史家としてみると、これらのことはすべてサンフランシスコ・システムに起源があるのです」(「朝日新聞」2012/10/30)

●専守防衛(p296)
 〔「サンフランシスコ・システム」を終わらせ、戦争へむかう道をくい止めるために私たちに必要なのは、専守防衛で絶対に先制攻撃をしない最小限の武力をもち、それに国会を中心とした国民全体でシヴィリアン・コントロールをかけるということ。そのための体制を自分たち自身で構築するということなのです。
 現在の日本では不可能にも思える困難な課題ですが、ほかの国ではどこでも普通にやっていることです。私たち日本人にできないということは、論理的に考えて絶対にありえないのです。〕

●追加条項方式(p303)
 憲法改正は、条文の削除・書き換えではなく、米国型の追加条項方式で行うべき。修正条項の追加。
 憲法の条文は、その時代の「民族の理想」の表現。それを軽々に削除するべきではない。
 ・日本国憲法第9条(修正1条)
  国際連合による日本およびその周辺の平和と安全のための措置が効力を生じるまで、敵の侵略を自国の施政下の領域内において撃退するための最小限の軍事力と交戦権は保持する。
 ・同(修正2条)
  2025年以降、自国の領域内における外国軍基地、軍隊および施設は許可しない。この改正された憲法の規定に反する他国との取り決めはすべて破棄する。そのための憲法判断は最高裁判所がおこなう。
 ・同(修正3条)
  核兵器の製造、保有、自国の領域内の通過と、原発の稼働は許可しない。

●中国、韓国(p308)
 サンフランシスコ・システムの最大の問題点は、日本の戦後処理を確定する平和条約に、最大の関係国である中国と朝鮮(さらに沖縄)を一切関与させず、両国の分断状態を逆に固定化してしまったこと。

(2016/8/29)KG

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男という名の絶望 病としての夫・父・息子
 [社会・政治・時事]

男という名の絶望 病としての夫・父・息子 (幻冬舎新書)

奥田祥子/著
出版社名 : 幻冬舎(幻冬舎新書 お-24-1)
出版年月 : 2016年3月
ISBNコード : 978-4-344-98413-4
税込価格 : 864円
頁数・縦 : 245p・18cm


 過去の規範にとらわれることによって、生きづらくなっている男たちを長期間にわたって取材し、実例を示しながら、現代社会にふさわしい男の生き方を探る。

【目次】
第1章 社員刺し―会社と闘えない
 「会社と闘ったって、無駄ですよ。すべて裏ルールで動いているんだから」
 「男の恥…弱っちい自分が情けなかった」
 「残酷な現実を俯瞰して冷ややかに笑っている自分がおりまして…」
第2章 妻の不実―家の“主”と相まみえない
 「嫁さんが浮気をしていて…騙されているフリをしていますよ」
 「僕が期待に応えられなかったから、妻は娘にあんなひどいことを…」
 「もとは僕のせいだし、自分が惨めで、相談なんてできない」)
第3章 ファザーレス―わが子が見えない
 「子どもが思い通りにならないから、もう無視しています」
 「父親なのに、娘のために何もできない自分が不甲斐なくて…」
 「妻に大切な息子を奪い取られてしまった」
第4章 母親の呪縛―「血」から逃れられない
 「嫁となら離婚もできる。でも、おふくろは一生つきまとうんです」
 「母が僕を頼りにしてくれることだけが、自分の価値というか…」
 「俺がおふくろのことにかまけていたせいで、かみさんが…」
第5章 男という病
 規範に惑わされず、己が道を―仕事・家族
 遠ざかる心に歩み寄り、つながる努力―わが子・妻
 完璧でない己を認め、「自分のものさしで」―母親・社会

【著者】
奥田 祥子 (オクダ ショウコ)
 ジャーナリスト。京都市生まれ。米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。男女の生き方や医療福祉、家族、労働問題などをテーマに、市井の人々への取材を続けている。所属部署のリストラを機に個人活動を始めた。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程所定単位取得退学。

【抜書】
●夫婦の亀裂と母子密着(p151)
〔 父親が子どもとの良好なつながりを築いていけるかどうかには、夫婦関係、妻と子どもとの母子関係がいかに重要なカギとなっているかも、痛感させられた。父親がわが子と過ごす時間が短くても、妻と子育てや子どもの教育について十分に話し合い、心から触れ合うことができていれば、問題はない。むしろ妻としては、夫が仕事で精一杯にもかかわらず無理して育児に参加しようとして仕事に支障をきたすよりも、職務に邁進してほしいと願っているケースが多い。
 しかしながら、夫婦の間に何らかの亀裂が生じている場合では、過度な母子密着の末、父親が家庭から疎外され、実質的に子どもを妻に奪われてしまっているケースが少なくなかった。すなわち、妻が子どもを自分の味方につけるため、自身が夫に抱く不満などを吹き込んで子どもの心にネガティブな父親像を植え付けてしまうのだ。
 夫からすれば、妻の身勝手な行動であると憤慨するであろうが、自分の過酷な労働環境や家族を愛おしむ想いを妻に伝えてこなかった男性側にも非はある。こうした状況下では、夫が家庭の隅へ追いやられるだけでなく、子ども自身の心を傷つけ、健全な成長を妨げ兼ねない。育児にかかわる時間の問題ではなく、確たる父親の存在が、子どもの社会性を育むとともに、母子密着の暴走への抑止力としても不可欠であることを今一度、本人と妻、そして社会が再認識すべきではないだろうか。〕

●覇権的男性性(p200)
 オーストラリア出身の社会学者で男性学・男性性研究の第一人者、R・W・コンネル、“Masculinities”、1995年。
 覇権的男性性……社会で主流とされている男らしさ。「職場のパワーゲームの勝者」「家族にとって経済的、精神的な支柱」「冷静沈着で弱音を吐かない」など、伝統的な「男らしさ」の規範の具現者。
 従属的男性性……非主流。上記の規範から逸脱した男性。
 主流の男性たちは、非主流を蔑み、脇へ追いやることによって自らの覇権性、権威を誇示してきた。

●ラベリング理論(p201)
 米国の社会学者ハワード・S・ベッカー、“Outsiders: Studies in the Sociology of Deviance”、1963年。
 ラベリング理論……社会集団が規制を設けて特定の人々に適用し、アウトサイダーのレッテルを張ることによって逸脱を生み出す。もともと当事者が孤立した存在なのではなく、逸脱を告発された人々と告発を行う人々との相互作用によって生まれる。
 ラベリング理論に従えば、「従属的男性性」保持者の社会的排除には、「覇権的男性性」保持者だけでなく、社会や女性たちも加担していることになる。

●居場所(p216)
〔 職場でも家庭においても、団塊の世代などかつて「男の特権」を享受した男たちが当然のように確保してきた覇権的な”居場所”は、もはやどこにもないのだ。にもかかわらず、過去の価値観に支配され、周囲からの評価を気にし過ぎるために現実を直視できず、浮足立ったまま、夢の楽園を求めてさまよい続ける。そこに、男たちが苦悶する根源があるように思えてならない。〕

●折り合いをつける(p236)
〔 不本意な現実を前に戦意が失せ、そんな己を嫌悪する、という男性は非常に多かった。長い沈黙を得て、自らのネガティブな心情を表す「情けない」「面目ない」「みじめ」「恥ずかしい」……などの語りはそれを象徴している。彼らは「覇権的男性性」の規準に照らし合わせた自己の同一性、すなわちアイデンティティーを喪失していることに苦悩し、絶望しているように見えた。
 しかしながら、元来、自己は唯一のものではない。社会からの「男はこうあるべき」という規範の押しつけは、個々人に「覇権的男性性」を具現化する集団の一員であれねば、社会から脱落してしまうという強迫観念にも似た意識を強要する。このような社会的アイデンティティーの構築は、権力者が、彼らの論理によって人々を「勝者」と「敗者」に振り分け、多数の「敗者」を統制・支配するために都合のいい道具でもあるのだ。
 男として、強い自分もいれば、弱い自分もいる。問題の打開策を見出せずに心がさまよう時だってある。自己の一貫性にこだわり過ぎず、多元的な己のすべてを認めたうえで、厳しい現実からも逃げないで、どんなかたちであろうとも働き続ける。どんな関係にあろうとも妻や子ども、母親と向き合うことをやめない。つまるところ、堂々と前を見て、生きてゆく。そのことが「折り合いをつける」ということなのではないか。
 「折り合いをつける」というと、対組織、対人間関係において妥協する、つまり志を貫けずに折れる、目指してきたものを諦める、という言葉・概念のニュアンスで受け止める人も多いだろう。また、大和言葉の「和をもって貴しとなす」を思い浮かべる人がいるかもしれない。だが、私が提案したいのは、そのいずれでもない。「折り合いをつける」とは、社会が、組織が、他者が決めたルールではなく、自分自身が揺るぎない信念のもとに打ち立てたルールにのっとって、己の正義に基づき、自らの仕事を、家庭を、人生を諦めないための一世一代の「闘い」に挑むこと、そのことで自らが再起した証なのである。〕

(2016/8/26)KG

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熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実
 [社会・政治・時事]

熟年売春 アラフォー女子の貧困の現実 (ナックルズ選書)

中村淳彦/著
出版社名 : ミリオン出版(ナックルズ選書)
出版年月 : 2016年3月
ISBNコード : 978-4-8130-2265-7
税込価格 : 1,080円
頁数・縦 :191p・19cm


 裸を売る商売の世界では、26歳以上を熟女、55歳以上を超熟(超熟女)というらしい。本書は、その熟女の中でも超熟に近い世代の女性たちが、姓をひさぐ姿をルポルタージュ。

【目次】
第1章 カラダを売れなくなった熟女たち
 53歳元風俗嬢の部屋
 最低でも13万円は欲しい
  ほか
第2章 熟女AV女優の華麗な履歴書
 社会のレールに乗り続けた箱入り娘
 自分の価値観がどんどん変わっていく
  ほか
第3章 なぜ熟女は風俗で働くのか
 ベンツに乗ってやってきた金持ちミセス
 風俗嬢になった理由はセックスレス
  ほか
第4章 売春格差の厳しい現実
 46歳バツナシ未婚の美人売春婦
 39歳で上京、交際クラブ嬢に
  ほか
第5章 異常性欲と貧困の果てに
 異常性欲者が集う部屋
 彼氏の親の介護をしたかった
  ほか

【著者】
中村 淳彦 (ナカムラ アツヒコ)
 1972年、東京都生まれ。アダルト業界の実態を描いた著書多数。フリーライターとして執筆を続けるかたわら介護事業に進出し、デイサービス事業所の代表を務めた。

(2016/8/21)KG

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「武士」の仕事 役職・作法から暮らしまで
 [歴史・地理・民俗]

歴史REALブックス「武士」の仕事

歴史REAL編集部/編
出版社名 : 洋泉社(歴史REALブックス)
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-8003-0956-3
税込価格 : 1,620円
頁数・縦 : 141p・21cm


 江戸時代、武士の暮らしぶりをイラストや写真を交えて紹介。当時の様子が多角的に分かって面白い。

【目次】
入門セミナー 江戸の武士10の常識と疑問
第1部 武士の仕事大全
 おもな幕府の役職
 幕府の仕組み
 幕府の軍事力
  ほか
第2部 武士の日常と暮らし
 旗本屋敷
 御家人屋敷
 勤番長屋
  ほか
第3部 侍世界の習慣とタブー
 武士における作法と禁忌
 武士に科せられた刑罰と切腹
 通過儀礼と年中行事武士の一生と一年
  ほか

【著者】
安藤 優一郎 (アンドウ ユウイチロウ)
 歴史学者、文学博士(早稲田大学)。pp102-103、pp114-121

加唐 亜紀 (カカラ アキ)
 江戸文化研究家。文化学院卒業。pp52-55, pp122-127

蒲生 眞紗雄 (ガモウ マサオ)
 1947年新潟県生まれ。歴史と文化再生研究会員。国立歴史民俗博物館共同研究員、墨田区横綱一丁目埋蔵文化財調査会参与などを歴任。pp14-30

河合 敦 (カワイ アツシ)
 東京都生まれ。歴史研究家。多摩大学客員教授、早生大学非常勤講師。p64, p112, pp140-141

高久 智広 (タカク トモヒロ)
 1972年生まれ。神戸市立博物館学芸員。pp128-133

丹野 顕 (タンノ アキラ)
 東京都生まれ。東京教育大学文学部卒業後、出版社勤務を経て作家に。pp66-87

橋場 日月 (ハシバ アキラ)
 大阪府生まれ。歴史作家。pp34-51, pp56-63, pp100-101

原 史彦 (ハラ フミヒコ)
 1967年岐阜県生まれ。東京学芸大学教育学部卒。徳川美術館学芸部部長代理。pp104-111

深沢 秋男 (フカサワ アキオ)
 1935年山梨県生まれ。昭和女子大学名誉教授。pp134-139

渡辺 誠 (ワタナベ マコト)
 台湾・高雄生まれ。pp88-99

【抜書】
●番方、役方(p16)
 直参の旗本・御家人は、江戸中期(享保7年、1722年)で22,604家。うち旗本5,205家。大名は264家。
 役方(やくかた)……文官。町奉行、勘定奉行、など。
 番方(ばんかた)……武官。大番、徒組、与力、同心、など。

●切捨御免(p23)
 『公事方御定書(くじかたおさだめがき)』下巻71条の2項目(追加)で、武士身分の最下層の足軽まで含めて、町人百姓が名誉棄損・侮辱的言動に出た場合は、切捨御免を認めた。手討ち、打捨(うちすて)、無礼討ち、などと称された。
 ただし、武士に対する名誉あるいは秩序・威厳の侵害に対する正当防衛・実力行使が認められるに足る事情が明白に証明されないと、吟味のうえで裁判に付されたり、死罪・遠島などの重刑を課されることもあった。
 無礼討ちの場合は「とどめをささない」のが寛政以後の武士の嗜みとなった。

●知行取(p26)
 知行取……百姓付きの土地を領地として与えられ、土地・百姓を直接支配して年貢諸役を収益として得た者。
 年貢米は、知行高の35%が給付基準だった。千石取なら350石が収入となる。

●切米取(蔵米取)(p26)
 幕領(俗に天領)や藩領から年貢として幕府や藩の蔵に納められた蔵米を支給された者。旗本の56%、御家人の87%。
 関東では、1俵=米3斗5升。1000俵は350石に相当。知行1000石取と切米1000俵取の収入は同一。
 切米の支給は年3回。春(2月)1/4、夏(5月)1/4 、秋(10月)1/2。

●扶持取(p26)
 幕府は、男1日の食料を玄米5合と見積もり、一人扶持とした。1か月1斗5升、毎月給付。年間1石7斗7升。

●給金取(p26)
 現金を支給される者。享保期までは、3両一人扶持が最下級だった。下級武士を俗に「三一(さんぴん)」と江戸庶民が称した。

●二食(p78)
 江戸時代初期は、戦国時代の名残をとどめて武士は朝夕二食の食事であった。
 元禄期(1688-1704)には、武士にも町人にも三度の食事が広がり、しかも精白した米を食べるようになった。

(2016/8/20)KG

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規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす
 [社会・政治・時事]

規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす

黒川清/著
出版社名 : 講談社
出版年月 : 2016年3月
ISBNコード : 978-4-06-219882-0
税込価格 : 1,836円
頁数・縦 : 268p・19cm


 福島第一原発事故の「国会事故調」委員長による、日本のガバナンス批判の書。

【目次】
第1部 ドキュメントメイキング・オブ・国会事故調
 夢中で走り抜けた7ヵ月
 ファクトの積み重ねから真実が見えてくる―国会事故調査委員会・タウンミーティングハイライト
第2部 3・11が浮かびあがらせた日本の「病巣」
 「規制の虜」と同じ構造はあちこちにある
 グループシンクが国を滅ぼす
 「世界からの見え方」との大きなギャップ
 問われるジャーナリズムの責任
 審議会ではなく独立調査委員会を
 「民主主義の貧困」から脱するために
 福島が生んだ2人の「巨人」
 グローバル時代のイノベーション
 自分が変わらなければ社会は変わらない
 3・11は日本へのウェイクアップコール

【著者】
黒川 清 (クロカワ キヨシ)
 1936年生まれ。東京大学医学部卒業。1969年に渡米、1979年UCLA内科教授。1983年帰国後、東京大学内科教授、東海大学医学部長、日本学術会議会長、内閣府総合科学技術会議議員(2003-06年)、内閣特別顧問(2006-08年)、WHOコミッショナー(2005-08年)などを歴任。国際科学者連合体、国内外の学会および大学の理事、役員など幅広い分野で活躍。国会福島原発事故調査委員会委員長(2011年12月‐2012年7月)でAAAS Award for Scientific Freedom and Responsibility受賞(2012年)、Foreign Policy紙の100 Top Global Thinkers of 2012に選出。現在、MITメディアラボ、コロンビア大学客員研究員、GHIT(公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金)、日本医療政策機構などの代表理事・会長、政策研究大学院大学客員教授、東京大学名誉教授など。

【抜書】
●規制の虜(p2、146)
〔 「規制の虜」とは、規制する側(経済産業省原子力安全・保安院や原子力安全委員会など)が、規制される側(東京電力などの電力会社)に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを意味する。その結果、「日本の原発ではシビアアクシデント(過酷事故)は起こらない」という虚構が罷り通ることになったのである。〕(p2)
 規制の虜……政府の規制機関が規制される側の勢力に取り込まれ、支配されてしまう状況を指す経済用語。シカゴ大学のジョージ・スティグラー博士が研究し、1982年にノーベル経済学賞を受賞した。
〔 「規制の虜」は、政府の失敗であると定義されている。
 政府は、国民を守るために必要な規制を産業界等に入れなければいけない。だが、規制機関が「規制の虜」になると、被規制産業の利益の最大化に傾注するよう、コントロールされてしまう。結果的にそれは、国民を守らなかった政府の失敗である。〕

●全米科学アカデミー(p36)
 1863年、リンカーン大統領が、ゲティスバーグの演説の後に発足させた。「政府のいろいろな政策についてアドバイスをください。」
 誕生の時から、政策にアドバイスできるマンデイト(委任された権限)を持っていた。
 現在、政府の要請によるもの、よらないものを含めて年間100本ほどの報告を出している。

●単線路線のエリート(p156)
〔 この20年、日本は経済成長できず、グローバル時代というパラダイムの大変換に対応できないままだ。その理由は、組織内の統治が「自分が上にいる時は危険を冒したくない」という人ばかりによってなされているからだと思う。福島第一原発事故により、こうした日本社会のガバナンスの弱さがすべて露わになった。国家全体としての信用が落ちているのは明らかだ。
 「単線路線のエリート」は、いわば縦にしかシナプスがつながっていない。そういう人たちは、問題を先送りしがちだ。役所の場合、特にキャリアと言われるエリートは、2年ごとにポストが変わり誰も責任を取らない、という仕組みが巧妙に作られている。皆、自分の任期の間は何とか責任を逃れようと無意識に思っている。
 政治家や役人の無責任体質は、3・11後も変わっていない。〕

●土着体質(p232)
〔 大きな世界の流れの中で、なぜ、日本は変われないのか。なぜ、失敗に学ばないのか。
 それは、江戸時代から続く「土着体質・鎖国体質」と、明治維新後の「西洋のいいとこ取り」――さまざまな社会制度やシステムの「形」だけ真似て、それを動かしている「精神」や[哲学]を学ばない――という精神構造のせいではないかと、私は思っている。
 いったん入った組織からずっと動かない「単線路線のマインドセット」は、江戸時代にできたものだろう。江戸時代は生まれた家や藩の範囲内でしか人が動かなかったし、17世紀半ばに完成した鎖国により西洋の事情もわからなかった。そのため、ずっと同じ場所にいるのが当たり前だと思い込むようになった。〕

(2016/8/20)KG

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日本語を作った男 上田万年とその時代
 [言語・語学]

日本語を作った男 上田万年とその時代

山口謠司/著
出版社名 : 集英社インターナショナル
出版年月 : 2016年2月
ISBNコード : 978-4-7976-7261-9
税込価格 : 2,484円
頁数・縦 : 549p・20cm


 明治期、言文一致の日本語を作ることに執念を燃やした上田万年(かずとし)を中心に、この時期の日本語事情を論ずる大著。「研究、教育、政治という与えられた三つの術を使って、万年は、言文一致を行おうとして旗を振った。」(p.4)

【目次】
第1部 江戸から明治~混迷する日本語
 第1章 明治初期の日本語事情
 第2章 万年の同世代人と教育制度
 第3章 日本語をどう書くか
 第4章 万年、学びのとき
 第5章 本を、あまねく全国へ
 第6章 言語が国を作る
 第7章 落語と言文一致
第2部 万年の国語愛
 第8章 日本語改良への第一歩
 第9章 国語会議
 第10章 文人たちの大論争
 第11章 言文一致への道
 第12章 教科書国定の困難
 第13章 徴兵と日本語
 第14章 緑雨の死と漱石の新しい文学
 第15章 万年万歳 万年消沈
 第16章 唱歌の誕生
 第17章 万年のその後

【著者】
山口 謠司 (ヤマグチ ヨウジ)
 大東文化大学准教授、博士(中国学)。1963年、長崎県生まれ。大東文化大学文学部卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。専門は中国および日本の文献学。

【抜書】
●上田万年(p22)
〔 上田万年(一八六七~一九三七)、言語学者、国語学者、東京帝国大学国語研究室初代主任教授、国語調査委員会主事。東京帝国大学名誉教授。ドイツに官費留学し言語学を修める。バジル・ホール・チェンバレンの弟子。万年の弟子には新村出、橋本進吉。小説家・円地文子の父。著書に『国語のため』『国語のため2』(いずれも冨山房刊、現・平凡社東洋文庫所収)などがあり、墓地は谷中霊園にある。〕
 明治18年、東京大学(翌年、「帝国大学」に改称)に入学。漱石は、明治23年の入学。

●慶応3年生まれ(p25)
 慶応3年(1867)に生まれた人たち。
 上田万年、夏目漱石、斎藤緑雨、尾崎紅葉、正岡子規、幸田露伴、宮武外骨、南方熊楠。

●謡曲(p32)
 江戸時代、参勤交代で地方からやってきた大名たちには、謡曲(能楽)という共通の教養があった。それが彼らの共通語だった。
 謡(うたい)を謡うための発音の仕方を説明した本も出版されていた。謡の内容は中国古典と日本文学を元にしたもので、語彙も漢語から和歌に使われる洗練された大和言葉で占められ、「候文」で記されている。
 元和卯月本(げんなうづきぼん)と呼ばれる江戸元和6年(1620)に出版された百番の謡本は、大名家で必ず持っているものであった。

●教導職(p35)
 明治5年、神祇省を廃止し、神宮祭主近衛忠房、出雲大社大宮司千家尊福、東本願寺法主大谷光勝、西本願寺法主大谷光尊を「教正」として、その下に「教導職」を置いた。
 教導職……言葉を含め、生活の根底にある思想を、西洋列強に対抗できる「近代」的なものにするための機関。その思想は、キリスト教に匹敵する「一神教」でなければならない。
 教導職は、大衆に向かって、天皇を万世一系の神として崇めること、そして「国」というのがこれまでの「藩」ではなく、「日本」を表すこと、身を粉にして国と天皇に尽くすことを説教する役職だった。
 三条教則……敬神愛国、天理人道の明示、皇上奉戴と朝旨遵守。

●新島襄、内村鑑三(p51)
 新島襄(1843‐1890)や内村鑑三(1861‐1930)は、日本語を話すことはできても、日本語で書かれたものを読解することはほとんどできなかった。英訳本か、本を読んでもらうことでようやく耳から理解した。

●明六社(p52)
 明治6年、森有礼、西村茂樹を発起人とし、福沢諭吉、西周、仲村正直、加藤弘之、外山正一などが会員となり、明六社を興し、翌明治7年、『明六雑誌』を創刊した。わが国最初の学術雑誌。
 森有礼、西周らは、日本語ローマ字化論。外山正一は漢字廃止論。

●外山正一(p53、p79)
 万年より2歳年上。
 14歳の時に蕃書調所(のちの洋書調所、開成所)に入学し、英語を修める。午後3時に授業が終わると、湯島天神下にあった箕作貞一郎(麟祥)の塾に通って英書の講読を受け、さらに大岡芳之助という人を呼んで個別の指導を仰いだ。
 16歳で開成所の教員となり、慶応2年、イギリス公使パークス、勝海舟の推挙によって、中村正直らとともに幕府派遣留学生としてイギリスに留学。幕府瓦解によって慶応4年4月に帰国。
 明治3年、外務省弁務少記として渡米、辞職してミシガン大学に入学、哲学と化学を専攻。5年におよぶ学究によって、「社会学」という日本になかった新しい学問を身につけて帰国。「スペンサー輪読の番人」と呼ばれ、自由民権運動の思想的な支柱となる「社会進化論」「社会有機体説」などを我が国に紹介した。
 帰国後、官立東京開成学校で社会学を教える。明治10年、開成学校が東京大学に改編され、教授兼文学部長に。イギリスの言語学者チェンバレンを教師に迎える。万年の人事にも深く関わる。

●チェンバレン(p96)
 バジル・ホール・チェンバレン、1850‐1935。
 父は海軍将校。6歳の時に母が死に、パリに住む伯母のもとで育つ。フランス語、ドイツ語を覚える。17歳、1年間スペインで過ごし、スペイン語を身につける。
 オックスフォード大学に進学して古典学を学びたかったが、父の勧めでバーリングス銀行に就職。しかし間もなく、神経を病んだため退職。
 銀行を辞めた後、地中海沿岸を旅行し、ラテン語、ギリシャ語など、11か国語をマスターした。
 明治6年、22歳で、療養のために来日(日本を離れるのは60歳)、日本語を学ぶ。古典、方言、文字など、日本語に関してあらゆる方面から質の高い研究を行う。
 明治7年~15年、海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で英語を教える。
 明治16年(1883)、『古事記』の英訳。
 明治19年、35歳、帝国大学和漢文学科及び博言学科(新設)の教師に任命される。この年、アイヌ語の研究に着手する。三冊のアイヌ関連の文書の目録を作成。民話を採集し、『アイヌ民話』にまとめる(1888年)。
 万年は、チェンバレンの日本語の文法の講義に触発され、日本語研究を志すようになる。
 『朝鮮・琉球航海記』(岩波文庫)の著者バジル・ホールは母方の祖父。

●広文庫(p115)
 『広文庫』……物集高見が編纂した、明治以前の古典文献の串刺し検索、索引集。大正7年(1918)に完成。全20冊、1冊平均600ページ以上。
 息子の物集高量、明治39年(1906)、朝日新聞主催の第1回懸賞小説に「罪の命」を応募、第一席の当選となる。賞金500円(現在の1千万円相当)は、父の『広文庫』のために使われてしまった。しかし、この賞により、高量は大阪朝日新聞に入社し、夏目漱石の『虞美人草』連載の編集担当となる。

●東京書籍出版営業組合(p158)
 明治17年11月、政府は、各種産業の助成を行うため、「同業組合」の設立を奨励する「同業組合準則」を通達。
 明治20年11月、「東京書籍商組合」(明治13年12月設立)と「地本錦絵営業組合」(明治14年3月設立)が合併し、「東京書籍出版営業組合」創立。出版と販売、取次の三者が一体となった組合。

●速記(p220)
 日本の速記は、岩手出身、田鎖(源)綱紀(たくさり・みなもと・こうき、1854‐1938)が、明治5年ごろ、独力で発明。米国のグラハム式を日本語に応用したものであるとされる。明治15年10月28日、「日本傍聴筆記法講習会」を立ち上げた。第1回卒業生に、若林玵蔵(かんぞう)。
 若林、明治17年、初代三遊亭円朝の落語を速記で起こし、本にした。『怪談牡丹灯籠』。
 速記では、日本語の発音を「単音」「複音」に大別。方言も含め、日本語は、205音ですべて写し取ることができる。丸山平次郎『ことば乃写真法(一名筆記学楷梯)』大阪森玉林堂、1885年。

●『帝国文学』(p259)
 明治28年(1895)1月、『帝国文学』創刊。発起人並びに役員として、井上哲次郎、上田万年、三上参次、高津鍬三郎、芳賀矢一ら、帝国大学出身が名を連ねる。会員には、「高等師範学校講師大学院学生文学士 夏目金之助」も。
 明治24年10月創刊の『早稲田文学』に対し、官学風・高踏的立場から論説・詞藻・雑録・文学史料・雑評を載せる。
 大正9年(1920)1月に廃刊。

(2016/8/13)KG

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敗者烈伝
 [歴史・地理・民俗]

敗者烈伝

伊東潤/著
出版社名 : 実業之日本社
出版年月 : 2016年5月
ISBNコード : 978-4-408-53684-2
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 324p・19cm


 古代から近代まで、歴史の中で敗者となった男たち25名、そして勝者となった男たち4名を取り上げ、通史的に俯瞰する。
 「敗者烈伝」は、『月刊ジェイ・ノベル』2013年9月号~2015年8月号、2016年5月号掲載。さらに改訂版を『産経新聞』2014年4月3日~2016年2月4日(朝刊)に掲載。
 「勝者烈伝」は、『産経新聞』2016年2月25日~3月31日(朝刊)に掲載。
 いずれも、単行本化にあたり、加筆修正。

【目次】
第1章 古代・平安・源平
 古代 蘇我入鹿―頂点から一気に没落した国際派
 平安 平将門―調子に乗りすぎた野心家
 平安 藤原頼長ー厳格に過ぎた摂関政治の護持者
 源平 平清盛ー事を急ぎ過ぎてすべてを失った独裁者
 源平 源義経ー己の力量を過信した天才武将
 コラム勝者烈伝 源頼朝ー恐妻家の墓穴

第2章 南北朝・室町
 南北朝 高師直―建武の新政をぶち壊した婆娑羅者
 南北朝 足利直義―愚兄への甘えから墓穴を掘った賢弟
 南北朝 足利直義―愚兄への甘えから墓穴を掘った賢弟
 室町 太田道灌―己の手腕を恃みすぎた大軍略家

第3章 戦国・江戸
 戦国 今川義元―一瞬の油断が命取りになった海道一の弓取り
 戦国 武田勝頼―人間洞察力に欠けた最強の侍大将
 戦国 織田信長―己を克服できなかった史上最強の英傑
 戦国 明智光秀―白と黒の二面性を併せ持った謀反人
 戦国 北条氏政―慎重さが足枷となった名家の四代目
 戦国 豊臣秀次―独裁者に操られた悲劇の後継者
 戦国 石田三成―有能でありながら狭量の困った人
 江戸 豊臣秀頼―時代の波に押し流された賢き人
 江戸 天草四郎―勝算なき戦いに駆り出された美少年
 コラム勝者烈伝 徳川家康―敵を知り、己を知れば――

第4章 幕末・明治
 幕末 松平容保―将軍に利用されて捨てられたお殿様
 幕末 徳川慶喜―思いつきで動き回って自滅した小才子
 幕末 大鳥圭介―最後まであきらめない理系指揮官
 幕末 榎本武揚―薩長政府に徹底抗戦した気骨の人
 明治 江藤新平―正義を貫きすぎた硬骨漢
 明治 西郷隆盛―肥大化した人望にのみ込まれた人格者
 明治 桐野利秋―西郷への敬愛に殉じた最後の志士
 コラム勝者烈伝 大久保利通―そして誰もいなくなった

【著者】
伊東 潤 (イトウ ジュン)
 1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。『国を蹴った男』(講談社)で第34回吉川英治文学新人賞を、『巨鯨の海』(光文社)で第4回山田風太郎賞と第1回高校生直木賞を、『峠越え』(講談社)で第20回中山義秀文学賞を、『義烈千秋 天狗党西へ』(新潮社)で第2回歴史時代作家クラブ賞(作品賞)を、『黒南風の海―加藤清正「文禄・慶長の役」異聞』(PHP研究所)で本屋が選ぶ時代小説大賞2013を受賞。

【抜書】
●御成敗式目(p108)
 室町幕府は、統一政権としての存在意義が希薄だった。
 法令は北条泰時が貞永元年(1232)に定めた御成敗式目に倣っているだけ。組織も鎌倉幕府を踏襲したものに過ぎない。
 北条一族に代わり、足利一族が武士たちの所領と権益を守るために樹立した政権。
 三管領……足利氏親類衆。細川、斯波、畠山
 四職(ししき)……山名、赤松、一色、京極

●本能寺の変(p164)
 武田家が滅亡し、家康は、駿河一国を拝領する。しかし、家康は信長にとって不要の存在になっていた。
 天正10年(1582)5月15日、家康は少ない供回りだけで安土城を訪問。
 信長は、そこで光秀に家康を殺させるつもりだったが、光秀は拒否、そのために足蹴にされた?
 しかし、光秀は野盗か野伏りを装って家康を襲撃することを提案?
 信長は、備中への出陣で大わらわの安土では饗応が十分にできないからと、家康に京都行きを勧める。家康は、おそらく信長の命により、京都、大阪、堺を巡回。同行していた穴山梅雪は、家康と別行動を取ったため、野盗の襲撃にあって落命。家康と体形が似ていたので、間違えられた?
 5月29日(末日)、信長は備中への後詰のために入洛。6月2日の朝、家康は信長の命で京都に向かう。
 信長は、本能寺に家康を招き入れ、自分が抜け出した後に光秀に襲わせようとした?
 しかし、何かの手違いが生じ、家康が入る前に本能寺を襲ってしまった??
 光秀は、信長ではなく、家康を殺すために本能寺を襲ったという説。そうであれば、「本能寺の変」後の計画性のなさの説明がつく。

●豊臣秀頼(p212)
 慶長16年、18歳の秀頼と二条城で会見した家康は、腹心の本多正純に「秀頼は賢き人なり」と言った(『明良洪範』)。秀頼は、家康を前にしても物怖じしない、堂々たる人物だった。
 秀頼は、6尺5寸(約197cm)の大兵(だいひょう)だった(同)。

●征韓論(p298)
〔 誤解してほしくないのは、征韓論とは、大人しくしている朝鮮国を日本が征服しようとしたのではなく、朝鮮国が侮辱的な外交姿勢で日本を挑発したことに起因する。
 明治六年(一八七三)五月、朝鮮国は、日本公館への生活物資の供給及び同館に出入りする日本人商人の貿易活動を規制してきた。
 朝鮮政府の言い分としては、貿易は対馬商人だけという江戸幕府との取り決めに、日本が違反したというのである。しかしそれは建て前であり、これまでは黙認してきたことを突如として禁じるのはおかしい。さらに日本を「無法之国」と罵ったので、これは「朝威を貶め、国辱にかかわる問題」だとされた。〕
 板垣退助ら強硬派「すぐにでも居留民保護の名目で軍隊を送るべし。」
 西郷「陸海軍を送る前に、まずは使節を派遣し、公理公道をもって談判すべきである。派兵すれば必ず戦争になる。初めにそんなことでは、未来永劫、両国の関係にひびが入る。それゆえ、断じて出兵を先行させてはならぬ。」
 西郷自ら使節となり、朝鮮に赴くと主張する。つまり、西郷は征韓論者ではなかった。

(2016/8/7)KG

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居酒屋の世界史

居酒屋の世界史 (講談社現代新書)

著作者: 下田淳/著
レーベル名: 講談社現代新書
出版社: 講談社
発行年月: 2011年10月
ファイル容量: 3.2MB
税込価格: 648円


 「農村への貨幣経済の浸透」「居酒屋の多機能性」「棲み分け」という3つのキーワードをもとに、古今東西、世界の居酒屋事情を紹介する。

【目次】
通史編
 第1話 古代オリエント・ギリシア・ローマ―居酒屋の誕生期
 第2話 ヨーロッパ中近世―居酒屋の最盛期
 第3話 ヨーロッパ近現代―居酒屋の衰退期
 第4話 イスラム圏の居酒屋
 第5話 中国・韓国の居酒屋
 第6話 日本の居酒屋
テーマ編
 第7話 教会と居酒屋
 第8話 売春と居酒屋
 第9話 芸人と居酒屋
 第10話 犯罪・陰謀と居酒屋

【著者】
下田 淳 (シモダ ジュン)
 1960年生まれ。青山学院大学文学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。ドイツ・トリーア大学歴史学科退学。博士(歴史学)。現在、宇都宮大学教育学部教授。専攻はドイツ史。

【抜書】
●ワイン醸造
 ワイン醸造は、BC7000~5000年ごろに、コーカサス山脈南麓で始まった(内藤道雄『ワインという名のヨーロッパ』八坂書房、2010年、p29)。
 南方にメソポタミアがあり、ワイン、ビールともメソポタミア文明で最初に普及した。

●蒸留酒
 BC4000~3000年ごろ、メソポタミアの北部で簡単な蒸留器が見つかっている(トム・スタンデージ『世界を変えた6つの飲み物――ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史』新井崇嗣訳、合同出版、2007年、p103)。

●水割り
 ギリシャでは、ワインを水やお湯で薄めて飲むのが上流階級の「マナー」だった。原酒で飲むのは、北方の蛮族スキタイ人のやることと、軽蔑された。
 スパルタで痛飲しようとするときは、「スキュティア式に注いでやれ」といった。ヘロドトス『歴史』による。
 スキタイ人……黒海北方に広がっていた遊牧民。一部はスラヴ人の祖先と考えられている。
 このマナーは、ローマ人にも引き継がれた。
 薄めて飲んだのは、泥酔が、哲学的議論の妨げになるとみなされたから。ほどほどの酒ならば良い。

●16世紀
 ヨーロッパで居酒屋が増加するのは16世紀前後。
 理由は、この時期に、貨幣・商品経済が著しく発展したこと。教会で酒が飲めなくなったこと。
 宗教改革により、聖俗の区別が厳しくなり、俗なる機能を居酒屋に移した。
 居酒屋は、民衆にとって不可欠の存在。コミュニティセンター、娯楽の場、商取引の場、金貸し、祭り・冠婚葬祭の宴会の場、巡礼宿など、多様な機能を果たした。「多機能性」は、もともと教会が持っていた。それを居酒屋が引き継いだ。
 古代と異なり、12世紀以降のヨーロッパでは、農村にも居酒屋が作られ、都市や街道沿いの居酒屋以上に「多機能性」を持った。農村の居酒屋の普及は、貨幣経済の農村への浸透を意味する。
 上流階級の飲酒の場は、古代と同様、基本的に自宅だった。しかし、ロンドンなどイギリスの大都市では、タヴァンと呼ばれたワイン居酒屋が、上流階級のものとして16世紀には成立していた。大陸では、上流階級が外で飲むようになったのは18世紀。

●修道院
 フランスでは、最初は教会や修道院が自らワインやビールを作っていた。それが居酒屋に発展していった。
 ミサにはワインがつきもの。
 1098年、ブルゴーニュの森に創設されたシトー修道院は、典礼よりも苦行や謙遜、清貧、瞑想、労働を重視した。そして、ブドウ畑の開発にも精を出した。シトー系修道院は各地に拡がり、それがブルゴーニュ・ワインのもととなった。
 サン・フィリベール・ド・グランリュー修道院の中庭の前にワイン居酒屋があった。

●ワインの大衆化
 中近世においてワインは農民にとって贅沢品だった。ワインが大衆化したのは18世紀になってから。居酒屋の数も激増した。パリでは、1789年に1,500~2,000軒あった。
 それまでは、居酒屋でビール、シードル(リンゴ酒)、あるいは混ぜ物をしたワインなどを飲んでいた。

●純粋令
 1516年、バイエルン公ヴィルヘルム4世は、ビール令すなわち「純粋令」を発布した。
 「ビールは、ホップ、麦芽、水だけで製造しなければならない」。当時は酵母の機能が知られておらず、近代になって純粋令に酵母も加えられた。
 この原則は全ドイツに適用され、現在まで遵守されている。ただし、法的には1987年の当時のEC規定で失効。

●賃金の受け取り
 19世紀のフランスでは、労働者が居酒屋で賃金を受け取る慣行があった。
 たとえば港湾労働者。陸揚げ請負業者は半日のお勤め単位で作業員を居酒屋に募集に行き、1、2杯おごる。仕事が終わると賃金の代わりにメタルコインを渡す。これは居酒屋で換金しなければならなかった。居酒屋は換金手数料を取り、労働者はまたそこで飲んだ。

●週払い
 賃金の週払いという給金システムは、19世紀になって登場。土曜日に、職人や労働者は1週間分の賃金をもらうようになった。住み込みから通いの労働者へ。
 それ以前は、都市の徒弟・職人や農村の使用人は年季奉公。1年に1回、給金をもらっていた。あるいは日雇労働。
 労働者は土曜日に賃金をもらい、酒を飲んだ。日曜日も飲んだ。月曜日も二日酔いで仕事に行く気がせず、あるいはまた飲むためにずる休みをした。「聖月曜日」。

●キャバレー「黒猫」
 1881年、パリのモンマルトルに最初の近代的キャバレー「黒猫」が、画家で詩人のロドルフ・サリによって設立された。繁盛し、1885年に移転。3階建ての大型新店舗で上演された影絵芝居は、目玉商品となった。巨大なスクリーンが設置されていた。
 詩人、音楽家、作家、画家など芸術家の作品を披露する場としてのキャバレー。「文芸酒場」。
 音楽カフェが大衆娯楽の場とするなら、キャバレーは前衛的あるいは新進の芸術のお披露目場。

●ホーフブロイハウス
 ドイツで有名な居酒屋。ミュンヘンの「ホーフブロイハウス」。
 もともとバイエルン王家の醸造所だった。19世紀になると一般に開放され、居酒屋に。
 1920年2月、ヒトラーが2,000人の聴衆の前で演説、「国民社会主義ドイツ労働者党」(ナチス)が成立。

●禁酒運動
 キリスト教は飲酒に甘い。ミサでは聖職者がワインを飲んだ。
 宗教改革者ルターやカルヴァンも、禁酒を説いたことはない。
 近現代になって禁酒運動が展開されるようになったのは、蒸留所の普及が原因。18世紀末から19世紀前半にかけ、大量生産可能な蒸留器が開発された。そして、欧米の労働者にアルコール依存症が増えた。
 強いスピリッツの下層階級への普及こそ、禁酒運動のきっかけだった。

●フットボール
 1888年、イギリスで禁酒主義者のマッグレガーが「フットボール連盟」を設立、土曜の午後にフットボールの試合を組んで人々を居酒屋から遠ざけようとした(飯田操『パブとビールのイギリス』平凡社、2008年、p182)。

●アラック
 アラブ人は、酒を水で割って飲んだ。現在でも、水を入れると白濁する「アラック」という蒸留酒が知られている。乾ブドウ、なつめやしなどの焼酎。

●コーヒー
 コーヒー豆の原産地はエチオピア。
 コーヒー(カフワ)は、15世紀中葉にアフリカからアラビア半島に伝わった。コーヒー使用の起源はイエメンのスーフィー教団。
 最初コーヒーは、寺院で用いられた。礼拝の際にコーヒーを飲んだのは、覚醒作用があったから。
 最初のカフェは、16世紀初頭、アラビアで設立された。

●ギャラ
 出演料を意味するギャラ(ギャランティ)は、もともと「担保、抵当」という意味。
 放浪の芸人は定住せず、居酒屋が一時しのぎの宿となった。そこで芸を披露。近隣の村にまで噂が広がり、客が集まった。人々は居酒屋で芸人を探し、冠婚葬祭、祭り用に雇った。
 芸人は居酒屋に質草を預けた。質草を出すためにそこで芸を披露し、お金を稼いだ。

(2016/8/6)EB

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危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告
 [社会・政治・時事]

危険な沖縄 親日米国人のホンネ警告
ケント・ギルバート/著 ロバート・D・エルドリッヂ/著
出版社名 : 産経新聞出版
出版年月 : 2016年2月
ISBNコード : 978-4-8191-1276-5
税込価格 : 1,404円
頁数・縦 : 261p・19cm


 知日家、親日家の二人のアメリカ人による、沖縄論。
 中国の脅威が増している今、沖縄の戦略的重要性がますます高まっている。

【目次】
序章 沖縄は被害者意識を、本土は加害者意識を捨てよ!
第1章 沖縄は二紙がつぶれたら正常化する
第2章 そもそも沖縄問題は存在しない
第3章 本当は解決を望んでいない基地問題
第4章 「翁長」「中国」「沖縄」の関係
第5章 「日米同盟を維持」は不愉快
第6章 平和安全法制と「トモダチ作戦」
第7章 アメリカは靖国に口を出すべきでない
第8章 日本の品格は外交の武器になる

【著者】
ギルバート,ケント (Gilbert, Kent)
 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年生。

エルドリッチ,ロバート・D. (Eldridge, Robert D.)
 1968年、米ニュージャージー州生まれ。90年に米国バージニア州リンチバーグ大学国際関係学部卒業後、文部省JETプログラムで来日。99年に神戸大学法学研究科博士課程後期課程修了。政治学博士号を取得。01年より大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授。09年、在沖米海兵隊政務外交部次長に就任。15年5月同職解任。

【抜書】
●米兵による犯罪率(p84、ロバート)
 米軍関係者の刑法犯は、米軍関係者の人口比率で0.07%。沖縄県全体では0.25%。2013年。
 〔沖縄県の犯罪率を減らそうと思ったら、米軍関係者の人口を増やせばいい。つまり米兵の犯罪率は、沖縄に住む日本人の犯罪率よりも圧倒的に少ないのです。〕

●ニューヨーク市(p95、ケント)
 ニューヨークは、いまや安全な街になった。1994‐2001年に市長を務めたルドルフ・ジュリアーノの功績。
 彼は、まず、小さな犯罪をどんどん取り締まった。たとえば、信号無視の歩行者に対して違反切符を切った。それを続けることによって、法律を遵守しなければならないというメッセージを伝えることになった。
 ドラッグに関しても、それまで〔放し飼いにしていた〕末端の使用者をどんどん取り締まるようになった。その結果、ドラッグに手を出す人が激減した。

●勝連半島(p120、ロバート)
 普天間基地の移設は、辺野古ではなく、沖縄東部の勝連(かつれん)半島を提案した。「勝連構想」、通称「ホワイト・ビーチ」。
 半島の近くの浮原(うきばる)島には、すでに自衛隊と米軍が訓練場として共同で活用している。
 浮原島と南浮原島という二つの島の間を埋め立て、飛行場や倉庫をはじめ、那覇軍港(那覇港湾施設)の機能を合わせた「集約基地」を作ればいい。滑走路も、3,000mのものを2本作ることができる。
 自衛隊の基地とし、共同施設に。米軍はテナント。
 一番近い住宅地でも約3km離れている。海の深さも数メートル、埋め立てるのも簡単。
 埋め立てに1年、工事に2年、環境アセスメントは法律で3年と定められているので、6年で完成する。
 この近辺の海はほとんど“死んでいる”ので、特別措置で環境アセスメントの期間を短縮できるかもしれない。
 しかし、提案は受け入れられなかった。勝連に人工島があり、そこに石油タンクが設置されている。この人工島を作った地元の人が「勝連構想」を提唱した。彼は沖縄で会社を経営している。そのライバル会社が勝連構想に異を唱え、辺野古移設を推し進めた。

●日本人の素晴らしさ(p245、ケント)
〔 真面目、誠実、律儀、努力家、親切、優しさ、思いやり。
 協調性、義理人情、謙虚、礼儀、我慢、潔さ、内省的、恥を知る、几帳面、丁寧。
 こだわり、おもてなし、時間を守る、約束を守る、空気を読む、清潔、気配り……。〕

(2016/8/3)KG

〈この本の詳細〉


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