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一流プロ5人が特別に教えてくれたサッカー鑑識力
 [スポーツ]

一流プロ5人が特別に教えてくれたサッカー鑑識力

大塚一樹/著
出版社名 : ソル・メディア
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-905349-27-3
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 235p・19cm


 サッカー観戦に「倦怠期」を迎えている人のために、サッカーのプロフェッショナル5人から伝授された、よりレベルアップした視点(鑑識力)を提供する。
 その5人は、選手、監督、クラブ経営者、ゲーム分析アナリスト、通訳と多士済々。違った立場からサッカーを観る視点が新鮮である。

【目次】
第1章 現役選手の目線―中村憲剛 川崎フロンターレ(2010年FIFAワールドカップ日本代表)(p16‐55)
 試合中に斜め上から見ている感覚は、どうすれば掴めるのだろうか
 事前情報はしっかり頭に入れて、本番ではリアルな情報を重視する
  ほか
第2章 現役監督の目線―城福浩(FC東京監督、元U-17日本代表監督)(‐p101)
 観る前に理解しておくべき“ベーシック”の重要性
 万国共通のベーシックの上には、マイフェイバリットが積み重なる
  ほか
第3章 クラブ経営者の目線―大倉智(いわきFC代表取締役、元・湘南ベルマーレ代表取締役社長)(-p141)
 プロセス至上の異色の経営者。サッカーの見方は単純明快だ
 理念を持っているのが片方だけだと、ハラハラドキドキの好ゲームは生まれない
  ほか
第4章 アナリストの目線―白井裕之(アヤックスアカデミーのパフォーマンス・ゲーム分析アナリスト)(‐p179)
 主観ではなく客観的な眼差しこそ、サッカーアナリストのまさに肝
 オランダのアナリストたちが問題発見に用いる「ゲーム分析」とは?
  ほか
第5章 オシムの目線に学んだ愛弟子―間瀬秀一(ブラウブリッツ秋田監督、イビチャ・オシム氏の元通訳)(‐p229)
 オシムの思考を先読みすべく、こだわったのが目線の共有
 オシムが求めていたのはトレーニング中の戸惑い
  ほか

【著者】
大塚 一樹 (オオツカ カズキ)
 1977年新潟県長岡市生まれ。大学在学中から作家・スポーツライターの小林信也氏に師事。独立後はさまざまな分野の執筆、編集、企画に携わる。

【抜書】
●斜め上(p16)
 試合中、斜め上からの視点でピッチ上の動きを見ている。
 「自分の目線が、ピッチレベルより少し高いところまで伸びているイメージですね。昔あったテレビゲームのリベログランデ(注:一人称視点を採用したサッカーゲーム)の画面を思い浮かべてもらうとわかりやすいかもしれません。ああいう視点に脳の中で変換されているんです」
 「ボールを持っていないときは360度どこでも自由に見られますよね。でも、ボールが来た瞬間の視野は違います。トラップ技術で大きく変わってくるんです」
 「トラップの精度によって“ヘッドアップできる時間”の長さが大きく変わります。」
 「大切なのは“意識”です。いくら技術があっても、近いところしか見ようとしない選手には近くしか見えません。遠くを見ようとする意識があれば、視野は広がります」
 「実際にできるだけ遠くを見るのが、一つの方法でしょう。具体的にはゴールですよね。サッカーの目的は点を取ることです。最初に見るべきなのは、相手が絶対に行かせたくないところ、つまりゴールです。そこから徐々に選択肢を変えていきます」
 「試合のあと、映像で自分のプレーを確認するんです。映像とピッチレベルで実際に見た情報を、すり合わせていく感覚ですね。上からの視点で観ると、ピッチレベルでの見え方とは違った選択肢がたくさん見つかります。どうしてあの選択をしたのか、もっと良いプレーができたんじゃないか、検討するわけです」(p46)
〔 こうした記憶と映像のすり合わせを継続してきた賜物が、斜め上からの視点なのだろう。〕

●バルセロナ(p26)
 試合観戦をさらに堪能するために、テレビで伝わりにくい事情を想像する。
 「僕の好きなバルサの試合だって、もっと楽しめます。バルサの対戦相手はピッチに水を撒かないし、そもそも芝生をカットしないで長いままにしておきます。そうやって、パスサッカーを少しでも封じようとするわけです。バルサが何となくやりにくそうに映る試合ってありますよね。それでも勝ってしまうのが、バルサのすごいところですけど(笑)」

●サッカーの構造(p155)
 オランダサッカー協会は、サッカーをシンプルに理解するために、その構造を明示している。「チームファンクション」「チームタスク」「チームオーガニゼーション」という組織的な構成要素に、個人レベルの「サッカーのアクション」を加えて完全なサッカーとなる。
◆チームファンクション
 サッカーにおけるプレーの目的を4つに大別。
 ① 攻撃
 ② 守備
 ③ 攻撃から守備への切り替え
 ④ 守備から攻撃への切り替え
◆チームタスク
 チームファンクションを具体的な行動に分ける。
 《攻撃的タスク》
  ① ビルドアップ:ゴールキックまたはGKからのパスから、シュートチャンスを作るまで
  ② 得点をする
 《守備的タスク》
  ③ 敵のビルドアップの妨害
  ④ 失点を防ぐ
 ゲーム分析は、どのチームファンクション、どのチームタスクを実行中かのチェックから始まる。
◆チームオーガニゼーション
 チームファンクションとチームタスクを実践するために使う、システムやフォーメーション。選手のポジションとタスクを明確にするための手段。
 オランダにおける基本のチームオーガニゼーションは三つ。1-4-3-3、1-4-4-2、1-5-3-2。他はバリエーション。たとえば、アヤックスの1-3-4-3は、1-4-3-3の派生。センターバックの一人が中盤に上がった形。
◆サッカーのアクション
 オランダの指導現場では、数年前から、主観的なテクニックという言葉を使わなくなった。「サッカーのアクション」という言葉に置き換えて、より明確に細分化している。「攻撃のサッカーのテクニックはできている」「守備のサッカーのテクニックはまだまだ」という具合。
 メインアクション……目に見える人間のプレー動作。パス、シュート、ヘディング、ドリブル(以上オンザボールのプレー)、フリーランニング、プレッシング、マーキング、カバーリング(以上オフザボールの動き)、など。メインアクションは、①ポジション、②モーメント(タイミング)、③スピード、④方向、の四つの指標で分析。
 サポートアクション……目に見えない「判断」。状況をしっかり把握して適切なプレーを選択する能力、ゲームレベルで円滑なコミュニケーションを取れる能力、など。

(2016/9/28)

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田中角栄と安倍晋三 昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体
 [社会・政治・時事]

田中角栄と安倍晋三 昭和史でわかる「劣化ニッポン」の正体 (朝日新書)

保阪正康/著
出版社名 : 朝日新聞出版(朝日新書 567)
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-02-273667-3
税込価格 : 842円
頁数・縦 : 261p・18cm


 激動の昭和、それを引き継ぐ平成。われわれは、昭和の教訓を生かし、平和で住みやすい時代を築いているのだろうか。そんな疑問に、著者は「否」をつきつける。
 もっとも大きな要因は、政治家の「劣化」か。民主主義にとって重要な議論を避ける風潮。ここに危機感を覚える。「歪んだデモクラシーのあとにやってくる」というファシズムの足音が……。

【目次】
序章 昭和から平成へ―「7・5・3の法則」
第1章 昭和天皇と今上天皇―戦争の清算
第2章 田中角栄と安倍晋三―系譜の相克
第3章 政治劣化の元凶―55年体制と小選挙区制の陥穽
第4章 青年たちの反乱―2・26事件から地下鉄サリン事件へ
第5章 戦間期の思想―魔性の科学者
終章 「田中角栄」からの批判

【著者】
保阪 正康 (ホサカ マサヤス)
 1939年、北海道生まれ。同志社大学文学部社会学科卒。ノンフィクション作家。「昭和史を語り継ぐ会」主宰。昭和史研究で第52回菊池寛賞受賞。

【抜書】
●7・5・3の法則(p14)
 7・5・3の法則、もしくは7・5・3の公理……平成の「いま」を考えるとき、昭和から何が変わり、何が変わらなかったのか。昭和が「因」となり、平成の時代に「果」となっているものの法則、公理。
《現在の政治・社会の状況》
 ① 戦争観の変化(戦場体験世代の少数化)
 ② 政治家の劣化、政治状況の閉塞化
 ③ 討論や議論を重視する習慣の希薄化
 ④ 感覚的、扇動的言動の公然化
 ⑤ 社会での人間関係の無機質化
 ⑥ 紙文化の衰退、ネット文化への移行
 ⑦ 手づくりの文化と伝統の衰退
《7つの特徴を解きほぐす鍵となる視点》
 ① 55年体制の崩壊・小選挙区の導入
 ② 3・11などの災害史観
 ③ 昭和天皇と今上天皇
 ④ 超高齢社会の到来
 ⑤ 情報社会におけるリテラシー
《歴史の上で試されていること》
 ① ファシズムは歪んだデモクラシーのあとにやってくる
 ② 偏狭なナショナリズムは社会正義の装いでやってくる
 ③ 復讐心が生みだす「戦間期の思想」が形に表れてくる

●君主制(p41)
 明治天皇……君主制下の軍事主導体制。
 昭和天皇……君主制下の軍事主導体制を範とし、戦後になっても「君主制下の民主主義体制」という意識が抜け切らなかった。
 平成天皇……戦後民主主義下の君主制。「戦争否定」を前提に据えている。

●本を読まない人の三つの特徴( p65)
 1.形容詞や形容句を多用する。
 2.物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しない。
 3.どんな話をしても5分以上もたず、それ以上は言葉を換えて同じことを繰り返す。
 「侵略に定義がない」という風に物事を断定する安倍晋三は、〔本を読んで知識を積んだ様子がない人に共通の特徴を持ち合わせているように思える。底が浅い政治家といえるだろう。〕

●ファシズム(p153)
 鶴見俊輔「ファシズムは必ずデモクラシーから生まれる」。
 デモクラシーのないところからファシズムが生まれた事例は人類史上において一度もなかった。
 日本のファシズムは大正デモクラシーが母体になっている。ナチスドイツのファシズムはワイマール憲法という男女平等選挙、基本的人権を認めた民主的な憲法の下で生まれた。
 〔そこには民主主義の宿命的なマイナス面があった。議論をするがなかなか結論が出ない。意見がバラバラで国民がひとつにならない。そうしたことを含めて国民が民主主義そのものに退屈し、飽き、失望してしまう。そんなところにファシストが忍び寄る。〕

●戦間期の思想(p213)
〔 太平洋戦争は満州事変、日中戦争の終結点といえるのだが、この太平洋戦争のマイナスの教訓を逆手にとって、戦争で失った領土などをやはり武力で取り戻そうとする「戦間期の思想」を日本は持たなかった。それが20世紀後半の誇りでもあった。いわば昭和の中期から後期にかけての勲章でもあった。〕
 戦間期は、「戦争が終わった。これでもう戦争は起こらない」という期間ではない。次の戦争に向けて人々の憎悪の火がくすぶっている時期。他国に奪われた土地や権益を取り戻そうという恨みが増幅する時期。

●偉大な指導者(p255)
 ニクソン……「指導者を偉大ならしめるのに必須の条件は三つある。偉大な人物、偉大な国家、そして偉大な機会である」。『指導者とは』(Leaders)徳岡孝夫訳。 
〔 このニクソンの言に倣うわけではないが、平成の首相は総体的に見て、昭和の首相と比べても器が小さく、政治思想も曖昧で、なにより人物の度量が「偉大な」という段階にはほど遠いように思うのだ。昭和史の吉田茂、池田勇人、田中角栄、佐藤栄作などと比べると、その器量は著しく劣っている。どんな点が……と問われれば、私はためらうことなく「国家目標」をどこに定めているか不明瞭なうえに、政治家としての思想や哲学が不明確であると答えたい。この国の過去の歴史(近代日本史だけでなく、江戸時代からの日本史ということになるのだが)に対して、自らが継承すべきことは何かの青写真を持っていないといってもいい。〕

(2016/9/27)KG

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渡来人とは何者だったか その素性渡航時期や規模大和朝廷下での足跡…
 [歴史・地理・民俗]

渡来人とは何者だったか

武光誠/著
出版社名 : 河出書房新社
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-309-22669-9
税込価格 : 1,404円
頁数・縦 : 207p・19cm


 古代に半島から渡ってきた「渡来人」について、その系譜と大和朝廷での活躍について解説。
 当時の航海事情から考えて、それほど大量の人数が一気に来たとは考えにくいという。ただし、百済の滅亡(白村江の合戦、663年)で数千人、高句麗の滅亡(668年)で、2,000人規模が来た可能性がある。武蔵の高麗郡は、この時の高句麗からの移住者たちに与えた土地だという。

【目次】
序章 渡来系豪族を「渡来人」と総称すれば、歴史を見誤る
第1章 渡来人以前の中国、朝鮮半島、日本
第2章 四世紀に、大和朝廷と加耶の交流が始まった
第3章 東漢氏と結んだ蘇我氏はいかに勢力を拡大したか
第4章 聖徳太子と天智天皇に仕え、東漢氏を超えようとした秦氏
第5章 船氏、西文氏、鞍作氏…独自の動きをとる渡来系豪族
終章 早くから日本に同化した「渡来人」の栄枯盛衰

【著者】
武光 誠 (タケミツ マコト)
 1950年、山口県生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。同大学院博士課程修了。文学博士。現在、明治学院大学教授。専攻は日本古代史、歴史哲学。

【抜書】
●縄文文化(p40)
〔 じつは縄文文化は、世界的に見て、きわめて珍しい形をとる文化である。なぜなら、縄文文化は「高度な精神性、技術力、芸術性をもちながらも、人間平等の発想が守られた文化」だったからだ。
 縄文時代には青銅器や鉄器や水稲耕作は普及していなかったが、かれらは多様な土器、木器、石器、骨角器や皮革製品を使いこなしていた。また、漆やアスファルトも用いられた。縄文人は植林によってクリやシイ、トチ、ドングリの林をつくり、雑穀を栽培した。かれらの技術の範囲で、縄文人は最高の生活を築き上げていたのだ。〕

●加耶=神の国(p64)
 かん(神)+なら(国) ⇒ かんなら ⇒ かんら ⇒ かん(韓)、から ⇒ かや(加耶)。

●トモ制(p91)
 雄略天皇は、二人の弟と一人の従兄、一人の従弟の競争相手4人すべてと、葛城氏の嫡流・円(つぶら)を討って大王になった。朝廷で強力な指導力を持つようになる。
 百済や加耶の先進文化の導入に力を注ぎ、有能な職人を加耶から招いた。
 また、一つの豪族に一つの職務を受け持たせるトモ制(伴制)の整備に力を入れた。
 有力豪族が朝廷の重要な職務を分担するトモ制は古くからあったが、特定の技術をもつ中小豪族までトモ制に組み入れ始めた。

●直の姓(p105)
 カバネの制度は、雄略天皇の時代にあたる5世紀末頃から整えられた。
 有力豪族とその同族には、臣、連、君のカバネが授けられた。
 王家から自立して独自の祭祀を行う地方豪族は、主に直のカバネが授けられた。
 また、朝廷の様々な職務を請け合う中小豪族に、造、首、史、画師(えし)、薬師、吉士(きし)、勝(すぐり)、村主(すぐり)などの多様なカバネを名乗らせるようになっていった。
 日本古代史の研究者は、「蘇我臣」のように氏の名がつくものを「姓(せい)」、付かない「臣」などを「カバネ」と書くことで区別している。

●四大勢力(p113)
 4~5世紀の奈良盆地では、王家と葛城一族、物部一族、春日一族からなる四大勢力が並び立っていた。このころの大和朝廷は、この四大勢力を指導者とする連合政権だった。
 蘇我氏の全盛は、葛城氏の嫡流が没落したことに始まる。蘇我氏は、葛城氏の庶流・波多氏の分家にあたる巨勢氏の分家。東漢(あずまのあや)氏と連携することにより、急成長した。

●八色姓(p136)
 天武11年、東漢氏の一族すべてに連のカバネが与えれれた。
 天武12年、秦造、西文(かわちのあや)首らの中級官僚、倭直、山背直らの地方豪族の主だった者にも連のカバネが与えられた。
 天武13年(684年)、八色姓を制定。
 真人……新しい時代に皇室(天武天皇の時から天皇号が用いられた)から分かれた豪族。
 朝臣……臣のカバネをもつ主だった豪族、物部連、中臣連。
 宿禰……大伴連など、連を名乗る有力な豪族。
 忌寸……東漢一族、秦氏など。

●蕃別(p198)
 継体天皇は、北九州の筑紫氏を従え、日本国内の諸豪族に対する大王の指導力を急速に強める。
 王家は、斎宮(いつきのみや)を置いて天照大神を祀り、祖先神を大物主神からアマテラスに変えた。その後、王家は日本神話を整え、そのなかで有力豪族の祖先神を、天照大神の親戚筋の神や家臣の神にしていった。
 王家の勢力が高まるなかで、豪族たちは進んで自家の祖先の系譜を王家に関連するもの(皇別)にしていった。
 葛城一族は、古くは自分たちの祖先を一言主神としていた。蘇我氏が武内宿禰(景行から仁徳までの5代を補佐)の伝説をつくっていくと、葛城一族は祖先を王族の武内宿禰に変えた。
 王家からの自立性が高く、自家の祖先神を重んじた連のカバネの豪族の大部分は、神別の系譜を称した。
 皇別と神別の主だった家は、王家と強い縁を持つ家とされた。
 これまで「渡来系」と称してきた中小豪族は、安易に系譜を皇別や神別に変えられない。そのため、「渡来系豪族」が「蕃別(ばんべつ)」とされることになった。

(2016/9/24)KG

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よみがえる神武天皇 日本書紀の暗号を読み解く
 [歴史・地理・民俗]

よみがえる神武天皇

牧村健志/著
出版社名 : PHP研究所
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-569-83116-9
税込価格 : 2,700円
頁数・縦 : 419p・19cm


 現在、教科書と教育現場にはびこる「土器と墓と卑弥呼の歴史」に物申す。古代日本の「春秋2倍暦仮説」をもとに、『日本書紀』を読み直し、『魏志倭人伝』、『三国史記』、好太王碑などの歴史資料と照らし合わせて日本の古代史を編み直す。
 「春秋2倍暦」で年表を作り直すと、神武の大和の国建国は紀元前37年。邪馬台国・卑弥呼はおおよそ景行天皇の時代で、九州北部の豪族ということになるらしい。
 欠史八代も実在の大王ということになる。8代の詳細の歴史が伝わっていないのは、まだ文字による記録がなかったことと、その頃は天皇家が大和盆地南端に勢力圏をもつ地方豪族に過ぎなかったから。「纒向三代」の時代に、大和政権の全国展開が始まり、王権としての体制を整えていく。

【目次】
序章 「土器と墓と卑弥呼」の古代史を見直せ―政治思想で偏向された古代史教育
第1章 日本書紀の年表は真実を伝えている―「春秋2倍暦」仮説による古代史の再構築
第2章 神武東征は志ある青年のサクセスストーリー―狭野の尊は弥生社会の申し子
第3章 土木潅漑技術と神道で日本を統一した大和の国―纒向遺跡の発掘で証明された日本書紀の正確さ
第4章 九州の邪馬台国は大和の国に吸収された―300年の論争に終止符を打つ
第5章 みずほの国をつくった「土木大王」仁徳天皇―仁徳天皇陵は古代の巨大ダムである
付章 日本建国の道しるべとしての日本書紀―語り部たちが命を懸けて伝えた物語

【著者】
牧村 健志 (マキムラ タケシ)
 1957年奈良県吉野郡に生まれる。奈良県立畝傍高校、京都大学理学部卒業。証券会社に勤務し、証券アナリスト、運用モデル開発、証券情報室長等を歴任。2004年に金融業界向け人材紹介会社設立。日本証券アナリスト協会検定会員。

【抜書】
●春秋2倍暦(p52)
 「古代の日本人は1年に2つ齢をとる、という年齢の数え方をしていた」という仮説。
 『魏志倭人伝』成立の約100年後、裴松之がつけた注に「倭人は春耕秋収を計(も)って年期となす」とある。『魏略』(現在、散逸して残っていない歴史書)からの引用。
 倭人は、春分と秋分あたりを年の区切りとしていた。
 『古事記』では、神武以来、第21代雄略まで多くの天皇が100歳越え。 雄略124歳。
 『日本書紀』では、雄略が62歳となっている。
 『古事記』は語り部の伝承、『日本書紀』は語り部プラス史官の記録。雄略紀が役割交代の時期。

●纒向三代(p72)
 崇神(10)、垂仁(11)、景行(12)の三代。新紀年表でAD176~289年。三輪山近くの纒向(奈良県桜井市)に都を営んだ。それまでは大和の地方豪族だったが、 大和の国の勢力圏を全国に拡大させた。
 崇神……四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)を東海、北陸、丹波、西道に派遣した。
 垂仁……神祇の制度を整え、伊勢神宮を娘の倭姫に創建させ、各国で池や溝などの土木事業を進める。
 景行……ヤマトタケルを西国、東国に派遣、勢力圏を九州~東北にまで拡大。

●銅鐸教(p160)
 銅鐸について、記紀では全く記録がない。同時代の剣、矛、鏡、玉などは後世大和朝廷にも引き継がれ、記紀にも記録がある。考古学的にも弥生時代とともに忽然と消えている。
 銅鐸によって行われていた宗教が、大和の国が布教した新興宗教「原神道」によって駆逐された?
 「銅鐸教」……オオクニヌシが広めた宗教。大国主命は、「少彦名命(すくなひこなのみこと)と力を合わせ、心をひとつにして天下を経営(つく)った。また、現世の人民と家畜のために病気治療の方法を定めた。鳥獣や昆虫の災いを祓うためのまじないの法を定めた」。病気治療と虫除けの呪術実行のために銅鐸が使われた?
 呪術的・迷信的だった「銅鐸教」に対して、「原神道」は、自然と向かい合う方法(神を祀る)を持ち、1年の稲作のタイムスケジュールを備え、より合理的な稲作技術を提供する新しい「文明」だった。

●纒向大溝(p169)
 180年ごろに忽然と現れた纒向遺跡では、まず、幅6m、長さ2600mの運河が作られた。崇神帝の時代に、大溝を掘る土木技術、労働力集約技術があった。この技術をもとに稲作不適地にも水田を開拓し、全国に広めた。

●大和国システム(p182)
 大和国システム……池と溝を掘り、稲作適地ではない水のない平地に水田を作る。
〔 生まれた土地の近くにはすでに適地がないから、弥生時代の多くの若者は、自分の適地を求めて遠くへ旅に出た。ところが「大和国」システムを活用すれば、自分の生地の近くにもまだまだ稲作可能な土地はあったのだ。彼らがこれまで選択せざるを得なかった生き方(収奪)とは違う、より安全で確実な選択肢(開墾)を「大和国システム」は提案したのである。
 これによって朝日が昇って霜が溶けるがごとくに、弥生時代という殺伐とした、不信と戦いの時代が終わり、農地開拓の時代へと移った。視野の狭い争いの時代に終止符を打ち、新しい時代のシステムを提案した大和の国が全国を統一するに至ったのは、この視点で見れば至極、自然な流れなのである。
 そして実はこのことが、今日に至るまでの日本国のあり方の基本的な土台となっている。弥生時代の環濠集落、高地性集落は、集落全体を取り囲む防御壁を持った集落ということで、日本史上ほとんど唯一の例である。〕

●武御雷(p192)
 11月になると、八百万の神が出雲に集まる。しかし、鹿島神宮に祀られたタケミカヅチ(武御雷)だけは呼ばれない。タカミムスヒ尊の命を受け、オオクニヌシに国譲りを迫ったから。

●景行帝(p212)
 景行帝……九州進出後の御刀媛(みはかしひめ)ら多くの妃を娶り、男女合わせて80人の子を成した。そのほとんどを各地の国々に出向かせ、彼らが諸国の別(わけ)と呼ばれる地方の長(おさ)たちの祖先になった。
 ヤマトタケル(小碓皇子)は、双子の弟。兄は大碓皇子。

●前方後円墳(p226)
 成務天皇の頃、3世紀末~4世紀初頭に、前方後円墳が巨大化し、かつ日本全国に広がっていった。全国で5,000基ほど確認されている。エジプトのピラミッドは100ほど。
 前方後円墳の成り立ち……水田開発で溝と池を掘り、整地をした土を集めることが習慣となり、やがて高位の人物、あるいはその開発を推進した人物の墓となった。
 纒向大溝が、一直線に箸墓古墳(日本最初の本格的な前方後円墳)に向かっている。完成したばかりの運河を使って、運河の横に積み上がっている堀土を箸墓のある場所に集めた?
 ひとところにまとめて盛り土したのは、地面を掘り返して土地を改良、変化させることへの恐れもあった?

●生目古墳群(p230)
 御刀媛の産んだ豊国別皇子(とよくにわけのみこ)は、九州で最も古い宮崎の生目古墳を築いた。

●治水の詔(p319)
 仁徳11年(393年)4月、「治水の詔」を出す。同年10月から(農閑期に)難波の堀江に着手。その後、数年かけて茨田(まんだ)の堤を築く。
 12年10月、「栗隈(くるくま)の県に大溝(おおうなで)を掘る」。現在の宇治市大久保あたり。北側に宇治川の巨大な遊水地である巨椋池(おぐらいけ。昭和初期に干拓)があった。
 13年10月、和珥池(わにのいけ。奈良市の広大寺池?)と横野堤(よこののつつみ)を築く。
 14年、猪甘津(いかいのつ)に橋を渡す。また、高津宮から丹比(たじひ。現・羽曳野市)に向かう大道(おおじ)と感玖(かむく)の大溝(うなで)(古市の大溝)を作る。

●高句麗(p326)
 高句麗は、BC37年、扶余の王族の朱蒙(チュモン)によって建国された。668年まで存続。
 新紀年表で大和の国と同じ年の建国。

●空白の4世紀(p352)
 日本の古代史学会では、266年に邪馬台国の壱与が晋に朝貢してから、413年に倭王「讃」が遣使するまでの間を、「空白の4世紀」と称する。シナの史書に「倭」の記述がないため。
 景行天皇から仁徳天皇の時代にあたる。『古事記』『日本書紀』、『三国史記』、好太王碑、七支刀などに豊饒な民族の歴史が残されているにもかかわらず。

●仁徳陵(p362)
 仁徳陵は灌漑用のダムだった?
 仁徳陵の辺りは高台だが、掘れば水が出る。どこからも水がひかれていないのに満々と水をたたえている。周濠を広く深く掘るために盛った土で相当量が充当できた。
 緩やかな北の斜面に水を流し、荒蕪地を水田に変えた。
 応神陵は、仁徳陵ほどの規模はないが、盛り土の量は多い。水運も兼ねた古市の大溝を掘った大量の土を盛ったため。

(2016/9/24)KG

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日本会議と神社本庁
 [社会・政治・時事]

日本会議と神社本庁

成澤宗男/編著
出版社名 : 金曜日
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-86572-010-5
税込価格 : 1,080円
頁数・縦 : 211p・21cm


 紀元節復活(1966年6月25日、祝日法改正案成立、2月11日建国記念の日)、「日本を守る会」結成(1974年)、一世一元制度復活(1979年6月6日、元号法成立)、「日本守る国民会議」結成(1981年)、「日本会議」結成(1997年)という、最大の右派活動団体の足跡をたどりながら、神社本庁や右派宗教団体との関係を明らかにする。

【目次】
第1章 日本会議と国家神道
 日本会議と宗教右翼(成澤、~p119)
 神社と国家の関係はどう変化したか―宗教学者 島薗進インタビュー(~p137)
第2章 政治団体化する神社
 神社乗っ取り事件(『週刊金曜日』編集部 片岡伸行、~p160)
 明治時代の天皇崇拝は神道の長い歴史では特殊―清洲山王宮日吉神社宮司 三輪隆裕インタビュー(~p169)
第3章 日本会議の思想
 日本会議のターゲットの一つは憲法24条の改悪(モンタナ州立大学教員 山口智美、~p183)
 幼稚な陰謀論と歴史修正主義(大学非常勤講師 熊川元一、~p189)
 左翼との闘いが日本会議の核をつくった―元「一水会」顧問 鈴木邦男インタビュー(~p205)
安倍政権を支える日本会議と「日本会議議連」(子どもと教科書全国ネット21事務局長 俵義文、~p211)

【著者】
成澤 宗男 (ナルサワ ムネオ)
 1953年新潟県生まれ。ジャーナリスト。『週刊金曜日』編集部企画委員。『社会新報』記者・パリ通信員を経てフリーに。極右団体、国際政治、フランスの核戦略を研究。

【抜書】
●日本を守る会(p29)
 副島廣之(そえじまひろゆき、2007年没)……明治神宮権宮司、神道青年全国協議会会長、国旗掲揚推進協議会常任理事、日本を守る会事務総長、元号法制化実現国民会議事務総長、日本を守る国民会議事務総長を歴任。
 日本を守る会結成のきっかけ……「日本の現状を憂慮する宗教界、社会教育界、言論界などの長老たちが『このままではいかん、日本危うし』という現状認識にかりたてられ、時局懇談会という名目で丸の内の日本工業倶楽部で会談した。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源、神社本庁前事務総長の富岡盛彦、明治神宮宮司伊達巽、全国師友協会会長安岡正篤、作家の山岡荘八、世界真光文明教団の開祖岡田光玉の各氏等錚々たる人物およそ十五名ばかり、皆国を憂える思いは同じで談論風発の一夕を過ごした」(副島廣之『私の歩んだ昭和史』1989年、明治神宮崇敬会)。
 1974年、朝比奈宗源がイニシアチブをとって結成。(p59)

●椛島有三(p53)
 椛島有三……日本会議事務総長、日本協議会会長、日本青年協議会(日青協、1970年11月結成)会長、美しい日本の憲法をつくる国民の会事務局長。日本を守る国民会議事務局長、元号法制化実現国民会議(1978年結成)事務局長を歴任。生長の家学生会全国総連合会(生学連)、日青協に所属して、長崎大学で民族派の学生運動を展開。全共闘や民青と闘って自治会の主導権を奪還した。

●生長の家(p55)
 1985年、日青協の本来の母体ともいうべき生長の家が、政治運動との「絶縁」を宣言。生長の家政治連合も解散状態となった。
 「(初代総裁の)雅春先生は大東亜戦争は聖戦であり、明治憲法を復元すべきだと訴えておられたが、(生長の家第3代総裁の谷口)雅宣さんは明治憲法の復元どころか改憲も主張しなくなった。挙句の果てにはあの戦争は侵略戦争だったからアジア諸国に謝罪するのは当然とまで言うようになった」(魚住昭『証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも』2007年、講談社)

●『日本の息吹』(p57)
『日本の息吹』……日本会議の機関誌。

●日本を守る国民会議(p65)
 1981年10月27日結成。議長・加瀬俊一(元国連大使)、運営委員長・黛敏郎、事務総長・副島廣之、呼びかけ人・井深大/江藤淳/春日野清隆など。
 〈日本を守る三つの提言〉
 ①日本は日本人の手で守ろう。
 ②教育を日本の伝統の上にうちたてよう。
 ③憲法問題を大胆に検討しよう。

●『新編日本史』(p74)
 1982年10月30日、日本を守る国民会議主催の「教科書問題を考える懇談会」で、「今度は民間で良い教科書を作る運動を起こす他はないでしょう」(香山健一)という意見が出る。
 1984年4月、日本を守る国民会議第3回全国総会で決定した「昭和59年度国民運動基本方針」に初めて「歴史教科書の編纂事業を推進する」との方針が登場。
 原書房から、高校用日本史教科書『新編日本史』が刊行される。
 〈編集方針〉
 ①天皇に対しては丁寧な言葉を使い、また天皇に関し歴史上欠かせないことについては避けることなく記述する。
 ②古代史では……『古事記』『日本書紀』など日本の史書を尊重し、例えば神話などを通じて古代人の思想を明らかにする。
 ③近、現代史では、とくに諸外国との外交問題に配慮し、戦争に関しては出来るだけ、客観的に記述する。
 1986年1月、修正意見付きで検定合格。「復古調教科書」とメディアの批判を浴び、中国や韓国の抗議も加わり、外交問題に発展。一時は外務省や閣僚からも「教科書申請取り下げ」の意向が示される。結局、異例極まる4度にわたる指示で近現代部分八十数か所もの是正後、最終的に合格となる。
 しかし、「従来の検定作業の基準からすれば誤記・誤植として指摘され、減点されるべき個所でありながら、見過ごされたものが、検定合格後の見本段階で約三百か所も判明している。……さらに、他社の歴史教科書の図版をそのまま流用した事例も数十に及んでいた」。「粗製濫造の欠陥品」(高嶋伸欣「教科書攻撃の政治的背景と”草の根の民主主義”」『戦争責任研究』第35、2002年春)
 採択率0.01%(9,357冊、1989年)が最高だった。
 1995年用改訂時(93年度検定)から、出版元の原書房が撤退。
 出版元が替わって発行されたが、2001年2,682冊、2002年2,117冊。
 現在は、『高校日本史B』として、日本会議の出版部門である明成社から細々と出版されている。
 しかし、1996年に、「新自由主義史観」と称した歴史修正主義者らにより、「新しい歴史教科書をつくる会」が結成された。

●新しい歴史教科書をつくる会(p78)
 自由社から中学校用の『歴史』を刊行。採択率(2015年度)0.04%〔公立はゼロ)。
 2006年、「新しい歴史教科書をつくる会」を脱会した一派が「日本教育再生機構」を結成。育鵬社(フジ・サンケイグループ)から『歴史』『公民』を刊行。採択率は6.5%。

●日本会議(p90)
 1997年3月20日、日本を守る国民会議の第14回総会にて、日本を守る会と統合し、新組織を設立することを決定。
 両会とも、事務局は椛島、外山勝志(明治神宮宮司)がやっていた。

●対米従属(p118)
〔 だが、何かと言えば現行憲法を「占領憲法」などと批判しながら「自主憲法」を主張している日本会議は、準占領状態の元凶である「自国の防衛を他国に委ねる」安保条約と、それに付随した沖縄で続出している基地被害を問題にしない。田久保(注:忠衛。日本会議第4代会長。杏林大学名誉教授)や岡崎(注:久彦。元駐タイ大使、日本教育再生機構顧問。故人)のように「アングロサクソンに付いて行けば間違いない」とばかり「日米同盟強化」を容認している様は、「独立心の喪失」以前の、自己矛盾の極みだろう。「自主憲法」を主張する以前に、「自主防衛」や「自主外交」を唱えてもおかしくはないだろうが、決してそうならないのは、岡崎が何よりも忌み嫌った「反米志向」と見なされるのを恐れてのことに違いない。ならば、最初から「占領体制」がどうのこうのと「愛国者」ぶるのをやめたらいい。
 以上のことは、戦後70年間、「日本の伝統国家理念を護持する」などと唱え続けている神社本庁やその同伴宗教団体にも当てはまる。とっくに冷戦が終結しながら、主権の及ばない異国軍隊の基地が首都圏や全国各地に居座り続けるというのは、いつから「日本の伝統」になったのか。こうした問いかけにどう見ても回答を用意してはいないような日本会議とそれを構成する右派宗教団体は、おそらく「占領軍スタッフ」が反共政策の結果生み出した、一つの意義ある成果なのだろう。一見「ナショナリズム」のような雰囲気を煽りながら、米国が命令すれば疑わずに何でも従うような自民党や日本会議といった集団がこの国の右傾化を推進すれば、米国にとっては許容範囲どころか、真の支配者が誰なのかを国民に見えにくくしてくれる機能も期待できるからだ。
 日本会議が諸悪の根源のように宣伝している現行憲法が、もし彼らの路線通り変えられても、異様な対米従属は微動だにすまい。その結果もし変わるものがあるとしたら、彼らが「美しい」と呼んでいるこの国の、民主主義と国民主義、市民的自由、平和主義のさらなる後退ではないのか。〕

●封建的な主従関係(p123)
〔 たとえば、天皇崇敬の伝統とされるものには、むしろ中世の武士的な伝統が影響している面もあります。「天皇のために」というよりは、封建的な主従関係の中で培われた「領主のため」という考えです。〕

●日本的華夷思想(p128)
〔 日本の国体思想は華夷思想の日本版で、『日本的華夷思想』とも言えます。その思想が明治維新のときに強力にインストールされたということです。
 明治維新の頃の日本は、西洋の圧力でキリスト教的な「自分たちこそは正しい」という思想の影響を受けた面もあります。しかし、それとともに中国的な「皇帝こそが神聖な権威を持ち、世界統一する儀礼を行ない、民はその教えを守る」という中華思想の影響があるのです。日本的というよりキリスト教や中華思想に染まったとも言えます。〕

●伊勢神宮の式年遷宮(p130)
〔 たとえば、2013年に伊勢神宮で行なわれた式年遷宮では安倍首相が還御の儀に参列しました。これは、1929年に濱口雄幸首相が参列して以来、実に史上2度目のことです。1929年の後の歴史というのは、満州事変に向かっていく流れですから、安倍首相の参列には非常に嫌な感じがします。神道国家という方向へ舵を切ろうとしている気配がします。〕

(2016/9/22)KG

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天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔
 [哲学・心理・宗教]

天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔 (中公新書)

岡田温司/著
出版社名 : 中央公論新社(中公新書 2369)
出版年月 : 2016年3月
ISBNコード : 978-4-12-102369-8
税込価格 : 842円
頁数・縦 : 212p・18cm


 主にキリスト教にとっての天使を、西洋絵画素材にして論じる。

【目次】
第1章 異教の神々―天使とキューピッド
第2章 天からの使者として―天使とキリスト
第3章 歌え、奏でよ―天使と聖人
第4章 堕ちた天使のゆくえ―天使と悪魔
第5章 天使は死なない―天使と近代人

【著者】
岡田 温司 (オカダ アツシ)
 1954年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。京都大学大学院教授。

【抜書】
●カストラート(p85)
 16~18世紀のイタリアで一世を風靡した、去勢された男性歌手。「天使の歌声」ともてはやされた。
 最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキ(1858‐1922)は、「ローマの天使」という異名をとっていた。

(2016/9/17)KG

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世界経済大乱
 [経済・ビジネス]

世界経済大乱 (日経プレミアシリーズ)

滝田洋一/著
出版社名 : 日本経済新聞出版社(日経プレミアシリーズ 303)
出版年月 : 2016年4月
ISBNコード : 978-4-532-26303-4
税込価格 : 918円
頁数・縦 : 241p・18cm


 世界経済の不安定要素、「中国経済の崩壊」「日銀のマイナス金利政策」「行き場のない世界的なカネ余り現象」「新たなグレート・ゲーム、地政学リスク」に関して、日経新聞編集委員が論じる。

【目次】
第1章 中国が世界を振り回す
 サーキットブレーカー・ショック
 バブル崩壊最中の上海で
  ほか
第2章 黒田日銀が飛び込んだ「不思議の国」
 瀬戸際のマイナス金利
 駆け巡る緊急帰国の情報
  ほか
第3章 カネ余りなのにカネがない
 マイナス金利の「三日天下」
 「円換算のNYダウ」による日本株の金縛り
  ほか
第4章 内も外も溶け始めた
 大西洋同盟の亀裂と3つの新しい枢軸
 目も合わさなかった米中首脳
  ほか
第5章 日本に活路はあるか
 財政に軸足を移した上海G20
 G20サミットの変容
  ほか

【著者】
滝田 洋一 (タキタ ヨウイチ)
 日本経済新聞社編集委員。1981年慶応大学大学院卒。同年日本経済新聞社入社。金融部、チューリヒ支局、経済部編集委員、論説副委員長、米州総局編集委員などを経て現職。2008年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

【抜書】
●買えない通貨(p98)
 マイナス金利政策は、円を「持っているとコストのかかる通貨」つまり「買えない通貨」にするのが狙いだった?
〔 日本の短期金利はすでに事実上ゼロ%だが、ECBがマイナス金利を採用しているヨーロッパ圏では、短期金利はマイナスになっている。こと短期金利の世界では「日本>ドイツなどユーロ圏」となっていた。すると、ユーロを売って日本の短期国債を買う取引で、利ザヤを稼げることになり、意図せざる円高圧力がかかりかねない。〕

●無形資産投資(p234)
 アベノミクス第2ステージ、1本目の矢「第4次産業革命」に向けて、無形資産投資を促進しなければなならない。
 有形固定資産への投資……建物や機械など。GDPのうち、年58兆円。
 無形資産への投資……革新的資産19兆円(研究開発15兆円、他に著作権・ライセンス・デザインなど)、経済的競争能力(ブランド力、技術力、企業固有の人的資本、組織構造など)7兆円。これらはGDPに含まれない。
 ソフトウェア11兆円は、GDPに含まれる。

(2016/9/15)KG

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習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか
 [社会・政治・時事]

習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか

加藤隆則/著
出版社名 : 文藝春秋
出版年月 : 2016年2月
ISBNコード : 978-4-16-390341-5
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 :287p・19cm


 周永康・中国共産党中央政法委員会書記(党中央政治局常務委員)、簿煕来・重慶市党委書記らが画策していたとされる習近平暗殺計画、その特ダネが新聞社に受け入れらなかったがために辞職した読売新聞上海在住編集委員の記者が語る、現在の中国の政治状況。さらに、辞職の経緯を詳述しつつ、ジャーナリスト論を展開する。

【目次】
第1部 暗殺計画から見た中国
 軍事パレードをどう読み解くか
 政変劇が抱える深い闇
 巡ってきた特ダネのチャンス
 記者生命をかけたスクープ「習近平暗殺計画」
 スクープ記事をどう読むか
 暗殺計画のリアリティ
 見えてきた習近平の対日観
第2部 前代未聞の報道自主規制
 耳を疑った特ダネ禁止令
 突然の緊急帰国令
 特ダネ記者の告白
 掲載不可、辞表までの攻防
 新聞記者のカウントダウン

【著者】
加藤 隆則 (カトウ タカノリ)
 1962年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。86年~87年、北京で語学留学。88年、読売新聞社入社。東京本社社会部で司法、皇室などの担当を経て、2005年7月~11年3月、上海支局長。同年6月~13年8月、中国総局長。同年9月から中国駐在編集委員を務めたのち、15年6月退社。ジャーナリスト、NPO法人日中独創メディア理事長。

【抜書】
●中南海(p40)
 中南海……北京。中国共産党の指導者たちが起居する地域。北京故宮博物院の西に隣接。元、明、清の三王朝にわたって築かれた人工池の「中海」と「南海」からなる。

●キツネ狩り(p118)
 2014年7月以降、習近平が反腐敗運動の一環として、海外に逃亡している経済犯罪容疑者の身柄を確保しようと、公安省が開始した作戦。
 2014年末までに70以上の特別チームを派遣、69の国・地域から680人を連れ戻した。
 収賄や横領の金額1,000万元以上が208人、億元を超える者74人。潜伏期間は、5年以上196人、うち10年以上が117人、最長22年。
 1990年代半ば以降、海外に逃亡した国家機関の職員16,000~18,000人、流出した現金8,000億元。中国人民銀行、2011年の発表。

●超日(p169)
〔 習総書記の父、習仲勲は毛沢東の率いる中国共産党の指導者として、抗日戦争から建国までを経験した。一九七二年の日中国交正常化から改革開放の対日協調路線に至るレールを敷いたのは、日本と戦った彼ら革命世代である。国益のためであれば昨日の敵を友とする現実主義的な思考を持つ。革命世代を親に持つ習氏ら紅二代は、親たちの掲げた大国化の夢を継承し、実現させる使命感が強い。従来の難解な社会主義理論とは一線を画した、平易で理想主義的な「中国の夢」のスローガンに紅二代の心情が現れている。行き着く先は「反日」ではなく、「知日」の上に立って日本を超越する「克日」「超日」の思想である。〕

(2016/9/12)KG

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なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか
 [社会・政治・時事]

なぜ憲法学者が「野党共闘」を呼びかけるのか

小林節/著
出版社名 : 新日本出版社
出版年月 : 2016年5月
ISBNコード : 978-4-406-06010-3
税込価格 : 1,404円
頁数・縦 : 126p・19cm


 2016年7月の参議院選挙に向けて、安倍政権の横暴を阻止するために野党共闘が模索された。それに対する、憲法学者からの応援メッセージだったが……。

【目次】
1 安倍政権は立憲主義を弁えていない
2 戦争法の恐ろしすぎる非常識
3 「平和大国」存亡の危機
4 われわれは王様を選んだわけではない
5 緊急事態条項を口実にした改憲の罠
6 「野党共闘」以外に道はない

【著者】
小林 節 (コバヤシ セツ)
 慶應義塾大学名誉教授、弁護士。法学博士、名誉博士(オトゥゴンテンゲル大学(モンゴル))。1949年東京都生まれ。1977年慶大大学院法学研究科博士課程修了。ハーバード大学ロー・スクール客員研究員等を経て、1989年慶大教授。北京大学招聘教授、ハーバード大学ケネディ・スクール・オブ・ガヴァメント研究員等を兼務したのち、2014年慶大名誉教授に就任。

【抜書】
●戦争法(p25)
 新安保法制=戦争法。以下の二つからなる。
 (1)武力攻撃事態法の改正法、周辺事態法の改正法(重要影響事態法に名称変更)などの10の法律をまとめた「平和安全法制整備法」。
 (2)自衛隊をいつでも海外派兵できるようにする恒久法の「国際平和支援法」。

●統治行為論(p30)
 統治行為論……「戦争と平和」のように、国の存続にかかわる高度に政治的な歴史的決断の問題は、そもそも選挙で選ばれていない最高裁判事が決めるのは不謹慎である、という考え方。
 例えば、戦争で勝った後に、「あれは違憲の戦争でした」と最高裁が判断した場合、勝った戦争すべてを否定しなければならなくなり、他国の殺された人の遺族から永久に損害賠償を要求されることになってしまう。
 もともともは、アメリカフランスの判例。人権保障と法の支配が確立された国々の最高裁判例でも、「戦争と平和」の問題に裁判官は手を出さない。国民から選ばれた政府と国会が判断し、最終的には主権者・国民が、そういう判断をした政府を許すか許さないか、選挙で決める、というのが基本的な考え方。

●神道、仏教(p60)
〔 神道は国家神道に利用された悪しき歴史はあるけれども、そのいきさつを抜きにすれば、われわれはあらゆるものに神性を感じとってきたし、他者の価値観をたくさん受容してきました。
 神道の考え方は、要するに「自然を大切にしましょう」「先祖を敬いましょう」ということです。また、仏教は、不完全な自分に修行という負荷をかけて、「もっといい人になろう」と努力し続ける、そういう考え方です。どちらも非常に穏当です。
 かつて、キリスト教徒やイスラム教徒の法律家が集まったアメリカの国際シンポジウムで、日本の法律学者としてスピーチしたことがありました。その場で今のような話をしたところ、聴衆から「日本人の感覚でいけば、世界がひとつになれる]と大きな共感をもって受け止められました。
 お互いを認め合える。あなたはあなたで、私は私。これが日本古来の考え方です。国際国家になれるセンスを持っているのです。
 そういう日本が経済大国となり、かつ70年間平和大国であり続けてきたのです。〕

●二軍(p62)
〔 今回の戦争法は、日本がギラギラと野望を抱いて軍事大国になり、イスラム教諸国を攻撃するアメリカの二軍にみずから成り下がろうとするものです。せっかくイスラム教諸国とキリスト教諸国の相克から無縁であったのに、イスラム教諸国から進んで恨まれることになるのです。〕

法人税減税(p93)
 法人税の減税により、企業の利益は増えるが、利益の半分は内部留保に、もう半分は投資家に配当され、景気回復には結びつかない。
 配当の何割かは、アメリカのハゲタカ・ファンド(アメリカの資本家)の手に。

(2016/9/12)KG

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戦争犯罪国はアメリカだった! 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄
 [社会・政治・時事]

戦争犯罪国はアメリカだった! ─ 英国人ジャーナリストが明かす東京裁判70年の虚妄

ヘンリー・S・ストークス/著 藤田裕行/訳
出版社名 : ハート出版
出版年月 : 2016年4月
ISBNコード :978-4-8024-0016-9
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 271p・19cm


 日本人が「東京裁判史観」を受け入れ、WGIPに洗脳されたのは、日本人の「いさぎよさ」「言挙げしない」性格のためだと著者は言う。それもあるかもしれないが、もともと日本人の大半が平和主義者で、戦争を嫌悪したことも大きな要因だったのではないだろうか。

【目次】
東京裁判こそ戦争犯罪だった
極東国際軍事裁判研究プロジェクト
三島由紀夫の『市ヶ谷事件』
アメリカによる洗脳
イエズス会の独善的な日本布教
白人キリスト教徒による世界侵略と有色人大虐殺
「レイプ・オブ・江戸」と明治維新
白人支配の世界で独立主権を貫いた日本
民族平等の世界を目指した大東亜共栄圏
連合国によって「創られた」裁判
東京裁判七十年の虚妄を打ち破れ!
大東亜戦争の真実
三島由紀夫はなぜ「市ヶ谷」で自決したのか!?

【著者】
ストークス,ヘンリー・スコット (Stokes, Henry Scott)
 ジャーナリスト。1938年英国生まれ。1961年オックスフォード大学修士課程修了後、フィナンシャル・タイムズ入社。1964年来日、同年『フィナンシャル・タイムズ』東京支局長、1967年『ザ・タイムズ』東京支局長、1978年『ニューヨーク・タイムズ』東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人ジャーナリストとして知られる。

藤田 裕行 (フジタ ヒロユキ)
 ジャーナリスト。1961年東京生まれ。日本外国特派員協会プロフェッショナル・アソシエイト。上智大学外国語学部比較文化学科中退。TV・ラジオなどで、海外情報の取材通訳、字幕翻訳、放送作家を担当。夕刊フジでも取材・構成で署名記事を書いている。

【抜書】
●松井石根(p20)
〔 南京戦の司令官だった松井石根大将は、東京裁判の五十五の訴因の内の五十四の訴因で無罪でした。唯一有罪となったのが、この「不作為の罪」でした。それにより、松井大将は、絞首刑に処せられたのです。南京でいわゆる「大虐殺」を制止するための行動をとらなかったという罪で、死刑に処せられたということです。実際には存在しなかった、いわゆる「南京大虐殺」を、防ぐために何もしなかったという理由で、松井大将は死刑に処せられたのでした。〕

●WGIP(p54)
 WGIP=War Guilt Information Program。贖罪意識を植えつけるために日本人を洗脳した、占領政策。たとえば以下のような考え。
 ・東京裁判で「A級戦犯」が処刑された。
 ・「A級戦犯」が祀られる靖国神社に首相や閣僚が参拝するのはよくない。
 ・民意に反して、軍部が戦争に国民を引きずりこんだ。
 ・日本は、侵略戦争を起こし、アジアの人々と戦った。
 ・日本軍は、アジア諸地域、太平洋地域で、多くの民間人を犠牲にした。
 ・日本軍は、沖縄の人々を見捨て、犠牲にした。
 ・東京大空襲も、全国93都市を含む200近い地域の空襲も、広島・長崎への原爆投下も、日本が過ちを犯したからで、反省すべきだ。

●A級戦犯(p56)
 「A」と大文字で書かれるが、正しくは小文字の「a」。東京裁判における「犯罪の定義」は、国際軍事裁判所条例の第六条に定められている。
 a 平和に対する罪。
 b 戦争犯罪。
 c 人道に対する罪。

●昭和28年国会決議(p58)
 昭和28年(1953)8月3日、衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決された。
 9度目の終戦記念日を迎え、独立後すでに15か月を経過したので、政府は、戦争犯罪による受刑者の「全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する」。

●アジアの独立国(p66)
〔 日本は、アジア諸国と戦争をしていない。日本がアジアで戦った相手は、白人キリスト教徒の欧米列強だった。〕
 大東亜戦争の直前まで、アジアで欧米列強の植民地になっていなかったのは、日本とネパールとシャム王国。ネパールとシャムは、欧米列強によるアジア植民地争奪戦の「緩衝地帯」として、かろうじて植民地にならずにいた。

●モーゼ(p73)
 「聖書の『民数記』では、神の宣託を受けたモーゼが、異教徒は、『男も女も全員虐殺』することを命じている。さらに、『男を知らない処女は、分かち合え』というのだから、恐ろしい」(ストークス『連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)からの引用)。
 この教えに基づいて、白人キリスト教徒が世界侵略を実行した。

●徳性(p93)
〔 易姓革命が度々起こるということは、言ってみれば、徳を度々失っているということでもある。ところが、日本は、神話の時代から神聖なる天皇が、徳治をされてきたため、歴史的に極めて徳性の高い国であってきた。
 戦国時代の最も乱暴と恐れられた武将の信長でさえ、敵を攻撃する前に、女や子どもを避難させるように勧告を出している。
 あまり徳が高い育ちとは思われない秀吉ですら、伴天連に対する様々な対応は、十分に節度と配慮のあるものであった。〕

●角倉船(p94)
 1592年(文禄元年)、秀吉は「異国渡海の朱印状」を発行した。当時、貿易船がフィリピン、ベトナム、カンボジアなどの東南アジア各地に行っていた。
 京都・清水寺に、朱印船の絵馬が重要文化財として残っている。1632年奉納の住吉船と、1634奉納の角倉船。
 寛永11年(1634年 )9月吉日の日付の絵馬には、「東京」(トンキン)と書かれている。ベトナム北部にあった日本人町。京都の角倉了以(すみくらりょうい)は、ベトナムとの交易に従事していた。
 了以の子の与一「回易は、有と無を通じて、自他を利すること。人を損なって己を利する道ではない。利を共にすれば、それが小であっても、また大となる」。

●フランシス・ドレイク(p107)
 イギリスは、海賊を利用して植民地争奪戦に勝った。
 フランシス・ドレイク……西インド諸島、チリ、ペルーなどでスペイン船を襲って、財宝を奪う海賊。1580年、太平洋を横断して、喜望峰回りでイギリスに帰国。マゼラン隊に続き、史上2番目に世界一周の航海に成功。
 ドレイクは、略奪した金銀財宝をエリザベス女王に献上。その額は、イギリスの国家歳入を上回っていた。
 スペインのフェリペ2世は、ドレイクを処刑するよう抗議の使者を送ったが、女王は、その使者の目の前でドレイクに騎士の称号を授与。
 フェリペ2世は激怒、イギリスに報復の戦争を仕掛けた。1588年、アルマダの海戦。ドーバー海峡で、無敵艦隊「アルマダ」の1,000トン級の大型艦船を、機動力のあるイギリスの小型艦隊が次々と撃沈、最後は54隻となった。イギリス艦隊を指揮したのがドレイクだった。
 ロイヤル・ネイビーが世界の七つの海を支配する始まりは、海賊だった。

●大東亜戦争史観(p160)
〔 日本が戦争を戦った、その真実を把握するには、「大アジア」を戦場としてアジア諸民族から搾取をする植民地支配者であった欧米諸国と戦い、アジアを解放、独立させたという歴史認識、言ってみれば「大東亜戦争史観」をもって世界史を見つめてみる必要がある。
 アメリカも、そしてアジアを蹂躙し植民地支配をしたヨーロッパ諸国も、「大東亜戦争史観」という観点からだけは、歴史を見られたくない。だから、アメリカも、ヨーロッパ諸国も日本が「太平洋戦争」を戦ったことにしておきたいのだ。アジア諸国の独立に日本が果たした貢献を知られては、欧米の「有色人種大虐殺」の責任があからさまになってしまう。それでは、欧米の正義が崩壊してしまうのだ。
 欧米が戦った第二次世界大戦は、正義の自由主義陣営と、悪の枢軸国であるドイツ、イタリア、日本のファシズムとの戦いであったとするのが「戦後レジーム」であるからだ。「大東亜戦争」という観点を持ち出されると、欧米の戦争の大義が崩壊してしまうのだ。
 「日本がアジア諸国を侵略した」というのは、連合国側の史観にすぎない。それは、(日本にとっては)敵側の戦時プロパガンダだ。日本の美徳は「いさぎよさ」「言挙げしない」ところにあるが、史実を捻じ曲げる連合国の戦勝史観というプロパガンダには、しっかりと反駁をしてゆかなければ、日本のために命を散華された父祖の名誉も回復できない。それは子孫を、いわれもない冤罪による誹謗中傷に苦しめることに繋がる。そんなことを、断じて看過、容認してはならない。〕

●インドネシア独立記念塔(p171)
 ジャカルタの中心にあるムルデカ広場。「ムルデカ」は、インドネシア語で「独立」の意味。独立の英雄ハッタとスカルノの像とともに、高さ37mの独立記念塔が立っている。地下1階に、独立宣言の実物が納められている。そこに、独立の日が「17‐8‐05」と書かれている。
 「17-8」は、8月17日の独立の日。「05」は、日本の「皇紀2605年」(西暦1945年)。ハッタとスカルノは、日本に感謝して、皇紀を採用した。インドネシア独立の生みの親は日本だった。

●戦時国際法(p192)
〔 戦時国際法で、捕虜は保護されている。捕虜を不当に処刑すれば、それは戦争犯罪である。東京裁判開廷中は、戦争中である。講和条約が締結されるまでは、休戦状態を意味する。降伏文書というのは休戦協定で、その調印は終戦でははい。その戦争期間中に、不当な裁判を行って、戦時捕虜を処刑したのがマッカーサーである。これは、明白な戦時国際法違反ではないか。完全なる復讐行為である。
 一六四八年に三十年戦争を終結されたウエストファリア条約第二条は、国際法史上で有名である。
 条約では、戦争が始まって以来の言葉、記述、暴虐、暴行、敵対行動、棄損、失費を、「交戦諸国相互に、永久の忘却、大赦ないし免罪があるべきものとする」と規定している。
 「全面的忘却(アムネスティア)」――すべてを水に流すこと――の精神は、戦争が燃えたたせた国家間の憎悪を鎮めるために必要とされた。
 東京裁判には、アムネスティの精神をないがしろにした怨念が感じられる。〕

●謝罪(p200)
〔 ドイツは、早い段階で謝罪をしている。第二次大戦が終わると同時に、謝罪をして仕切り直しをして戦後をスタートした。なぜ日本はドイツのような対応ができなかったのだろう。ひとつの理由は、日本では占領期間が長かったことだ。六年間の占領期間中は、マッカーサーの許しがなければ、何もできなかったのだ。ドイツには、そのように厳しい占領期間がなかった。国を二つに分断して、東西ドイツ両国がそれぞれに謝罪をした。
 占領が終わった時に、遺憾の意を表明できたかもしれないが、実際は難しかったろう。ドイツは、第一大戦でも敗戦の体験がある。しかも第二次大戦でドイツは、ヒットラーがユダヤ人に対して犯した罪が明白だったので、謝罪もしやすかった。国家の責任ではなく、ヒットラーとナチスに一切の責任を被せている。それ故、ニュルンベルグ裁判も、短期間で結審した。
 ところが日本にとっては、歴史上初めての敗戦だった。どのように受け止めていいのか、対処の仕方がわからなかった。しかし終戦後から既に七十年の歳月が流れている。もういい加減に敗戦後遺症からは、脱却する時だろう。〕

(2016/9/10)KG

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