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働きかたNext選ぶのはあなた
 [社会・政治・時事]

働き方Next 選ぶのはあなた

日本経済新聞社/編
出版社名 : 日本経済新聞出版社
出版年月 : 2016年4月
ISBNコード : 978-4-532-35689-7
税込価格 : 1,620円
頁数・縦 : 247p・19cm


 日本での「働き方」に変化が起きている。終身雇用制の崩壊、女性の登用、職業のミスマッチ、働く高齢者、などなど。日本人の仕事の仕方について、進行中の変化を追う。

【目次】
第1章 主人公はあなた
第2章 常識を疑え
第3章 女性が創る
第4章 若者が問う
第5章 報酬を考える
第6章 老いに克つ
第7章 日本を変える

(2016/10/31)KG

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なぜ世界の隅々で日本人がこんなに感謝されているのか
 [社会・政治・時事]

なぜ世界の隅々で日本人がこんなに感謝されているのか (PHP新書)

布施克彦/著 大賀敏子/著
出版社名 : PHP研究所(PHP新書 1055)
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-569-83146-6
税込価格 : 907円
頁数・縦 : 260p・18cm


 主に発展途上国で活躍し、現地の人々に慕われ感謝されている「無名」の日本人を紹介する。

【目次】
第1章 マーシャル諸島―金物屋のオヤジが環境問題と闘う……山口雄一
第2章 南アフリカ―元ソニー、いまは子どもたちに本を届ける……蓮沼忠
第3章 ナイジェリア―どこでも人は人、皆同じ……和田見大作(味の素)
第4章 日本の技術でケニアを伸ばす……坂田泉
第5章 タンザニアの大統領を山形に呼んだ男……齋藤弘
第6章 アフリカの土になった商社マン……清水孝(しみずこう)
第7章 インドで歌うビジネスマン……久保木一政
第8章 バングラデシュで貧困と闘う……渡辺大樹(ひろき)(エクマットラ)
第9章 ミャンマーの闇を照らしてきた日本人たち……小丸佳憲、和田直子、小畠攝治郎(おばたけせつじろう)・一子
第10章 嫌日嫌韓を超えて……子安勇誠(こやすたけのぶ)

【著者】
布施 克彦 (フセ カツヒコ)
 1947年東京生まれ。一橋大学商学部卒業後、総合商社(三菱商事)勤務、主に鉄鋼貿易業務に従事。その間、ナイジェリア、ポルトガル、アメリカ、インドに計15年勤務。99年退社後、2003年より著述業、NPO活動など。

大賀 敏子 (オオガ トシコ)
 一橋大学卒業後、1983年環境庁(現環境省)、UNEP(国連環境計画)、タンザニアJICA専門家、JICA国際協力専門員、タイ国連アジア太平洋経済社会委員会。99年から再びUNEP勤務、ナイロビ(ケニア)在住。

【抜書】
●UNEP(p101)
 1972年、ケニヤのナイロビに国連環境計画(UNEP)が設置された。
 国連の本部機能の一つ。他は、ニューヨーク、ジュネーブ、ウィーンにある。大規模な国際会議を開くことができる。
 ケニアには、恵まれた気候、イギリス人が基礎を作ったインフラ、英語を話す国民、野生動物といったさまざまな利点がある。


(2016/10/31)KG

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桓武天皇の帝国構想
 [歴史・地理・民俗]

桓武天皇の帝国構想

前田晴人/著
出版社名 : 同成社
出版年月 : 2016年6月
ISBNコード : 978-4-88621-732-5
税込価格 : 2,052円
頁数・縦 : 204p・19cm


 第2次大戦時まで続く日本国家の原型を作った桓武天皇を、「蕃人共同体」という視点から読み解く。

【目次】
序論
第1章 桓武天皇の侍臣・菅野真道
 菅野真道の祖先伝承
 菅野真道の先祖
 王辰爾の後裔氏族
 菅野真道の官歴
 日本帝国と諸蕃
第2章 百済・高句麗の建国神話
 天高知日之子姫尊
 百済・高句麗の建国神話
 高句麗好太王碑文
 天帝の子と日本帝国
第3章 「蕃人共同体」論
 「蕃人共同体」の構想
 天皇・藤原氏・百済王氏
 「蕃人」の重用
 東文氏と西文氏
第4章 百済王氏と桓武天皇
 百済王氏の由来
 藤原継縄と百済王明信の結婚
 交野行幸の意義
第5章 桓武帝国の特質
 桓武天皇を論じた理由
 「蕃人共同体」の論
 遷都と征夷
 日本帝国の定立

【著者】
前田 晴人 (マエダ ハルト)
 1949年大阪市生まれ。1977年神戸大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、大阪経済法科大学教養部客員教授。

【抜書】
●外戚(p4)
 「百済王等は朕が外戚なり」。桓武天皇が延暦9年(790年)2月に発した詔。
 桓武天皇は、自身を「蕃人」の系譜に結び付けることを端緒に、従来とは異質の国家像を構想していく。

●氏姓(p15)
 『新撰姓氏録』……弘仁5年(814年)6月、京(左京・右京)と畿内5カ国(山城・大和・摂津・河内・和泉)に居住している皇族・貴族・豪族の氏姓を調査・登録。
 氏……ある特定の職掌をもって王権に仕える集団の名称。皇別・神別・諸蕃(帰化系の氏)に分類。
 姓……他の氏との出自の違いや身分の別を表す標識。

●平安京造都と征夷戦争(p51)
〔 桓武天皇は七代七五年にわたり続いた大和国の平城京を捨て、山背(城)国に長岡・平安京を相次いで造営した。天皇が平城京を停廃した理由にはさまざまな問題が絡んでいるようであるが、最大の要因は天命思想にもとづく天智系皇統にふさわしい王都の構築にあり、天武系皇統が作り上げてきた国家の再構築とその新たな政治拠点(「帝皇之邑」〔『続日本紀』和銅元年二月十五日条〕)の造営を目指したと考えられる。桓武天皇は大宝・養老律令に規定され構造化された前代までの国家体制を否定しようとするものではなく、その本質的な部分を継承しながらも、天皇が治世を挙げて自ら実践した諸政策の成果と独自の構想を加味して新たな帝国国家の首都を建設しようとしたのであり、平安京は日本天皇制的帝国国家の本質・特性を凝縮した国際都市として建設されたとみることができる。
 造都ともに精力的に推進されたもう一つの蝦夷征討戦争は、桓武天皇の国家構想がいかなる性格・本質のものであるかを端的に示している。天皇の教化・徳化に反抗する辺境地帯の蝦夷を国家の総力戦で征圧し、領域の拡大と蝦夷の皇民化を推進して、中華帝国の覇者としての天皇の権力・権威を化内(華夏=天皇の統治領域)に確立するという目的があったのである。天皇の強力な支配権が既定の化内だけではなく化外(蛮夷の世界)にも及ぼされ、夷狄が自発的な態度をもって天皇に平服し朝貢するという関係の構築は七世紀の阿倍比羅夫の北征以来の事業であったが、桓武朝の征夷はそれまで行われてきた断続的な叛逆行動への個別的・臨機的な対応という性格のものではなく、国家の総力を挙げた計画的・意図的な夷狄征討戦争なのであり、華夷双方の世界を強力な統治力によって領べる中華帝国の皇帝像の形成と実現が目指されたのである。〕

●朝鮮包摂(p81)
 平安時代以来の日本人の世界観……本朝(日本)・震旦(中国)・天竺(インド)という三国観。
 朝鮮がそっくり抜け落ちているのではなく、「神国日本」がもとより朝鮮を包摂し内属させているという無意識の心理が働いていた。日本と朝鮮諸国の双方に君臨する天皇=皇帝という考え方を潜在させた国家思想。桓武天皇が創出した神話の論理と帝国の構造。
 村井章介『アジアのなかの中世日本』(校倉書房、1988)。

●帰化系人物の登用(p105)
 延暦15年(796年)3月、従四位下和朝臣家麻呂を参議に任命。帰化系氏族の人物を太政官の議政官の一員に初めて登用。
 家麻呂は、桓武天皇の三歳違いの従兄。延暦24年(805年)、従三位中納言・中務卿をもって薨じ、詔により、従二位大納言を追贈される。享年71歳。
 その後、延暦24年正月に菅野朝臣真道(津連真道)が、6月には坂上大宿祢田村麻呂が、参議に任命されている。双方、文官・武官を代表する官僚貴族。

●日本という国のかたちの原型(p172)
〔 ところで、考えてみれば、戦後に発足した日本は二〇〇〇年以上の及ぶ長い歴史のなかで、憲法が規定している三つの基本原則の下での国民生活はたかだか七〇年のことにすぎない。大戦以前の国制の基本はごく少数の貴族や武家・特権官僚による専制的な支配であった。貴族・武家・天皇制官僚による伝統的とも呼べる支配の遺制は現代にもさまざまな形で残存しており、未来の社会像・国家像がみえない不安のなかで、古い国家観や保守的支配イデオロギーに依拠して明日を生きる糧を求めようとする動きが顕在化している。とりわけ「美しい国」の構築を目指す勢力の熱いまなざしは明治憲法体制に注がれているようであるが、歴史を回顧した場合、維新政権が標榜した王政復古の原型は平安時代初期の桓武天皇の治世にさかのぼるのではないかと考えられる。皇室制度の確立、首都の定立天皇を輔翼する官僚制、国郡制による地方支配、総力戦をもってする夷狄の制服、中華帝国の版図の画定、伊勢神宮祭祀の整備、日本仏教の定礎など、ある意味で桓武朝は日本歴史の分水嶺の位置を占め、以後に展開する国制の基礎と枠組み・理念とを創出した時代である。本書では桓武天皇がその治世の最終目標としてめざしたと考えられる国家構想の問題を究明することにした。〕

●蕃人共同体(p175)
 蕃人……律令制の法制用語。ある個人またはその人物の系譜的先祖が帰化人である人間を指す一種の差別語。
 蕃人共同体……〔蕃人の出自であることを自覚している桓武天皇その人を中核とする集団のことで、「諸蕃」すなわち帰化系氏族出身の人物とその家族・親族・同族、さらに帰化氏族出身の配偶者をもつ人物の家族・親族などを含む貴族・官人・宮人の集合体を指し、彼ら及び彼女らはその帯びる位階・官職や社会的な身分はみな異なるが、天皇の政治の枢機に参与し奉仕するという点ではフラットな関係にあった。〕

●『隋書』倭国伝(p186)
 「新羅・百済、皆倭を以て大国にして珍物多しと為し、並びに之を敬仰し、恒に通使・往来す」。
 律令制以前の倭国は、朝鮮諸国に対する「大国」としての地位に立っていた。中国王朝も認めている。
 新羅が朝鮮半島を統一するまでは、三国一地域が分裂した状態が長く続き、中国からのたえざる政治的干渉も加わって、戦乱の状態が継続した。倭の王権もその亀裂を利用してこれらの国々と交渉し、軍事的な行動を行うこともあった。日本王権が「任那の調」を新羅あるいはのちに百済から徴収し、朝貢させていた。

(2016/10/29)KG

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拡張する脳
 [自然科学]

拡張する脳

藤井直敬/著
出版社名 : 新潮社
出版年月 : 2013年9月
ISBNコード : 978-4-10-334731-6
税込価格 : 1,836円
頁数・縦 : 250p・20cm


 「社会脳」をユニークな実験で研究する脳科学者の聞き書き本。ライターは、緑慎也。

【目次】
第1章 脳が現実を作る
第2章 新しい脳科学の方法
第3章 社会脳とは
第4章 脳はネットワーク
第5章 ほんとうの賢さとは
第6章 脳のオーケストラ
第7章 データ共有で脳科学革命

【著者】
藤井 直敬 (フジイ ナオタカ)
 1965年広島県生まれ。東北大学医学部卒業。同大医学部眼科学教室にて初期研修後、同大大学院に入学、博士号取得。1998年よりマサチューセッツ工科大学(MIT)、McGovern Instituteにて研究員。2004年より理化学研究所脳科学総合研究センター象徴概念発達研究チーム副チームリーダー。2008年より同センター適応知性研究チーム・チームリーダー。主要研究テーマは、適応知性および社会的脳機能解明。主な著書に、『つながる脳』(NTT出版、第63回毎日出版文化賞受賞)。

【抜書】
●SR(p21)
 SR=Substituional Reality。代替現実。もう一つの世界。
 SRシステム……理化学研究所の藤井、脇坂崇平、鈴木啓介が開発。ヘッドフォンとHMD(ヘッド・マウントディスプレイ)を装着、 「この世界」と「もう一つの世界」の間で、視覚と聴覚だけを境目が分からないように 切り替える。記録モジュール、制御モジュール、体験モジュールから成る。
 「もう一つの世界」とは、360度パノラマ・ビデオカメラで撮影した映像。

●多次元生体情報記録手法(p82)
 実験用のサルに装着。サル版ライフログを記録・保存、公開している。
 モーションキャプチャーによる運動データ、筋電図、心電図、呼吸などの生理データ、眼球位置データ、瞳孔径データ、脳活動データを記録。さらに、実験部屋の天井にビデオカメラを設置、サルの動きを撮影。
 脳活動は、ECoG(イーコジー)を使用。
 ECoG……小さなピップエレキバンのような円盤状の電極がたくさん埋め込まれた「シート状電極」。2013年7月時点で、電極の数は256点。脳の半球を丸ごと覆うことができる。

●バケツ型(p93)
 多次元生体情報記録手法は、「バケツ型」の研究スタイル。何が取れるかを考えずに、まずは取れるだけたくさんデータを取ってきた後、様々な条件でデータを解析する。
 通常の研究は、「サーチライト型」。ある仮説を立て、実験で確かめるというやり方。結果を予想して研究を行うので、この手法だと、見たいものしか見えない。

●ホスピタリズム現象(p105)
 親から離され、長く孤児院や養護院などの施設で育った子供に精神発達・身体発達の遅れ、生存率の低下などがみられる現象。「施設病」とも言われる。1800年代から知られていた。
 精神科医のルネ・スピッツ(1887-1974)が原因を実証的に解明。第二次世界大戦中に生まれた孤児たちを対象に調査。1945年、調査結果を「ホスピタリズム」という論文で発表。
 乳児を3つのグループに分けて調査。
  ① 普通の家庭で母親と暮らしている乳児。
  ② 犯罪を犯した母親と刑務所内の母子厚生施設で暮らす乳児。
  ③ 親がいなくて孤児院で暮らす乳児。
 どのグループも、十分な栄養を与えられ、清潔な環境が保たれている。
 ①②のグループは正常に発育したが、 ③のグループは、三分の一(91人中34人)が、2歳までに死亡。発育・発達の遅れも目立った。
 ③に決定的に不足しているのは、母子の間なら当然あるはずのコミュニケーション。人手が足りず、授乳もベッドにミルク入りの袋をフックで引っ掛け、赤ん坊が勝手に飲むだけ。一斉に配り、一定時間が経ったら一斉に片付ける。話しかけたり、スキンシップを取ることもほとんどなかった。
 当時、小児の死亡原因は、1位栄養失調、2位感染症だった。

●フリードリヒ2世(p108)
 13世紀、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世。言葉をまったく教えられなかった子供が最初に話す言葉は何か、知るための実験を行った。
 身寄りのない赤ん坊をたくさん集め、侍女に預けた。乳を与え、入浴、下の世話をしてもいいが、話しかけてはならない。
 赤ん坊は、2歳になる前に全員が亡くなった。

●社会脳(p119)
 社会的ルールは、脈絡なく瞬間的に変化することがある。はだかで「踊るのが変」から、「踊らないのが変」へと変わる瞬間がある。人種も文化も問わない、世界共通の現象。人間の脳の働きによって引き起こされている可能性がある。つまり「社会脳」。
 一見、意味はないけれど、僕らはほとんど無意識に、社会的ルールに従っている。それが、社会性と言われる性質の実体。
 「社会脳とは、瞬間的に変化する社会的ルールに対応して、適切に行動を切り替える脳の働きである」

●我慢(p195)
〔 社会は、我慢ができない人を、冷たく突き放すのがふつうです。もし学校の授業中、あるいは職場で仕事中に、誰かが突然、大声で歌いはじめたとしたら、どうでしょうか。おそらくその人は、「申しわけないけれど、出ていってほしい」といわれるはずです。利他的行動や協調行動ができなくても、社会で生きていくことは可能でしょう。しかし、我慢ができない人は社会から排除されてしまいます。これは、ぼくたちの社会の実に面白い特徴です。〕
 我慢が社会性の基本。我慢を適切にコントロールする能力。それが本当の賢さ。サルの実験では、優位なほうではなく、劣位のほうが賢くふるまう。
 社会を作っているのは、ボスではなく、下位のヒトたちの賢さ。
 
●ニューロティコ・ビギンズ(p210)
 サル版ライフログを利用するためのツール。インターネット上で公開。

●ケプラー(p223)
 脳科学の現状について、口の悪い物理学者は、「ケプラー以前の未熟な学問」と揶揄する。
 物理学は、17世紀初め、「ケプラーの法則」が発表される前と後で大きく様変わりした。ケプラーによってはじめて、自然現象が数式を使って説明できることが示された。
 ティコ・ブラーエ(1546‐1601)、デンマークの貴族の家に生まれる。1572年に超新星、1577年に彗星を発見。デンマーク王フレゼリク2世の目に留まり、ヴェン島に巨大な天文台(天の城「ウラニボリ」と呼ばれた)を建設してもらい、天体観測を行い、詳細なデータを蓄積し続ける。
 1588年、フレゼリク2世没、天文台の予算を削られ、ティコは神聖ローマ帝国の首都プラハに移住。皇帝ルドルフ2世に天文学者、錬金術師、占星術師として雇われる。ペテナク城に新しい天文台を建設。しかし、2年後に亡くなる。
 ケプラーは、1600年に助手として雇われる。ティコの残した膨大な観測データを8年かけて解析、ケプラーの法則にたどり着く。

(2016/10/23)KG

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決定版 日本人論 日本人だけがもつ「強み」とは何か?
 [社会・政治・時事]

決定版 日本人論~日本人だけがもつ「強み」とは何か?~ (扶桑社新書)

渡部昇一/著
出版社名 : 扶桑社(扶桑社新書 215)
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-594-07504-0
税込価格 : 864円
頁数・縦 : 275p・18cm


 2011年6月、海竜車より刊行された『知っておくべき日本人の底力』(新装改訂版)を加筆修正し、大幅に改訂したもの、らしい。改訂前の版も「新装改訂版」だから、その前に原書がある。それは2008年1月発行らしく、「新装改訂版」のものとともに、「まえがき」が巻末に載っている。8年をかけて、しぶとく書き繋いでいるのである。

【目次】
序章 日本人が決して失ってはいけないもの
 敗戦後、アメリカは日本の歴史を抹殺しようとした
 日本人がいかに悪かったかを認識させるためだった東京裁判
 東京裁判の「ジャッジメンツを受諾する」という重大な意味
 アメリカがもっとも恐れた日本の復活
 日本は、一国だけで一つの文明圏を成す存在である
 移民・難民の受け入れは、アメリカインディアンの立場で考える
 グローバル化が進んでも、世界が一つになることはない
 日本人だけが持っている「強み」とは何か?

第1章 日本人がもつ「不変」の力
 最大の国難とは、日本人アイデンティティーが失われてしまうことである
 二千年以上続いている組織は、日本の皇室とローマ法王庁だけ
 西洋の王様と日本の皇室の根本的な違いとは?
 靖国参拝にケチをつけるとは、日本文明への攻撃である
 破壊の極み・応仁の乱が生み出した、日本文化の根源
 日本文明の基礎にある“理解し得ないものの力”
 日本は、神話が今も生きている
 日本人に刷り込まれている独自の宗教観「両部神道」
 神話とダーウィンの進化論が共存できる日本人の柔軟性
 日本の歴史の「型」…変化すれども断絶せず
 頼山陽の『日本楽府』にみる、決して隷属しない日本人気質

第2章 対立ではなく融合していく日本人の宗教観
 一神教の国では考えられない、神道と仏教の絶妙な融合
 歴史にみる人智を超えた「神道」「仏教」のバランスの妙
 なぜ藤原氏は皇位につこうとしなかったのか?
 日本にあって唐にはなかった大きな存在「神祇官」
 日本の文化に巨大な貢献をした「本地垂迹説」という新概念
 隋・唐の制度・宗教を輸入し日本オリジナルに変換した「大化の改新」
 キリスト教にみる「煉獄」を作った見事なアイディア
 宗教戦争と無縁な日本人を作り上げた「本地垂迹説」
 日本には、「民族宗教」が雄大なる「聖地」として残っている
 東京の真ん中に明治神宮という広大な森林が作られている意味
 七福神にみる日本人の最高傑作な宗教観

第3章 日本人のDNAに潜む「もののふ」の力
 武家の“憲法”「御成敗式目」が示したこの国のかたち
 現代日本人の高い民度を作り上げた『貞観政要』
 武士台頭の時代に「婦道」を説いた北条政子の情
 現実主義の鎌倉武士の心を捉えた精神鍛錬重視の禅宗
 「元寇」を防いだのは、本当に神風だったのか?
 六百年後に認められた北条時宗の功績
 神風は鎌倉武士の功績である
 天下を動かした楠木正成の真価
 楠木正成と諸葛孔明の類似性
 「建武の中興」を潰した、論功行賞の不条理
 日本人のDNAに潜む「もののふ」の力

第4章 信長・秀吉・家康が、現代に残した教訓
 信長・秀吉・家康それぞれの教訓
 信長に学ぶ…明確に先を見据え弊害を破壊する力
 秀吉に学ぶ…周到な人間関係を編む力
 家康に学ぶ…徹底したリアリズムの力
 武士がだんだん貧しくなっていったその意味するところ
 平和になった江戸時代が育んだもの
 武士の、清貧にして気位が高い姿を作り出した思想とは?
 江戸時代、ハイレベルであった「儒教」の水準
 武士階級から受け継いでいるもの

第5章 一国で一つの文明をもつ国・日本
 なぜ、日本は一文明一民族と言えるのか?
 日本文明の特異性を示す「大和言葉」「皇室」「神社」「仏教」
 いい和歌には漢語が入っていない
 ブルームズベリーに衝撃を与えた『源氏物語』
 『源氏物語』こそ、日本が一国一文明の国の証である
 連綿と受け継ぐ「外来品」を超えるものを作り上げる日本人の能力
 鄧小平も倣った“日本式”とは何か?
 留学は日本の伝統的な学問修得法である
 日本人であるがゆえにもらえなかったノーベル賞があった
 ダイナミックな歴史の変化に、巧妙に対応してきた祖先
 西ヨーロッパの発達史によく似ている日本のダイナミズム
 文明と文化の大きな違いとは何か?
 国の継続は、力ではなく精神的権威こそ重要である理由
 日本は、世界の模範となるべきである

【著者】
渡部 昇一 (ワタナベ ショウイチ)
 昭和5年山形県生まれ。上智大学大学院修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。Dr. phil.(1958)、Dr.phil.h.c.(1994)。上智大学教授を経て、上智大学名誉教授。その間、フルブライト教授としてアメリカの4州6大学で講義。専門の英語学のみならず幅広い評論活動を展開する。昭和51年第24回エッセイストクラブ賞受賞。昭和60年第1回正論大賞受賞。

【抜書】
●名誉革命(p66)
 名誉革命、1688‐89年。
 スチュアート朝のイングランド王チャールズ2世と、その後を継いだ弟ジェームズ2世は、カトリック勢力に加担。ほとんどの大臣や議員がプロテスタント(アングリカン教会=聖公会)だった議会を無視した。
 議会は、プロテスタントであるジェームズ2世の娘メアリと、その夫であるオランダのオレンジ公ウィリアム3世夫妻を迎えて即位させ、議会の発した「権利宣言」を認めさせた。王権に対して議会が勝利をおさめ、流血を見なかったことで「名誉革命」と呼ばれた。
 メアリは、子供がなく、王統は途絶えた。
 イギリスは、娘と番頭を結婚させ、その二人に家産(イギリス王国)を継がせたが、娘が早く死んだので、番頭が一人で家産を継ぐ形になった。
 日本の皇室では、男系で繋いできたので、神武天皇の遺伝子を連綿と継続している。ヨーロッパの王家にはない、日本のアイデンティティー。

●煉獄(p117)
 キリスト教では、洗礼を受けていない者はどんな者であっても死後に天国に行けないとされていた。
 そのため、修道僧のボニファティウスがドイツのミュンスターの近くで布教した時、部族長ラートボードの反感を買うことになった。洗礼を受けていない先祖はどうなるのか?
 ボニファティウス「洗礼を受けずに死んだあなたの先祖たちは地獄へ行っている」
 ラートボード「俺はお前の言う天国になど行けなくても結構。そこが地獄であっても自分は先祖のところへ行く」
 キリスト教を広げるためには、洗礼のシステムがネックになっていた。
 この問題を一挙に解決したのが、煉獄という後付けの概念。新約聖書には登場しない。
 洗礼を受けずに亡くなっている立派な人や、小罪しか犯していない人たちは、天国のような光輝く素晴らしいところには行っていないが、地獄のような苦しいところにも行っていないはず。天国と地獄の中間にある煉獄にいる。天国に入る前に、火によって罪を浄化される。自分の子孫が洗礼を受けて、煉獄にいる霊のために祈るのを待っている。その祈りによって晴れて天国に行くことができる。
 煉獄を教義として述べたのは、教皇聖大グレゴリウス(540頃~604)。

(2016/10/22)KG

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通貨の日本史 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで
 [歴史・地理・民俗]

通貨の日本史 - 無文銀銭、富本銭から電子マネーまで (中公新書)
 
高木久史/著
出版社名 : 中央公論新社(中公新書 2389)
出版年月 : 2016年8月
ISBNコード : 978-4-12-102389-6
税込価格 : 907円
頁数・縦 : 258p・18cm


 通貨、特に金貨、銀貨、銭の三貨に関する日本の歴史。通貨は、その時代を反映する鏡であるということがよくわかる。

【目次】
第1章 銭の登場―古代~中世
 都の建設のために
 外国銭の奔流、国産銭の復活
第2章 三貨制度の形成―戦国~江戸前期
 シルバーラッシュの中の信長・秀吉
 江戸開幕、通貨の「天下統一」
第3章 江戸の財政再建と通貨政策―江戸中期~後期
 改革政治家たちの悪戦苦闘
 開港前夜の経済成長と小額通貨
第4章 円の時代へ―幕末維新~現代
 通貨近代化の試行錯誤
 帝国の通貨と戦後

【著者】
高木 久史 (タカギ ヒサシ)
 1973年、大阪府生まれ。96年、神戸大学文学部卒業。神戸大学大学院文学研究科、同大学院文化学研究科を経て、2000年、織田町歴史資料館(05年、越前町織田文化歴史館と改称)学芸員。05年、博士(学術、神戸大学)。08年、安田女子大学文学部講師、14年より同准教授。

【抜書】
●無文銭銀(p8)
 708年発行の和同開珎(わどうかいちん)の前に、遅くとも660年ごろ、無文銭銀が天智天皇の治世に存在した。銀板を打ち述べる方法でつくられ、円形で中心に孔がある。○や×などの刻印が入ったものもある。質量は10.5g前後。規格化されている。そもそも、質量を量って用いる貨幣(秤量貨幣:しょうりょうかへい)だが、質量を規格化することで、個数を数えて用いる貨幣(計数貨幣)の性格を持っていた。

●富本銭(p10)
 現在確認できる、最古の国産の銅貨(厳密には、銅・アンチモン合金)。円形方孔。7世紀に王宮があった飛鳥で製造されていた。
 唐が621年に発行した開元通宝をモデルにした。この後の日本の銭は、どれもだいたいがい直径2.5cm前後、質量3~4g前後。現行の五円硬貨(2.2cm、3.75g)に近い。

●皇朝十二銭(p16)
 和同開珎以後、10世紀までに朝廷が発行した銅銭を総称して皇朝十二銭と呼ぶ。青銅銭だけでなく、金製・銀製のものもある。
 958年、村上天皇の治世に乾元大宝を発行。皇朝十二銭の最後。
 発行停止の理由。①銅の国内生産が不調になったこと、②大規模な建設事業や戦争がなく、発行益を得る必要が少なくなったため。

●承和昌宝(p20)
 承和昌宝(じょうわほうしょう)……835年(承和2年)、発行される。日本初、年号を持つ銭。
 和同開珎の発行時の年号は、「和銅」。

●皇宋通宝(p25)
 皇朝十二銭以後の中世は、中国からの輸入銭が流通した。
 日本の移行から最も多く出土する銭は、宋が発行した皇宋通宝。

●乾坤通宝(p41)
 建武新政下の1334年、後醍醐天皇は、乾坤通宝(銅銭)と政府紙幣の発行を布告。しかし、実現しなかった。
 銭と紙幣の併用は、宋がモデル。当時の東アジアの流行。朝鮮王朝、ベトナムも同様。
 発行の目的は、天皇の権威を示すための政治的デモンストレーションと、大内裏の建設のため。

●明銭(p45)
 15世紀に輸入された銭は、明政府が発行したものより、前の王朝の銭のほうが多い。日本で出土した銭のうち、約80%が北宋銭。明銭の割合は約7%。北宋は、中国史において銭を最も多く発行した王朝の一つ(p30)。
 明政府は、15世紀前半に宣徳通宝の製造を停止して以降、1503年の弘治通宝まで銭を発行せず、その後も断続的かつ少量の発行だった。納税や官僚給与の支払いを銭ではなく、銀で行っていた。
 15~16世紀の中国では、少額貨幣の需要を満たすため、民間で宋など旧王朝の銭を私造。現存する銭で銘が宋の時代のものであっても、後世の模造品の可能性もある。

●省陌(p48)
 省陌(せいはく)……100枚未満の銭を100文とみなす慣習。中世日本では、原則として97枚で100文とした。銭不足に際し、銭を節約する方法。
 緡銭(さしぜに)……省陌は、銭の孔に紐を通してつないで作った緡銭に適用された。
 「早起きは三文の得」……早起きしてバラ銭を紐でつなげば三文の得をする、というのがこのことわざの由来という説もある。

●割符(p54)
 割符(さいふ)……主に畿内の問屋商人が発行し、現在の為替手形(振出人=発行者が通貨との交換を他者へ委託)または約束手形(振出人本人が通貨との交換を約束)と似た書式を持つ。14世紀に登場し、15世紀後半に事例が目立つ。

●枚(p66)
 枚……16世紀、金を「枚」という単位で計算するようになる。10両(約165g)を意味する質量単位。一つ10両の板状金塊が作られるようになり、それが板状なので、数詞の「枚」が質量単位に転じた。また、金屋(金商人)が金の含有量を保証するため、金塊に墨書や刻印(極印:ごくいん)を施すようになる。

●天正大判(p67)
 天正大判……16世紀後半、枚単位の金貨の代表例。
 京都の彫金師である後藤家が製作。遅くとも1587年(天正15年)には存在したことが確認されている。
 板状・長円形で、後藤による墨書・刻印がある。1580年代のもので、長径約14cm、短径約8cm、質量約165g≒10両=1枚。世界最大級の金貨と言われる。
 秀吉の発注により作られたと伝えられるが、それ以前から後藤家は同様の規格の金貨を作っていた。後藤家の系譜が、江戸幕府の金貨製造を担うことになる。
 秀吉と大名相互の贈与などに使われた。

●ザビエル(p70)
 16世紀半ばのヨーロッパ人の来日は、銀を求めてのこと。
 ヨーロッパ諸国は、絹織物など中国の物産を求めて東・東南アジアに来たが、貿易通貨は銀だった。
 ザビエルが山口での布教を重点的に行ったのは、山口に本拠を置き、石見銀山を領有していた山内氏とコネを作るためだった。

●ビタ(p80)
 ビタ……従来の基準銭以外を指し、当時、はたかけ(端が欠損)・ひらめ(無文銭)・ころ(加治木産模造洪武通宝)・へいら(仕上がりが粗末な銭)を除いた残りの銭。従来の基準銭は、この頃流通がなくなっていた。

●秀吉の金・銀政策(p85)
 秀吉の金貨・銀貨に関する主な政策。
 ① 金山・銀山の独占。
 ② 大黒常是座(だいこくじょうぜざ)の設定。1594年、堺などの銀精錬業者を大坂に集め、大黒常是を中心に常是座という組織を作らせ、銀貨を製造させた。
 ③ 後藤家による大判製造の独占。1595年。

●金座(p88)
 家康は、1595年ごろから、後藤家が江戸に派遣した弟子・後藤光次(みつつぐ)に金貨を製造させた。
 武蔵墨書(すみがき)小判……家康が発行した金貨。質量約18g、金含有量約84%(残りは銀)。表面に品質保証を示す刻印と、「壱両 光次」「武蔵」などの墨書がある。
 小判一つの金含有量は約15g≒4匁。甲斐武田氏の金貨の規格を継承。家康は、江戸入府の前、甲斐を領有していた。
 武蔵墨書小判・一分金の規格を江戸幕府の金貨が受け継ぎ、光次の家系が、江戸の金座を世襲で支配することになる。
 金座の跡地に、日本銀行本店が立っている。

●銀座(p91)
 1601年ころ、家康は各種の銀貨のうち大黒常是のものを採用、彼を銀座の製造管理者とした。
 銀座で、慶長丁銀・慶長小玉銀(慶長銀)を製造させた。銀含有率80%(残りはほぼ銅)江戸時代を通じて秤量貨幣として使用。

●寛永通宝(p100)
 1636年(寛永13年)、寛永通宝の製造が始まる。青銅製、額面の表記はないが、1枚1文。幕府が三貨の供給を管理する体制が整う。
 古代以来の、中央政府による銭の発行。寛永通宝の製造は、幕末まで続く。

●貿易ブーム(p108)
 1609年、幕府は灰吹銀の輸出を禁じる。
 1668年、幕府は長崎からの丁銀の輸出を停止。
 日本は、アジアで唯一の産銀国だった。銀の供給が減った中国や東南アジアでは不況となり、ヨーロッパ勢力も巻き込んだ東・南シナ海の貿易ブームが終わった。日本銀の減産と江戸幕府の通貨政策が世界経済を左右した。

●山田羽書(p112)
 山田羽書(やまだはがき)……1610年頃、伊勢で発行された私札。日本初の紙幣。 伊勢御師(おんし:伊勢神宮の参詣者の祈祷や宿泊を手配する代理店・旅行業者)が発行。縦長の長方形、短冊。原則として木版印刷。
 世界史的には、11世紀の中国、15世紀の朝鮮・ベトナムに次ぐ、紙幣の発行。ヨーロッパでは、1661年のストックホルム銀行券(世界初の銀行券)。

●両(p126)
 1710年(宝永7年)、宝永金(小判・1分金)の発行を布告。
 宝永小判は約9.4gだったが、額面1両とされ、元禄小判と等価とされた。質量単位としての1両は約16g。「両」が、金貨現物の質量に関係ない、単なる通貨単位となった。

●人参代往古銀(p127)
 1710年、朝鮮向け輸出専用の丁銀「人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)」を発行。薬用人参の輸入のためという建前ゆえの命名。朝鮮貿易の実務にあたった対馬藩の願いに応えた。 金貨・銀貨の品質悪化により、朝鮮が受け取りを嫌っていた。
 1713年には、琉球・中国向け輸出用の丁銀「琉球渡唐銀」を発行。

●鉄銭(p136)
 1739年、鉄製の寛永通宝の製造が始まる。日本史上、政府が発行した初の鉄貨。額面は、従来の青銅製の寛永通宝と同じ1文。
 これ以降、幕府が発行した額面1文の銭は、一部の例外を除き、鉄貨となる。
 17世紀に、民間が製造した鉄銭は存在した。

●天保通宝(p153)
 1835年(天保6年)、老中水野忠邦のもとで、天保通宝が発行された。青銅製、長円形。額面100文、裏面に「当百」と刻印。日本史上、額面を現物に明記する初の銭。
 1837年には、金貨・秤量銀貨の規格を改める。天保金銀。

●万延金(p172)
 1860年(万延元年)、万延金(小判・一分金)を発行。万延小判は、1文鉄銭とほぼ同じ質量で、史上最小の小判。
 1両相当の比価は、金・銀純量ベースで万延金①1≒安政一分銀15。金貨の品質を悪くすることで、国際水準に合わせた。

●陶製通貨(p223)
 戦時中、軍事用の銅の需要が増え、不足した。1938年、初のアルミニウム青銅貨(銅とアルミニウムの合金。10銭、5銭)と黄銅貨(1銭)が発行された。さらに、1銭硬貨の素材が黄銅からアルミニウムに変更。
 1940年には、10銭・5銭硬貨もアルミニウムに。
 その後、航空機の増産にアルミニウムが必要になり、1944年、初の錫貨(10銭、5銭)、錫・亜鉛の合金貨(1銭)が登場。マレー半島など南方占領地産の錫が、戦争のため欧米に輸出されなくなり、生産が過剰になったため、硬貨に利用。
 その後、南方占領地からの船舶輸送は石油が優先され、錫は後回しになり、不足するようになる。そのため、陶製の通貨(1~10銭)の発行が計画された。
 1945年、窯業地である京都・愛知県瀬戸・佐賀県有田で製造されたが、終戦により、発行されず、廃棄された。

(2016/10/20)KG

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ヤクザになる理由
 [社会・政治・時事]

ヤクザになる理由 (新潮新書)
廣末登/著
出版社名 : 新潮社(新潮新書 678)
出版年月 : 2016年7月
ISBNコード : 978-4-10-610678-1
税込価格 : 821円
頁数・縦 : 234p・18cm


 人はなぜ「ヤクザ」になるのか?
 犯罪社会学者が、実際に暴力団の組員だった数名の話を聞いてまとめたヤクザ論。

【目次】
序章 なぜ暴力団員の話を聞くのか
第1章 家庭は彼らに何をしたのか
第2章 学校は彼らに何をしたのか
第3章 仲間は彼らに何をしたのか
第4章 個人的な特性はあるのか
第5章 ギャングになる理由はどう理論化されてきたか
第6章 グレ続けた人は更生できるのか
終章 ある更生の物語―犯罪社会学者への道のり

【著者】
廣末 登 (ヒロスエ ノボル)
 1970(昭和45)年福岡市生まれ。北九州市立大学社会システム研究科博士後期課程修了。博士(学術)。久留米大学非常勤講師(社会病理学)。NPO法人市民塾21特別研究員。日本キャリア開発協会会員。

(2016/10/19)KG

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離婚とお金 どうなる?住宅ローン!
 [経済・ビジネス]

離婚とお金 どうなる? 住宅ローン!

高橋愛子/著
出版社名 : プレジデント社
出版年月 : 2016年8月
ISBNコード : 978-4-8334-5100-0
税込価格 : 1,296円
頁数・縦 : 181p・19cm

 
【目次】
第1章 離婚で確実に炎上。―「家」にまつわる7つのこと
 離婚が破産につながる!原因のほとんどは住宅ローン
 養育費とは話が違う!破産のリスクが一気に高まるローン残債問題。
 共有名義は離婚を境に“共憂名義”になる。
  ほか
第2章 「離婚」と「家」で破産しないために!―実例から学ぶプロのテクニック20
 離婚に際して、親の出してくれた頭金を取り戻したい。
 家に妻が居座って売却できない。「感情」と「理性」、どっちを取るべきか?
 ローンを滞納したまま名義人である夫が失踪!自宅は競売、このまま母の家も?
  ほか
第3章 「納得の離婚」のために知っておきたい、手続き、お金、相談のこと
 自分が納得して、第二の人生を踏み出せるように準備する
 離婚の手続きは大きく4つに分かれている
 離婚前、離婚後にもらえる可能性のあるお金はどんなもの?
  ほか

【著者】
高橋 愛子 (タカハシ アイコ)
 住宅ローン問題支援ネット代表。宅地建物取引士。不動産コンサルタント。1979年東京都生まれ。大学卒業後、町の不動産会社に就職し、店長として5年間、賃貸管理業、賃貸仲介業を経験する。2007年、28歳で任意売却専門の不動産コンサルタント会社を設立し独立。

(2016/10/12)KG

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儒教とは何か 増補版
 [哲学・心理・宗教]

儒教とは何か 増補版 (中公新書)
加地伸行/著
出版社名 : 中央公論新社(中公新書 989)
出版年月 : 2015年11月
ISBNコード : 978-4-12-190989-3
税込価格 : 972円
頁数・縦 : 296p・18cm
 
 
■儒教のことがよく分かる入門書
 儒教というと、堅苦しい礼教性ばかりが強調され、宗教ではないと言い切る人さえいる。しかし、元来、儒教は死の問題にもかかわりを持つ、れっきとした宗教である。本書では、孔子以前の原儒の時代から連綿と続く宗教性に光をあてて解説する。重層的に儒教を理解するうえで格好の儒教論でもある。

【目次】
序章 儒教における死
第1章 儒教の宗教性
第2章 儒教文化圏
第3章 儒教の成立
第4章 経学の時代
第5章 儒教倫理
終章 儒教と現代と

【著者】
加地 伸行 (カジ ノブユキ)
 1936年(昭和11年)、大阪に生れる。1960年、京都大学文学部卒業。高野山大学、名古屋大学、大阪大学、同志社大学を経て、立命館大学フェロー、大阪大学名誉教授、文学博士。専攻、中国哲学史。

【抜書】
●本尊(p.ⅰ)
 仏式葬儀で、参列者が死者の柩や写真を拝むが、本来、これはおかしい。本堂中央に安置されている本尊を拝むべき。
 仏教では、仏を、ひいては法(のり:最高の教え)をこそ崇め拝むのが一番大切なこと。〔そして、崇め拝み奉った本尊の広大な恵みや余光を得て、導師(僧侶)に導かれて来世の幸福が得られることを、或いは成仏することを死者に期待すのであるから。〕
 柩や写真を拝むのは、儒教の影響。
 柩……儒教では、死者がベッドにあるとき「屍(し)」と言う。棺(かん)に納めた死者を「柩(ひつぎ)」と言う。
 仏教では、死者の肉体は単なる物体に過ぎない。死者は成仏したもの。お骨を拝んだりしない。
 儒教では、死者の肉体は、霊魂が再び戻ってきて依りつく可能性をもつものとされる。そのため、遺体をそのまま地中に葬り、墓を作る。お骨を重視する。

●殯(p.ⅳ)
 殯(もがり)……死から葬るまでの間、遺体を家に安置しておくこと。
 かつては、遺体を風葬し、肉が落ち白骨になるとそれを集めて墓に納めた。その期間が2年。3年(足掛け3年)の喪につながっている。日本の葬式における、遺体安置から出棺までの時間は、風葬の名残。

●夫婦別姓(p4)
 明治31年、民法制定。第746条に、「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」とある。欧米列強諸国風に法整備。
 明治3年、平民に苗字が許されてから民法制定まで、女性は生家の姓を名乗っていた。明治26年、内務省は、女性は結婚後も「生家の氏を称スル」ことを指令している。
 東アジアの夫婦別姓の根本理由は、儒教における「同姓不婚」の原則による。

●魂魄(p17)
 魂(こん)……精神の主宰者。
 魄(はく)……肉体の主宰者。
 魂・魄が一致し、融合している時を生きている状態とする。肉体の呼吸停止が始まると(脳死ではなく心臓死)、混合一致していた魂と魄が分離し、魂は天上に、魄は地下へといく。
 招魂復魄儀礼では、香をたいて天上の魂を、地に酒を注いで地下の魄を、尸(かたしろ)に招く。現在では、尸は木の板に姓名・肩書きなどを記したもので、神主(しんしゅ)または木主(ぼくしゅ)と言う。

●孝(p20)
 孝……①祖先の祭祀(招魂儀礼)、②父母への敬愛、③子孫を生むこと、この三つをひっくるめて「孝」とする。

●儒教史(p51、p244)
 (1)原儒時代……職業的シャーマン。礼教性と宗教性との混淆時代。
 (2)儒教成立時代……孔子の登場。儒教理論の基礎付け。礼教性と宗教性の二重構造の成立時代。
 (3)経学時代……孔子以後。基礎理論を発展。礼教性と宗教性の分裂とその進行。
 (4)儒教内面化時代……近・現代。家族理論中の礼教性を残しつつ、宗教性が東北アジア人の心の中に生きている。

●日本の忠(p85)
 鎌倉時代以降、日本では、武士階級(武官)が政権を握る。武官が文官向きの儒教的教養を身につけることになる。「孝」よりも「忠」を重視する傾向が見える。中国との儒教理解の相違。

●宗法制(p87)
 宗法制(そうほうせい)……孔子(BC552-BC479)の生きていた周王朝時代の制度。家は、大宗(たいそう:本家)と小宗(しょうそう:分家)とに分かれ、大宗の当主が小宗を率いる。
 大宗は永遠に不変だが、小宗は、その時の当主の兄弟が分家して作り、それぞれの小宗の当主となる。5代までを同族とし、それ以後は別のグループとする。

●少正卯暗殺(p99)
 孔子は、行政官僚を養成する塾を開いた。行政官僚の予備軍の集まり。当時の塾は、 高等教育をする場であり、政治的意見を主張する機関であり、師と弟子が熱い共同体的関係で結ばれた党派でもあった。
 少正卯(しょうせいぼう)も、魯国の都において塾を営み、相当な勢力があった。
 孔子が50歳を過ぎて魯国の閣僚になったとき、ライバルの少正卯をただちに暗殺している。おそらく、ライバルである少正卯の塾を解体するため。

●孟子、荀子(p100)
 孟子(BC385?-BC305?)……孔子の高弟、曽子(そうし)の系統。心の内省や礼の内容・目的を重んじた実践派・哲学派。人間の心にある良心を根拠に、性善説を唱える。
 荀子(BC335-BC255?)……子夏の系統。知識や礼の形式を重んじた文献派・学術派。人間の心は善とは限らない。良心という自律的なものではなく、礼に従うという他律的なものによって善になる。性悪説。

●君子儒、小人儒(p100)
 孔子によって原儒を脱し、儒教が成立した後、儒者は君子儒と小人儒に分かれる。
 君子儒……知識儒。考を基礎とする家族理論、その上に立つ政治理論について思考を進める。
 小人儒……祈祷師。原儒時代からの狂乱の祈祷や、葬儀・小さな諸儀礼の業者として生計を立てる。

●常識の肯定(p113)
 孔子の思想を一言で言うと、「常識の肯定」。
〔 例えば、すでに述べてきたように、「愛する」というとき、己に最も親しい人間、すなわち親を愛するという常識を第一とする。すると、「死を悲しむ」と言うとき、無関係な人間の死を悲しめるはずがない、もし悲しむとすれば、偽りだとし、己に親しい人間の死を悲しむ、という常識を第一とする。
 しかし、孔子は、人間は社会的生物であるという常識ももちろん肯定するから、その愛情や悲しみを〈形として〉表わし、共通の規則或いは慣行として守ろうとした。すなわち〈礼〉がその具体的表現である。儒教とは、人間の常識を形として(大小や数量など)表現することでもある。そして、この礼を守ることによって社会の秩序が成り立つと考えた。
 もちろん、礼は単なる形式ではない。本来は真情の真摯な表現である。〕

●推恩の令(p123)
 前漢王朝の郡国制において、高祖(劉邦)は、論功行賞の意味もあって、臣下に気前よく領土のバラ播きを行った。見かけは中央政権でありながら、諸侯・王の総計の領土や経済力は、中央政権を上回っていた。そのため、中央政権の言うことを聞かず、しょっちゅう反乱を起こした。
 中央政権は反乱を徹底的に鎮圧、地方における重要な高官は中央政府の派遣とした。
 武帝は、「推恩の令」を発布。諸侯・王の嫡子相続制を緩め、他の子弟にも分割相続することを認める。そのため、相続争いが起こり、諸侯・王の領土は分裂し、勢力は弱まっていった。 ⇒ 大共同体潰し

●古文尚書、今文尚書(p131)
 古文尚書……焚書坑儒の後、前漢の儒家はこの焚書事件を利用して、その時に壁に隠されていたテキストが出てきたと称し、世に『書経』の新テキストを出してきた。奇妙な古い字で書かれていたので、「古文尚書」と名付けた。
 今文尚書……焚書事件から比較的近い時期に、通用の文字に書き取った『書経』。
 古文尚書と今文尚書とでは、内容も分量も異なる。それぞれの学派に分かれて、異なる解釈や主張を展開。
 『誌経』『礼経』『易経』『春秋』に関しても、古文派、今文派に分かれ、激しく論争するようになる。
 古文には、偽作も多く含まれ、内容的には今文より新しいものがある。今文説では周王朝あたりのスケールの実情がモデルとなっているが、古文説では前漢帝国のスケールの状況を写し出している。

●五経博士(p152)
 武帝の時代、 建元5年(BC136年)、五経博士という官職がおかれた。儒教を国定の学問とした。
 五経博士制定により、儒教は前漢王朝への乗り込みに完全に成功した。

●宋学(p195)
 魏晋南北六朝時代から隋唐時代に続く6~700年間、儒教・道教・仏教三者鼎立の論争が続く。
 11世紀の宋代になって、儒教でも、宇宙・形而上学に弱かった点を補おうという動きが出てくる。 ⇒ 宋学
 宋学は、新儒教ともいわれる。最大の特徴は、従来の儒学理論体系に、宇宙論・形而上学を重ねたこと。
 中心人物は朱子(朱熹)。朱子学は、宋学の代名詞でもある。

●朱子学の体系(p196)
 ―――――――――――― 朱子学
 哲学性 形而上学(存在論) ↓
     ―――――――― ↓
     宇宙論
 ―――――――――――― ↓朱子学までの経学
 礼教性 政治論      ↓↓原始儒教
     ―――――――― ↓↓↓
     家族論       
 ―――――――――――― ↓↓↓
 宗教性 生命論としての孝
     ―――――――― ↓↓↓
       死の不安   ↓↓↓ -原儒
     ――――――――

●『小学』(p204)
 隋時代から科挙が始まり、宋代になると学校は受験勉強の機関となってしまう。
 本当に学問をしたい者が集まる私立学校(書院)ができるようになる。
 朱子、白鹿洞書院(はくろくどうしょいん)を経営。初等教育用教科書として、『小学』という本を弟子を使って作る。儒教の重要文献から重要なことばを抜き書きした文章など、略式の儒教概論。
 『小学』の後、四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)に進み、さらに五経(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋左氏伝』)へ。

(2016/10/8)KG

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世界を変える知的障害者 ロバート・マーティンの軌跡
 [社会・政治・時事]

世界を変える知的障害者:ロバート・マーティンの軌跡

ジョン・マクレー/著 長瀬修/監訳 古畑正孝/訳
出版社名 : 現代書館
出版年月 : 2016年2月
ISBNコード : 978-4-7684-3544-1
税込価格 : 2,376円
頁数・縦 : 257p・19cm
 
 
 1957年、ニュージーランド北島西部の、「美しい川と荒れ狂った海に挟まれた街」ワンガヌイで、知的障害を持って生まれたロバート・マーティンが、「人になっていく」物語である。
 人になっていく――原題が“Becoming a Person”というこの著作は、知的障害者が「普通の人」として認めてもらうために奮闘するロバートの生い立ちと活動を描いたドキュメンタリーである。彼が生まれたころのニュージーランドでは(他の国も同様かもしれないが)、知的障害を負った者は「人間扱い」されなかった。特別の施設に隔離されて地域社会と断絶した生活を送らざるを得なかった。親兄弟からは引き離され、家族や親戚も、障害を持つ身内の存在をひた隠しにして過ごした。彼らはまっとうな人間とはみなされず、見捨てられ、忌避すべき存在だったのである。
 そのような状況に置かれたロバートは、苦悩し、もがき、問題児としての少年時代を送った。しかし、理解のある支援者たちとの出会いが彼を変えた。障害者の人権を守り、地域コミュニティで普通に過ごせる社会を目指し、「ピープルファースト」や「セルフアドボカシー」の運動に携わっていくようになる。その活動は、「健常者」たちの偏見を改め、着実に障害者を解放していく方向へと世の中を導いているのである。

【目次】
第1章 始まり
第2章 赤ん坊の寮
第3章 家庭
第4章 山のふもとで
第5章 屋根にボールを蹴上げた男の子
第6章 南へ移る
第7章 走っても行く先はない
第8章 流浪の身を脱して
第9章 ストライキ
第10章 声を見つける
第11章 懸命に働き、懸命に遊ぶ
第12章 リンダ
第13章 ピープルファースト
第14章 手を差し伸べる
第15章 施設の暗黒面
第16章 世界を旅する
第17章 閉鎖を見届ける
第18章 世界をもっと良い場所にする
第19章 未来へ

【著者】
マクレー,ジョン (McRae, John)
 作家、ドキュメンタリー映画制作者。ニュージーランドの鉱夫の家に育って教師となり、その後テレビディレクターとしての教育を受け直した。障害者の生活についての物語の共有と一般の人々の啓蒙に多くの時間を費やし、ニュージーランドのろう者コミュニティと知的障害者の間で幅広い仕事をしてきた。最もよく知られているのは、すべての子どもたちへの平等な教育推進のための作品である。現在はニュージーランド最大の教育労働組合のコミュニケーション専門家。

長瀬 修 (ナガセ オサム)
 現在は、立命館大学生存学研究センター客員教授、インクルージョンインターナショナル理事・アジア太平洋地域代表。過去には青年海外協力隊員(ケニア)、八代英太参議院議員秘書、国連事務局障害者班職員(ウィーン、ニューヨーク)、国連カンボジア暫定統治機構国際投票所責任者、パレスチナ自治選挙監視員、東京大学特任教員等。

古畑 正孝 (フルハタ マサタカ)
 1945年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。横浜市役所、横浜市国際交流協会等勤務を経て翻訳業として現在に至る。
 
(2016/10/4)KG

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