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韓国の歴史 増補改訂版
 [歴史・地理・民俗]

韓国の歴史〈増補改訂版〉
 
水野俊平/著 李景 /監修
出版社名:河出書房新社
出版年月:2017年1月
ISBNコード:978-4-309-22693-4
税込価格:2,160円
頁数・縦:303p・20cm
 
 
 2007年刊行の『韓国の歴史』に新たに第8章を加え、加筆修正して再刊。
 
【目次】
第1章 古代から統一新羅へ
第2章 高麗時代
第3章 朝鮮王朝の成立
第4章 社会の変化と実学
第5章 列強の侵略と近代化
第6章 植民地支配下の朝鮮
第7章 解放から南北分断、そして新時代へ
第8章 新時代を経て、韓国に残された課題
 
【著者】
李 景珉 (リ キョンミン)
 1946年、韓国済州道生まれ。パリ大学政治学部卒。同大学院博士課程を経て、京都大学人文科学研究所に学ぶ。現在、札幌大学文化学部教授。専門は国際関係論、朝鮮政治史。
 
水野 俊平 (ミズノ シュンペイ)
 1968年、北海道出身。北海商科大学教授。天理大学朝鮮学科卒。韓国・全南大学大学院国語国文学科博士課程修了。
 
【抜書】
●古朝鮮(p16)
 古朝鮮(コチョソン)とは、以下の3王朝。
 (1)BC2333年、韓(朝鮮)民族の始祖とされる檀君王倹(タングンワンゴム)が建国した「檀君朝鮮」。
 (2)中国の殷の箕子(キジャ)が建国したとされる「箕子朝鮮」(年代不明)。
 (3)中国の燕から亡命した衛満(ウイマン)が建国した「衛氏朝鮮(ウイシチョソン)」(BC195-BC108)。
 しかし、檀君朝鮮は神話。箕子朝鮮と衛氏朝鮮は、中国の歴史書に登場する。
 
●檀君神話(p21)
〔 天神桓因(ファニン)は、息子・桓雄(ファヌン)に人間世界を治めさせるようにした。桓雄は部下三〇〇〇を率いて太伯山の頂の神檀樹に降臨し、桓雄天王となった。桓雄天王は穀・命・病・刑・善・悪を司って人間を教化した。
 ある時、熊と虎が桓雄に「願わくば人間になりとうございます」と願い出た。桓雄は霊妙なヨモギ一握りとニンニク二〇個を与え「これを食べて一〇〇日の間、日の光を見なければ、すぐに人間になれるだろう」と言った。
 虎は約束を守れなかったが、約束を守った熊は人間の女となった。女が毎日、神檀樹の下に来て身ごもることを祈るので、桓雄天王は女と結婚し、子が生まれた。名前を檀君王倹といった。檀君王倹は平壌城を都とし、初めて朝鮮と称して国を治めた。やがて都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移したが、国を治めること一五〇〇年間であった。後に周の武王が殷の箕子を朝鮮の王に封ずると、檀君は隠れて阿斯達の山神となった。〕
 
●朱蒙(p25)
 朱蒙(チュモン)、高句麗の始祖。東扶余あたりの方言で、「弓の上手な者」という意味。河の神河伯(ハベク)の娘・柳花(ユファ)の子、卵から生まれた。
 前漢の武帝の死後、楽浪郡などによる朝鮮半島支配が弱まる。古朝鮮の旧領民によって、何か国かに分かれる。
 北方……扶余(プヨ)、高句麗(コグリョ)、東穢(トンイエ)、沃沮(オクジョ)
 南方……馬韓(マハン)、辰韓(チナン)、弁韓(ピョナン)、伽耶などの小国連合体
 313年、高句麗は楽浪郡と帯方郡を滅ぼし、朝鮮半島から中国勢力を退ける。
 
●花郎(p46)
 新羅では、真興王(チヌンワン、在位540-576)の代に、花郎(ファラン)制度が整備された。
 花郎……学識があり、容姿端麗な上級貴族階級の成年男子が花郎に推戴された。
 花郎の下に花郎徒として多くの青年男子を集めて修養させた。平時は道義によって精神的・肉体的修養に励み、戦時には戦士団として活動した。
 花郎は、新羅末までに200人、各花郎に属した花郎徒は数百から1,000人を数えた。
 花郎徒の活躍によって、新羅は百済、高句麗との覇権争いを制することができた。
 花郎出身の金春秋は、654年に武烈王として即位。
 660年、唐軍との連合によって百済を滅ぼす。
 668年には高句麗を滅ぼした。
 
●後三国時代(p57)
 892年、後百済建国。
 901年、弓裔(クンイエ)が後高句麗を建国。
 新羅、後百済、後高句麗の三国鼎立の時代に。後三国時代。
 918年、武将の一人王建(ワンゴン)が弓裔を追放し、王位を奪う。国号を高麗とする。
 935年、平和裏に新羅を併合し、936年、後百済を滅ぼして半島統一。
 
●科挙制度(p60)
 958年、光宗は科挙制度を施行。製述科、明経科、雑科、僧科の4つ。
 製述科……儒教思想に立脚した文章をつくる試験。
 明経科……儒教の経典を解釈する試験。
 雑科……いつくかの分野の技術官吏を登用する試験。法律専門家を登用する明法業、計算の専門家を選抜する明算業、書記を担当する官吏を選ぶ明書業、医学の医業、占いをする呪禁業、風水地理の地理業など。
 僧科……僧侶に僧階を与えるために実施。
 
●金属活字(p67)
 1445年のグーテンベルクより早い時期に、高麗に金属活字があった。
 1377年、高麗の金属活字によって印刷された『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』 。1972年にパリの国立図書館で発見された。
 1234年に、『詳定古今礼文』という書籍を金属活字で印刷したという記録がある。
 
●李成桂(p82)
 1392年、李成桂(イソンゲ)が高麗の最後の王の恭譲王(コンヤンワン)から譲位されて王位を継承し、翌年、国号を朝鮮と改めた。 
 
●天主教(p129)
 1637年、李氏朝鮮の仁宗は、「丙子胡乱」において清のホンタイジ(太宗)に降伏し、昭顕世子(ソヒョンセジャ)と鳳林大君(ポンニムテグン)が人質となった。ソウルの南西、オリンピック公園から西に2kmほど離れた漢江のほとりの歴史公園にある「三田渡碑(サムジョンドヒ、大清皇帝功徳碑)」。
 昭顕世子は、1644年、明を征伐する清軍とともに北京へ向かい、そこでドイツ人神父アダム・シャール(1591-1666、中国名・湯若望)と出会い、天主教(キリスト教)や西欧科学に関する知識を学ぶ。1645年、朝鮮に帰国する際、天文、数学、天主教に関する書籍や地球儀、天主像などを持ち帰った。
 その後、昭顕世子は帰国の2か月後に病気で急死(暗殺?)、弟の鳳林大君が仁宗の跡を継いで第17代孝宗となる。
 朝鮮時代の後期、朝鮮に天主教が受容された。海外から入国した宣教師の活動によって教会が作られた日本や中国と異なり、両班知識層の人々が学問研究を通して西学(西洋の自然科学・西洋思想・天主教など)に触れ、自ら天主信仰に目覚め、教会を自主的に作った。中国で活動していた宣教師を通して天主教に接した。
 1784年、李承薫(イスンフン)は、赴京使として訪れた燕京で、朝鮮人として初めて洗礼を受けた。
 1801年、政権を握った老論僻派は天主教に対する徹底的な弾圧を行った。中国人司祭の周文謨、南人派の実学者権哲身、李承薫らをはじめ、教徒300人余りが処刑された。辛酉迫害(辛酉教獄、辛酉邪獄)。
 弾圧によって朝鮮における西洋研究は途絶えてしまった。そのため、19世紀に入ってからの西欧列強の接近に、朝鮮は賢明に対処する力を持てなかった。
 しかし、教徒は増え続け、1830年には9,000人余りになったと言われている。
 1846年には、朝鮮最初の神父・金大建(キムデゴン)をはじめ多くの天主教徒が漢城の漢江の畔で処刑される。丙午迫害。
 
●独立協会(p174)
 1896年7月、朝鮮の自主独立と内政改革のために組織された政治団体。民族の自覚と民権思想を広めるために「独立新聞」を、朝鮮で初めてハングル活字で発刊した。
 
(2017/5/7)KG
  
〈この本の詳細〉


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