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宣教師ザビエルと被差別民
 [歴史・地理・民俗]

宣教師ザビエルと被差別民 (筑摩選書)
 
沖浦和光/著
出版社名:筑摩書房(筑摩選書 0139)
出版年月:2016年12月
ISBNコード:978-4-480-01647-8
税込価格:1,620円
頁数・縦:219p・19cm
 
 
 フランシスコ・ザビエルとイエズス会の宣教師たちは、身分社会で打ち捨てられた下層民を主な対象として、布教活動に専念した。そのため、非人や癩病患者の信徒が多かった。
 ちなみにザビエルは、1549年に日本にやってきて、1551年11月に去っている。その期間は2年あまりであった。その後中国を目指したザビエルは、広東の沖合の小島で没し、そのミイラ化した遺体は、インドのオールド・ゴアのボン・ジェズ教会に今でも安置されているという。
 
【目次】
第1章 “宗教改革”と“大航海時代”の申し子・ザビエル
第2章 ザビエルを日本へと導いた出会い
第3章 ゴアを訪れて
第4章 ザビエルが訪れた香料列島
第5章 戦国時代の世情と仏教
第6章 ザビエルの上陸とキリスト教の広がり
第7章 戦国期キリシタンの渡来と「救癩」運動
第8章 オランダの台頭
第9章 賎民制の推移
第10章 「宗門人別改」制と「キリシタン類族改」制
 
【著者】
沖浦 和光 (オキウラ カズテル)
 1927年大阪生まれ。東京大学卒業。専攻は比較文化・社会思想史。桃山学院大学名誉教授。日本国内の多くの被差別部落を訪れ調査を行った。また、アジア各地の賎民文化についても数多く調査・研究をつづけた。2015年没。
 
【抜書】
●旃陀羅(p116)
 旃陀羅(せんだら)……梵語チャンダーラの音写語。もともとインド亜大陸の先住民を指した。6世紀ごろから「浄・穢」観に基づく身分体系として形成されたヒンドゥー教のカースト制度では、チャンダーラが「不殺生戒」を犯す「穢れた民」の代名詞とされた。つまり、穢れにかかわる「不可触民」とされた。
 日蓮は、自らを「片海の海人の子」=「旃陀羅の子」=「賤民の子」と称した。
 江戸時代の差別戒名にも、「旃陀羅」が見られる。
 
●アルメイダ(p142)
 ルイス・アルメイダ(1525-1583)……日本最初の外科・救癩病院を府内(現大分市)で開設したユダヤ系ポルトガル人。1548年にインドに渡り、海商として活躍して財を成した。イエズス会士のB・ガーゴとたまたま同船して布教活動の実態を聞いて感銘を受け、1552年に来日し、55年には全私財を投じて府内に乳児院を開き、56年にはイエズス会に入って、57年に救癩病院を建てた。
 かつて学んだ医学を生かして自ら治療にあたるとともに、日本人医師の養成にも努めた。
 大分県医師会の病院は、アルメイダの人徳と実践を高く称えて、「アルメイダ病院」と名付けられている。
 
●非人(p160)
 下人……律令体制解体以後、在地村落社会の中で形成されてきた下層の被支配身分。おもに主家に隷属して様々な雑事や補助労働に駆使された下層の民。自らの努力で脱賤化していく道も開かれていた。戦国時代には、この層から出て自らの農地を持つに至る者も出た。
 非人……〔狭義では、「癩病」(ハンセン病)などの重病や家庭の崩壊などによって、世俗社会では見捨てられて生きていけなくなったが、まだ生への執着心を失わない脱落者を指した。〕食物や施物を請い求めるために、特定の坂・宿・野・路などの「乞場(こいば)」に集住して、非人集団を形成した。仲間の頭である長吏法師に統率されていた。
 「下人」は《貴・賤》観にもとづく差別呼称だが、「非人」は《浄・穢》観が色濃く投影された差別呼称。
 河原者……河原者、穢多、細工、庭者などと呼ばれた人たち。広義では中世非人とされていた。獣類の皮剥ぎと皮革加工などに従事した。不殺生戒を犯しているので、「屠沽の下類」と呼ばれた。
 
●戸籍制度(p184)
 古代律令制の時代、班田制のために戸籍が作られた。
 律令制の解体によって班田制が行われなくなると、人頭税としての調・庸が次第に地税に変化してきた。土地台帳は重要だったが、個々の住民を登記した「家別」「人別」の戸籍帳は必要でなくなった。
 平安時代の中期以降には、全国的な荘園制度への移行につれて、造籍作業も次第に廃絶してしまった。
 13世紀の鎌倉時代前期の頃には、ヤマト王朝時代の戸籍制度は完全に消滅してしまった。
 
●ロレンソ了西(p187)
 日本人第一号のイルマン(準司祭)。イエズス会では、司祭をパドレ(バテレン)と呼び、その補佐役をイルマンと呼んだ。
 肥前白石の生まれ。もともと目の不自由な琵琶法師だったが、頭脳明晰で弁舌が得意だった。
 1560年、京で将軍足利義輝に謁して布教を許され、信長や秀吉にも謁し、高山右近や京極高吉など、京畿の有力大名を次々に受洗させた。
 入信させた信徒は3,000名を超えると伝えられている。
 日本におけるイエズス会の実質上の基礎を築いたのは、ロレンソであったと言える。
 
●キリシタン類族改(p209)
 再びキリシタンになることがないように、転宗者とその子孫を監視する制度。当時の宗門改役・北条安房守によって、1687年(貞享4年)から実施された。
 改めの対象は、男系では転キリシタン本人から7世、女系なら4世とされた。改宗者の子孫は、出産・死亡・結婚・移住・旅行に至るまで、そのたびに特別な届け出を義務付けられていた。つまり、転びキリシタンでも、その子孫は100年、200年にわたって厳重に監視されたのである。
 
(2017/5/9)KG
 
〈この本の詳細〉


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