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世界文明史 人類の誕生から産業革命まで
 [歴史・地理・民俗]

世界文明史: 人類の誕生から産業革命まで
 
下田淳/著
出版社名:昭和堂
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-8122-1622-4
税込価格:2,592円
頁数・縦:288p・21cm
 
 
 著者による独自の人類文明史。「コア文明」という概念を梃子に、西欧中心の現代史観を是正しようという試みである。
 
【目次】
第Ⅰ部 文明の誕生と謎
 第1章 人類の誕生と拡散―「出アフリカ」から東西ユーラシア人へ
 第2章 文明成立の転換点―道具の飛躍的発展と農耕の発明
 第3章 古代最大の謎―シュメル人とは何者か
 
第Ⅱ部 文明の新たな定義「コア」
 第4章 ユーラシアの「コア文明」―中東・中国・インド
 第5章 アフリカとアメリカの「コア文明」―西アフリカ・メソアメリカ
 
第Ⅲ部 文明の媒介としての「移動民」
 第6章 ユーラシア・コア文明と騎馬遊牧民―陸上の道を制した東ユーラシア人
 第7章 インド洋交易とヨーロッパ―海上の道を制した西ユーラシア人
 
第Ⅳ部 文明と「高等宗教」
 第8章 中東コアの「高等宗教」―ユダヤ・キリスト教からイスラムへ
 第9章 インドコアの「高等宗教」―何でも呑み込むヒンドゥー教
 第10章 中国コアの「高等宗教」―儒教・道教・仏教が混淆した中国教
 
第Ⅴ部 新しい「コア文明」ヨーロッパ
 第11章 封建制社会とフランス革命―テクノロジーと資本主義の成立基盤
 第12章 産業革命と近現代文明―テクノロジーと資本主義の一体化へ
 
【著者】
下田 淳 (シモダ ジュン)
 1960年埼玉県生まれ。1983年青山学院大学文学部卒業。1990年ドイツ・トーリア大学歴史学科退学。現在、宇都宮大学教育学部教授。専門はドイツ宗教史、博士(歴史学)。
 
【抜書】
●道具の飛躍的発展(p34)
 文明の成立(約5千年前)以前に、4万~2万年前に道具の飛躍的発展があった。石器の多様化(細石器)、槍投器、骨角器、土器、など。
 4万年前からが、最終氷期で最も寒かった時期。特に2万1千~1万8千年前は、最も過酷な時期だった。この時期、ホモ・サピエンスは世界的規模で食糧不足に陥った。食料を効率的に捕え、調理するために道具を作る必要に迫られた。
 最終氷期末からの温暖化は、食料の増加をもたらした。その結果が、定住と戦争の出現。
 
●ヤンガー・ドリアス期(p35)
 約1万4500年前頃、最終氷期が終わった。
 1万2900年前に、「ヤンガー・ドリアス期」という亜氷期に逆戻り、1万1600年前頃、ようやく温暖化。1300年間、現在より、平均気温は7~8度低かった。
 ヤンガー・ドリアス期にムギ類と稲の栽培化が始まったとする説がある。
 最終氷期が終わり、技術革新と温暖化で食料が増えたので、人口が急増した。乱獲を生み、生態系を破壊。ヤンガー・ドリアスの亜氷期に食料が激減。これを乗り越えるために、農耕を始めざるを得なかった。
 シリア北西部の遺跡から、1万3000~1万2500年前の栽培化されたと見られるライ麦種子が見つかっている。
 温暖化して野生の食料が手に入るようになっても、面倒な農耕を継続させたのはなぜか? ムギ類や稲やイモ類などの「文明の基盤食」が美味しかったから。
 
●牧畜(p39)
 農耕とともに牧畜も始まった。
 最も早く家畜化されたのは犬。遺伝子の研究によると、遅くとも1万5千年前、中央アジア(中国より)と言われている。
 最初の牧畜がどこかは不明。鶏と豚は中国、牛はインド、山羊と羊は中東と考えられているが、先後は不明。
 
●四大文明(p58)
 最初に「古代四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)を唱えたのは、中国の梁啓超(1873-1929)。当時中国は、列強の半植民地状態だった。
 1899年大晦日、渡米途上の太平洋上で創った「二十世紀太平洋歌」のなかで、古代文明の祖国は「四つ」であり、中国、インド、エジプト、安息(アルケサス朝パルティア=小アジア)とした。
 文明を三期に分け、第一期「河流文明時代」、第二期「内海文明時代」(地中海、ペルシア湾、アラビア海、インド洋、黄海、渤海)、第三期「大洋文明時代」(太平洋、大西洋)とした。
 
●アルファベットの誕生(p66)
 シュメルの絵文字は「表語文字・音節文字」、ヒエログリフは「表語文字・アルファベット」だった。
 BC1500年頃、最古の「完全アルファベット」(音素のみからなる文字体系)が考案された。パレスチナの「原カナン文字」。ヒエログリフをもとに、カナン語をアルファベットだけで表記した。30字未満の子音字。
 少し遅れて、楔形文字でシリアのウガリット語を表記した「ウガリット文字」が登場。30字未満の子音字。
 原カナン文字 ⇒ フェニキア文字、アラム文字(ともに22子音字)
  フェニキア文字……ギリシャに伝わり、ヨーロッパのアルファベットの起源に。 ⇒ ギリシャ文字、ラテン文字、キリル文字
  アラム文字……中東コアで使用された。新バビロニア、アッシリア、ペルシア帝国の公用文字になる。旧約聖書もアラム文字で書かれた。 ⇒ ヘブライ文字、アラビア文字
 イエス・キリストは、アラム語で説教した。
 
●ザラスシュトラ(p73)
 ゾロアスター(ザラスシュトラ、ツァラトゥストラ)……BC12~BC9世紀の人物(研究者によって生没年が異なる)。ペルシア人が中央アジかイラン北部に留まっていたころ。古代ペルシア人の多神教信仰から独自の世界観を作り上げた。
 世界を善と悪の二つの原理の闘争の場と見た。
 善……光の神創造主アフラ・マズダー。ゾロアスター以前からペルシア人に信仰されていた。宇宙、人間、生命、秩序、正義、など。
 悪……大悪魔。暗黒の神アンラ・マンユ(アーリマン)。死、闇、邪悪、破壊、など。
 アフラ・マズラーは、天、水、大地、植物、人間、火などからなる世界を創造した。ここに悪魔が侵入し、世界を破壊した。こうして善悪の戦いが始まった。しかし、最後に救世主サオシュヤントが現れ、悪は滅ぼされる。
 人は、死後ハラ山の頂にかかる「チンワト橋」を通り、善人は天国へ行ける。悪人は、橋から落とされ地獄に行く。
 天国・地獄観は、ユダヤ教に影響を与え、キリスト教、イスラム教にも引き継がれる。
 
●マヤ諸語(p106)
 マヤ人の抵抗は、ヨーロッパによる植民地化後も続く。1697年マヤ最後の都市タヤサルが陥落したが、18・19世紀にもマヤ人の蜂起があった。メキシコ政府の統治を受け入れたのは20世紀後半。
 現在でも30のマヤ諸語が話されている。
 
●オアシスの道、草原の道(p125)
 中央アジには、北緯40度ラインの「オアシスの道」(シルクロード)と、北緯50度および支線の延びる60度ライン「草原の道」がある。各所で南北に連結。陸上の道。
 草原の道……東は現中国の北域・興安嶺から、西はハンガリー平原付近まで。
 
●ソグド人(p128)
 陸上の道の交易商人。ラクダを使ったキャラバン商人のイメージで捉えられているが、本来は騎馬遊牧民。サマルカンドを中心に、4~9世紀の陸上ユーラシア交易の担い手となった。中国とヨーロッパを結ぶ。
 安史の乱(755-763)の安禄山と史思明はソグド人。
 
●鮮卑卓抜部(p135)
 五胡(匈奴、鮮卑、羯、氐、羌)は、騎馬遊牧民族国家である。匈奴系騎馬遊牧民。
 五胡十六国時代(304-439年)は、鮮卑の一部である鮮卑卓抜部の北魏によって統一された。
 隋(581-618)、唐(618-907)も、鮮卑卓抜部出身の王朝。
 
●17世紀半ば(p161)
 17世紀半ばは、東ユーラシア系騎馬遊牧民国家が並び立っていた。すべて内陸国家。
 中国の清朝、インドのムガル朝、イランのサファヴィー朝、トルコのオスマン朝。
 ここに、海洋国家であるオランダとイギリスの東インド会社の入る隙ができた。17世紀後半から18世紀の時代に、伝統的インド洋交易構造が解体し、オランダとイギリスによる海上支配に切り替わった。18世紀末には、インド洋は完全にヨーロッパの海になった。しかし、ヨーロッパによるインド洋支配は、アメリカ大陸とは異なり、簡単に進んだわけではない。
 
●原初的宗教(p171)
 原初的宗教……シャーマニズム(降神術・降霊術)、アニミズム(万物に精霊・霊魂が宿るという信仰)、トーテミズム(ある氏族を特定の動植物に関係づける信仰)、自然の神々崇拝、祖先崇拝、など。
 高等宗教……死生観を体系的・論理的に説いている宗教。
 
●中国仏教(p214)
 中国仏教は、儒教の祖先崇拝と道教の祈祷を取り入れ、インド仏教とは違う代物となった。それが日本に伝わった。
 位牌……神主(しんしゅ)を祀る儒教の祖先崇拝(招魂再生儀式)を取り込んだ。
 盂蘭盆……盂蘭盆経という偽経。釈迦の弟子の目連(もくれん)という人物の母親が輪廻転生して「餓鬼」の世界で苦しむのを見た目連が、釈迦に問うたところ、今度の7月15日の高層の集いでご馳走を盂蘭盆(おそらく容器を指す)に載せ、供養すれば救われると言われ、そのようにしたら母親は救われた。ここから先祖を供養する「盂蘭盆」という仏教行事が行われるようになった。
 線香……寺院で線香を焚くのは、もともと魂を魄に取りつかせるための儒教儀式だった。葬儀も儒教から取り入れたもの。
 戒名……儒教の神主の文句に由来。
 墓……墓も墓参りも本来の仏教には不要。儒教の習慣。
 
●砲術師(p257)
 ヨーロッパでは、最初、大砲や火薬の製造法、砲弾の装填法などは、砲術ギルドによって堅く秘密とされていた。ギルドの成員である砲術師が雇われて戦場に駆り出されていた。砲術師は、民間の手工業者であり、特定の君主に属しているものではなかった。
 16世紀以降、砲術師に対する各君主からの需要は多く、火器市場は大きかった。
 砲兵隊が国家の正規軍となったのは、フランス革命後19世紀。
 
●近現代文明(p269)
〔 テクノロジーと資本主義がインターロックした近現代文明は、最後の文明なのだろうか? 地球の寿命はまだ続くであろう。「テクノロジー=資本主義インターロック文明」に終わりはあるのだろうか? どこに行くつくのだろうか? 私は、テクノロジーと資本主義が悪いといっているわけではない。際限なく続くレースに恐怖を覚えているだけである。この文明に終わりはないように思える。際限なくどこまでも続くような気がする。〕
 
(2017/8/13)KG
 
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世界神話入門
 [歴史・地理・民俗]

世界神話入門
 
篠田知和基/著
出版社名:勉誠出版
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-585-22165-4
税込価格:2,592円
頁数・縦:273p・19cm
 
 
【目次】
1 世界神話
 世界神話へむけて
 地域的諸問題
 共通神話の形成
2 世界の構造
 卵と鳥
 樹木
 大地
3 女神と至高神
 女神
 愛の神話
 復活神とトリックスター
 裁きの神と太陽の旅
4 悪の原理
 罪と罰
 動物変身と獣祖
 鍛冶神と狼男
 
【著者】
篠田 知和基 (シノダ チワキ)
 名古屋大学教授をへてHSU特任教授。甲南大学人間科学研究所客員研究員。比較神話学研究組織主宰。専門は仏文学、神話学、文化造形論。
 
【抜書】
イギリス、トルコ、サウジアラビア(p49)
 神話のない国……イギリス、トルコ、サウジアラビア
 トルコとサウジアラビアは、イスラム化の過程で、全イスラム時代の伝承は否定され、抹殺された。
 イギリスは、ウェールズやアイルランドにはケルト神話が存在した。しかし、「イギリス文化圏」の政治的中心であるイングランドは、ローマの支配を直接受けており、ローマ文化、ローマ神話を継承した。
 
●五大古典神話(p56)
 エジプト、ギリシャ、メソポタミア、インド、中国
 
(2017/8/6)KG
 
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マタギ聞き書き その狩猟民俗と怪異譚
 [歴史・地理・民俗]

マタギ聞き書き: その狩猟民俗と怪異譚
 
武藤鉄城/著
出版社名:河出書房新社
出版年月:2017年4月
ISBNコード:978-4-309-22699-6
税込価格:1,944円
頁数・縦:221p・20cm
 
 
 著者の死から13年後、1969年に慶友社より刊行された『秋田マタギ聞書』(常民文化選書4)の再刊。資料編の大方と索引を割愛してある。
 40人ほどのマタギから聞いた話を採録している。聞いた話をそのまま収録しているようであり、随所にマタギ言葉に重複があったり、同じテーマで異なる伝説を紹介していたりして、整理された内容ではないが、現役のマタギの姿を伝える貴重な資料である。
 
【目次】
秋田県 仙北郡
 鈴木政治郎さん―上桧木内村戸沢 旧二月九日、四ツ前には山を鳴らすな
 門脇寛一郎翁―上桧木内村戸沢 鹿の獅子舞
 門脇竜治郎さん―上桧木内村戸沢 ササラの笠納め
  ほか
秋田県 由利郡・北秋田郡
 小野勘太郎翁―由利郡直根村百宅 スノ祝い
 佐藤正夫氏―北秋田郡大阿仁村根子 売薬行商
 佐藤永太郎翁―北秋田郡大阿仁村根子 南無アブランケン、ソワカ
  ほか
又鬼資料
 菅江真澄翁著書から
 伊藤為憲著書から
 マタギの語源
 
【著者】
武藤 鉄城 (ムトウ テツジョウ)
 1896年、秋田市生まれ。民俗学者、考古学者、郷土史家。慶應義塾大学中退。角館尋常高等小学校代用教員、東北帝国大学奥羽資料調査部嘱託、朝日新聞地方通信員、角館時報主筆などを歴任するかたわら、角館を中心とする民俗調査を進めた。1956年逝去。秋田魁文化章、秋田県体育功労章受章。
 
【抜書】
●マタギの語源(p216)
 著者の考察。
 インドの屠殺業者として卑しめられた賤民マータンガ(男)/マータンギ(女)の名称から出ているのではないか?
 水を乞うた釈迦の弟子の阿難に、自分はマータンギであると卑下したプラクリチの話から考え付いた。
 釈迦も、自分がそのマータンガ/マータンギの属するチェーンドラの種であると言った。日本でも、日蓮が自らを穢民と称した。
 日本語でとなえる呪文の最後に、「アビラウンケン(阿毘羅吽欠)」(胎蔵界大日如来真言にある)「ソワカ(蘇波河)」(その効力を呼ぶ)を唱える。
 《他の語源説》
  (1)獣を殺して食うから、鬼の次に恐ろしい又鬼(またぎ)。
  (2)山の峰を跨いで行くからマタギ。(仙北郡雲沢村)
  (3)木の股から生まれたから。(仙北郡中川村)
 
(2017/7/11)KG
 
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日本と世界がわかる最強の日本史
 [歴史・地理・民俗]

日本と世界がわかる 最強の日本史 (扶桑社新書)
 
八幡和郎/著
出版社名:育鵬社(扶桑社新書 236)
出版年月:2017年3月
ISBNコード:978-4-594-07626-9
税込価格:950円
頁数・縦:326p・18cm
 
 
 著者による日本史解釈の書。独自の視点で書かれていて興味深い。同意できる部分と、疑問に感じる部分とあるが。
 
【目次】
第1章 日本人・日本語・日本神話
第2章 邪馬台国・大和朝廷・神功皇太后
第3章 仏教伝来・聖徳太子・大化の改新
第4章 荘園制・摂関制・武士の登場
第5章 幕府・元寇・禅宗文化
第6章 天下統一・南蛮船・朱子学
第7章 黒船来航・明治維新・大東亜共栄圏
第8章 占領・高度成長・バブル崩壊
 
【著者】
八幡 和郎 (ヤワタ カズオ)
 1951年滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学大学院教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。
 
【抜書】
●脱解尼師今(p27)
 新羅の建国伝説には、1世紀に活躍した第4代新羅王の脱解尼師今(だっかいにしきん)がタバナ国出身と書いてある(『三国史記』)。タバナ国=但馬か丹波?
 逆に、皇室が新羅から来たという伝承は、日本にも半島にもない。
 新羅が国らしくなるのは3世紀以降。日本の神々の時代には未開地だった。
 
●神武東征(p30)
 神武東征は、中世に生まれた伝説。
 皇国史観の時代の教科書には、神武天皇が大軍勢を率いて日向国の美々津から船出して大和を征服し、日本を建国したと書いてある。しかし、「記紀」にはそんな記述はない。
 『日本書紀』や『古事記』は、大和を統一し、吉備や出雲まで勢力圏に入れた崇神天皇を実質的な大和朝廷の創始者としている。その先祖の磐余彦(神武天皇)は、日向出身で、少人数で故郷を出奔し、吉備など各地を経て現在の橿原市と御所市あたりに小さな領地を得たらしい、と書かれているだけ。
 
●日本国家の成立(p42)
 日本国家の誕生は、3世紀。崇神天皇による大和の統一と吉備・出雲の征服。
 仲哀天皇と神功皇后によって筑紫地方が大和朝廷の支配下に入り、日本統一が達成された。
 
●大友皇子(p59)
 日本人の作として知られる最古の漢詩は、大友皇子(弘文天皇)のもの。『懐風藻』に収められている。
 
●平清盛(p112)
 11世紀中ごろ、日宋貿易において大宰府の裁量が広がり、博多に定住した華僑の力も大きくなった。
 神崎庄の支配人や太宰大弐として 、日宋貿易による莫大な富を握ったのが平忠盛・清盛。平家の天下は、日宋貿易で得た富の賜だった。
 さらに大輪田泊(おおわだとまり:神戸)を整備し、福原を都とすると、南宋の首都である臨安(杭州)と直接に向かい合うことになるはずだった。
 
●江戸時代のエコロジー(p199)
 江戸時代にリサイクルが盛んだったのは、単にモノ不足だったため。薪や柴を大量に使わなければならず、山ははげ山だらけで、洪水が頻発した。
 インフラの整った江戸に住めるということが特権。その住民の生活水準や自由度が高いというのは、現代の平壌そっくり。体制の安定のために、首都の住民を特権階級化するのは賢いやり方
 
東京誕生日(p235)
 東京は、誕生日のない首都。東京遷都はなし崩し的になされた。正式に京都から東京へ遷都するということを宣言しなかった。
 1868年1月、大久保利通「大坂遷都建白書」。車駕親征ということで天皇が大坂に約40日間滞在、陸海軍の閲兵、英国公使パークスの引見。
 東西二都論が有力に。7月17日に「車駕東遷」の詔書。10月13日、江戸城に入城、東京城と改称。
 戊辰戦争が終わっていたので、いったん、京都に戻る。
 1869年3月28日、再び東京入城、太政官を置く。
 その後、京都をどうするかということになり、モスクワで戴冠式を行うロシアの例に倣い、京都で即位礼を行うことで決着。しかし、大正と昭和の即位礼は京都で行われたが、平成では反故にされた。
 
●植民地(p275)
〔 朝鮮や台湾は「植民地」だったのかについては、国際法上の用語ではないのでなんとでもいえますが、イギリスのインド統治のような意味での植民地ではありません。イギリスのアイルランド領有とかロシアのポーランド領有にちかいものです。
 朝鮮統治は、もともとの目的が経済面ではなく国防上の要請に基づいたものだったので、一方的に収奪したようなことはありません。〕
 
(2017/7/7)KG
 
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信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
 [歴史・地理・民俗]

信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
 
ロックリー・トーマス/著 不二淑子/訳
出版社名:太田出版
出版年月:2017年2月
ISBNコード:978-4-7783-1556-6
税込価格:1,944円
頁数・縦:263, 16p・19cm
 
 
 イエズス会の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが日本に帯同し、信長に贈られた「黒人侍」弥助の数奇な人生を、限られた数少ない資料を基に推理する。
  
【目次】
第1章 日本上陸と信長との謁見
第2章 弥助の経歴を紐解く
第3章 現代に伝わる弥助伝説
第4章 弥助が生きた時代
第5章 弥助はどこから来たのか
第6章 信長の死後の弥助
第7章 弥助の生涯を推測する
付録 第一章「日本上陸と信長との謁見」に関する補足史料
 
【著者】
ロックリー,トーマス (Lockley, Thomas)
 日本大学法学部専任講師。研究分野は言語学習。担当教科は歴史で、特に国際的視野に立った日本史を扱う。イギリス出身、日本在住。
 
不二 淑子 (フジ ヨシコ)
 翻訳家。早稲田大学第一文学部卒。
 
【抜書】
●非ヨーロッパ世界(p99)
〔 しかし、たてつづけに出版が続いたあとは、黒人侍の逸話は三百年間忘れ去られてしまったようである。二十世紀前半に日本が強国となり、その国際的影響力が非白人国の中で突出したとき、日本国内で非ヨーロッパ世界と再びつながろうとする動きが起こり、白人帝国主義の犠牲者である黒人に対しても親しみを持つようになった。第一次世界大戦前に〈脱亜入欧〉というスローガンを掲げていた時期の反動とも言える流れだった。第二次世界大戦直前の日本は、当時の西欧社会がけっして日本人を同等とは見なさないことを認識し、考えを改めたのだった。この新しい波が起こった結果、弥助の逸話のように半分忘れ去られていた話の多くにスポットが当てられ、非ヨーロッパ世界との国際協調を促すために利用された。
 ここで忘れてはならないのは、日本が第二次世界大戦に参戦した大義名分は――最終的にどういう結果になったにせよ、また戦後に歴史がどう捉えたにせよ――、ヨーロッパ列強の植民地支配からの脱却だったという点だ。二十世紀初頭には世界中の何百万もの人々がこのメッセージを信じ、日本の方策を支持するにせよしないにせよ、そこから何かを感じ取っていた。その中には、ガンジー、中国最後の皇帝溥儀、孫文、スカルノ、アウンサン[ビルマの独立運動家。アウン・サン・スーチー氏の父親]といった著名人や、それほどではないアジアやアフリカの独立運動の指導者たちもいた。今日ではほとんど忘れられているが、日本軍には日本国内の日本人だけでなく、台湾と朝鮮の植民地部隊や中国と満州の志願兵、遠く離れたインドの反植民地主義者の同盟軍も含まれていた。また、二十世紀初頭には、欧米列強による統治と支配を終わらせてアジア人のためのアジアを築くという汎アジアの夢の名のもとに、中国やフィリピンで起こった独立運動に参加して死ぬまで戦った日本人志願兵もいた。〕
 
●カスティーリャ王国(p156)
 15世紀のイベリア半島は、カスティーリャ王国がポルトガルを除く全地域を支配していた。
 ポルトガルは、かろうじて独利した王国を維持していたが、中世の封建制度から中央集権的な君主制へ移行しつつある貧しい発展途上国に過ぎなかった。キリスト教国とは友好関係を保ち、北アフリカのイスラム教国とは聖戦を行っていた。そのため、ポルトガル船は、母国から遠く離れた港に向かうようになった。交易によって経済を発展させるため、海洋船を建造、アフリカ沿岸を目指す。喜望峰を通過し、インド洋まで到達、東洋の香辛料や富への道を開いた。ただし、この事実は国家機密。他のヨーロッパ諸国がモロッコ以南のアフリカ西海岸に何があるのかを知るのは、15世紀終盤、スペイン国王の支援を受けた探検隊が遠征に乗り出すようになってから。」
 
●アレッサンドロ・デ・メディチ(p173)
 ルネッサンス期のイタリアには、自由民のアフリカ人もいた。奴隷が市民権を得て自由民となることもあった。アフリカ人自由民によるコミュニティもあった。
 バチカンには、主要なアフリカ諸国の大使館があり、アフリカ人大使が駐在した。
 アレッサンドロ・デ・メディチは、「ムーア人」というあだ名で呼ばれ、アフリカ人奴隷の女性の子供と言われていた(真偽不明)。1530~1537年、フィレンツェ公を務めた。
 
●アビシニア(p184)
 16世紀ごろのエチオピアは、複数の部族が競合していたが、最古の部族の名を取って一般にアビシニアと呼ばれていた。
 南インドでは、5世紀以降、アビシニアの硬貨が頻繁に発見されており、当時からアビシニア人が商人や船乗りとしてインドを訪れていた。
 キリスト教国のアビシニアは、周囲のイスラム国やアニミズム信仰国に囲まれ、紛争が絶えなかった。サハラ以南のアフリカでもっとも国家としての体裁を整えた国だったが、安定を欠いていた。
 
●ディンカ族(p187)
 南スーダンには、世界で一番平均身長が高い部族、ディンカ族が住んでいる。牛飼いであり、勇猛な戦士。エチオピア人、エリトリア人、ソマリ人よりも黒い肌をしている。
 
(2017/6/25)KG
 
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ジャポニスムと近代の日本
 [歴史・地理・民俗]

ジャポニスムと近代の日本
 
東田雅博/著
出版社名:山川出版社
出版年月:2017年2月
ISBNコード:978-4-634-59088-5
税込価格:1,620円
頁数・縦:127p・21cm
 
 
 幕末から明治維新にかけて、ヨーロッパで起こったジャポニスムに関して考察する。
 主な視点は万国博覧会と文学作品に現れたジャポニスム。そして、シノワズリーとの関連に関しても言及。
 
【目次】
Ⅰ部 ジャポニスム
 1章 ジャポニスムとは何か
 2章 ジャポニスムはなぜ起こったのか
 3章 ジャポニスムは何をもたらしたのか
 4章 新しい研究
Ⅱ部 ジャポニスムで近代日本の歴史を読む―「歴史総合」試案
 5章 ジャポニスムは近代史のなかにどう位置づけられてきたのか
 6章 ジャポニスムを近代史のなかにどう位置づけるのか
 
【著者】
東田 雅博 (トウダ マサヒロ)
 1948年、大阪市生まれ。1981年、広島大学大学院文学研究科博士課程修了、西洋史学専攻。博士(文学)。富山大学人文学部教授、金沢大学文学部教授などを経て、金沢大学名誉教授。
 
【抜書】
●ジャポニスム、ジャポネズリー(p6)
 ジャポネズリー……「異国の珍しいものへの関心を強調するニュアンスが強い」。(高階秀彌「ジャポニスムとは何か」『ジャポニスム入門』ジャポニスム学会編、思文閣出版、2000年)
 ジャポニスム……「むろんそこにエキゾティスムの要素が大きな部分を占めているとしても、それのみにとどまらず、そこに見られる造形原理、新しい素材や技法、その背後にある美学または美意識、さらには生活様式や世界観を含む広い範囲にわたる日本への関心、および日本からの影響が問題とされる」。(同上)
〔 かなり乱暴にまとめてみれば、ジャポネズリーは異国趣味であり、それを超えて初めてジャポニスムである、ということになるだろう。〕
 
●1862年、ロンドン万博(p21)
 「西洋における日本の芸術の発見」は、1862年のロンドン万博に始まる。ポール・グリーンハルが指摘。
 1851年、ロンドンのハイドパークで開催された最初の万博「大博覧会」においても日本の製品は展示されていた。ただし、中国の展示品に日本の製品が紛れ込んでいただけ。
 1862年の万博では、日本の展示は来訪者に衝撃を与えた。しかし、この万博を見物した竹内遣欧使節団(福沢諭吉を含む)には不評だった。展示品の中に提灯、傘、木枕、蓑笠、草履のようなものまで並んでいたことが、使節団一行には残念に、あるいは屈辱的に思われたようである。
 日本が正式に参加したわけではない。日本の展示は、在日イギリス公使サー・ラザフォード・オールコック(『大君の都』の著者。1863年発行)が中心になって行った。オールコックは、日本の文明を高く評価していた。
 
●1867年、パリ万博(p25)
 1867年のパリ万博に、日本は初めて正式に参加。徳川昭武(慶喜の弟)が派遣された。幕府末期のこの時期、そんな余裕はなかったが、駐日フランス公使のレオン・ロッシュの強い要請に応える。
 薩摩藩と佐賀藩も独自に万博に参加。
 展示品は、武器、楽器、家具、和紙、書籍、衣服、陶磁器、漆器、銅器、ガラス器、根付け、『北斎漫画』や歌川国貞などの浮世絵、そして10点ほどの油絵など。3人の柳橋芸者が茶でもてなす日本風茶店もあった。
 『ロンドン画報』(1867年10月19日号)の「パリ万国博覧会 日本」という記事にて、和紙を激賞。
 「日本人の作る優良な紙は――九十種類もあるが――この紙の時代においてですら、ヨーロッパ人にはまだ知られていないようなさまざま目的に利用されている。彼らは、われわれがするように部屋に壁紙を張るだけでなく、紙の衣装や、紙のハンカチーフや、傘も持っている。……さまざまな色の日本の紙のとてもすばらしいコレクションが博覧会に出品されていて、われわれにはまだ、それほど完全に知られていないこの国から来るすべてのものと同様に、大きな興味をそそるのである。」
 
●エミール・ゾラ(p52)
 エミール・ゾラ『愛の一ページ』(1878年)。美しく貞淑な若き未亡人と、隣に住む富裕な医師との不倫の物語。この医師の庭園が、妻の日本趣味に彩られている。「日本風のあずまや」が設けられている。
 「壁と天井には金色のブロケード織りの布が張りめぐらされ、飛び立っていく鶴の群れや、極彩色の蝶と花、それに黄色い河に青い小舟が漂っている風景などが描かれていた。目の細かい茣蓙の敷かれた床には、黒檀でできた椅子と花台がいくつも置かれている。漆塗りの家具も数点あって、小ぶりの青銅彫刻、小さな東洋の陶磁器、それに、けばけばしい原色で塗りたくられた奇妙な玩具など、夥しい数の置物が所狭しと並べられていた。奥にはザクセン焼きの大きな東洋風の人形が置かれていたが、膝を折り曲げて座っている、このむき出しの布袋腹の持ち主は、ちょっと押されただけでも、見るからに楽しげな様子で、狂ったように頭を揺り動かすのだった。」(石井啓子訳、藤原書店、2003年、p.73)
 ゾラは、マネなど、印象派の画家たちと深く関わっていた。彼らから、ジャポニスムの影響を受けた?
 
●ギ・ド・モーパッサン(p56)
 ギ・ド・モーパッサン『ベラミ』(1885年)。元下士官のジョルジュ・デュロワが、男前を武器に中上流階級の女性をたらし込んで出世する物語。
 「彼は、……いよいよ女がくるとなると、できるだけうまく部屋のみすぼらしさを隠さなければならないが、それはどうしたらよかろうかと考えた。そして、日本製のこまごました品物を壁にピンでとめようと思いつき、五フラン奮発して、ちりめん紙や小さな扇や屏風を買い、それで壁紙の目立ちすぎるしみを隠した。窓のガラスには、川に浮かぶ船や夕焼け空を飛ぶ鳥やバルコニーによりかかる極彩色の貴婦人や雪の野原をいく黒い小さな人形の行列などをあらわした、透明な写し絵をはった。
 狭くて、寝るところと腰をおろすところしかない彼の住居は、やがて絵を描いた提灯の内側のようになった。」(田辺貞之助訳、新潮文庫、1976年、p.117)
 
●日本人の軽業興行(p67)
 松井源水一座による軽業見世物が、1868年2月2日より5月4日まで、ロンドンで行われた。ジョン・ラスキン『時と潮』所収の「第六の手紙 近代娯楽の堕落(日本の曲芸師)」(1867年2月28日付け)に、以下のように記述されている。
 「日本の曲芸師の一団が興行するためにロンドンに来ていることは聞いているだろう。かなり前から日本の美術への関心が高い。このことはわが国の画家たちにきわめて有害であった。わたしは日本人がどんな人々であるのか、彼らが何を成し遂げたのかを知りたかった。」
 「演技全体を見た印象は、劣等な人種と呼べる人間が存在しているのだというものであった。とはいえ、あらゆる点においてではない。人間の優しさ、家庭的な愛情、器用さなどが認められないわけではない。しかしながら彼らは国民としては悪魔的精神に捕らえられ、それによって何年もの忍耐を経て下等動物の性質とある程度類似するように自らを造り替えるよう追い込まれたのだ。」
 軽業興業は、フランス、ドイツ、スペイン、アメリカ、オーストラリアなどでも行われた。
 
●日本人村(p68)
 1885年1月10日から、ロンドンのナイツブリッジで日本人村の興行が始まる。
 「日本の意匠や様式で建てられた店舗、住居、茶店、および寺院だけではなく、日本の土着の工芸家や職人および彼らの家族をまとめてこの国に運び込み、ロンドンの中心部にできた小さな植民地に移植するという、今までにない思い付きが周到かつ上品に実行に移された。」(『タイムズ』紙)
 舞台が設えられ、軽業、足芸、綱渡り、相撲、チョンナキ踊りなども演じられた。
 入場料は1シリング。開幕4か月で25万人が来場した。
 しかし、日本人村は火災で焼失、再建されたが客足は今一つであった。
 日本人村は、ギルバートとサリバンのオペラ『ミカド』にも強い影響を与えた。初日のプログラムに、「上演にあたって、ナイツブリッジの日本人村の責任者および住民の貴重なご助力を受けたことに深く感謝する」との謝辞が見える。
 マイク・リー監督の映画『トプシー・ターヴィー』(1999年)には、日本人村の女性が『ミカド』の出演者たちに演技指導しているところが描かれている。
 
●プルースト(p71)
 プルーストは、盆栽にほれ込むほど日本びいきだった。
 『失われた時を求めて』には、さまざまな日本のモノが次々と登場する。
 ・水中花遊び(鈴木道彦訳、集英社、2001年、1巻、pp.92-93)
 ・「日本趣味の七宝模様」(同1巻、p.299)
 ・「日本の墨絵のような影」(同1巻、p.391)
 ・「日本の屏風に描かれているような」(同5巻、p.178)
 ・「銀色の地に日本画の手法で描かれたノルマンディのリンゴの木」(同12巻、p.13)
 
(2017/6/24)KG
 
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いまの世界をつくった世界史の大事件30
 [歴史・地理・民俗]

いまの世界をつくった世界史の大事件30
 
関眞興/著
出版社名:宝島社
出版年月:2016年9月
ISBNコード:978-4-8002-5809-0
税込価格:1,080円
頁数・縦:319p・19cm
 
 
 重大事件を中心に近現代の世界史を通観する。
 
【目次】
第1章 18~19世紀
 イギリス政界まで巻き込んだ異常な投機熱―南海泡沫会社事件《1720年、イギリス》
 独立革命につながるアメリカの権利意識―ボストン=ティー=パーティー事件《1773年、アメリカ13州》
 フランス革命のきっかけになった市民たちの暴動―バスティーユ襲撃事件《1789年、フランス》
 産業革命によって生まれた賃金労働者の不満を表明した―ラッダイト運動(事件)《1811年、イギリス》
 戦争の発端となったビスマルクの電報改竄―エムス電報事件《1870年、プロシア》
 反ユダヤ感情を増幅させた仏近現代史上最大の冤罪事件―ドレフュス事件《1894年、フランス》
 朝鮮進出を図る日本が打った残虐な一手―閔妃暗殺事件《1895年、李氏朝鮮》
 「扶清滅洋」を掲げ、外国勢力の排除を目指した―義和団事件《1900年、中国》
  
第2章 20世紀前半
 民衆の素朴な崇敬を粉砕したツァーリの銃弾―血の日曜日事件《1905年、ロシア帝国》
 どの国も望んでいなかった第一次世界大戦の引き金―サライェヴォ事件《1914年、オーストリア=ハンガリー帝国》
 オスマン帝国の崩壊に続く近代化への途中で起こった―タラート=パシャ暗殺事件《1921年、オスマン帝国》
 民主主義の象徴が焼け落ち、ナチス独裁のきっかけに―国会議事堂放火事件《1933年、ドイツ》
 永久革命論とスターリンの一国社会主義との対決―トロツキーの暗殺《1940年、ソ連》
 インド現代史における「非暴力主義」のゆくえ―ガンディー暗殺事件《1948年、インド》
 「約束の地」を求めたユダヤによるアラブへの攻撃―デイル=ヤシーン村虐殺事件《1948年、イスラエル》
 戦後のアメリカで突如吹き荒れた「赤狩り」の嵐―ローゼンバーグ事件《1950年、アメリカ》
 
第3章 20世紀後半
 南アフリカの「アパルトヘイト」に対する不満が爆発―シャープビル虐殺事件《1960年、南アフリカ》
 アメリカがカストロ政権の転覆を狙ってキューバに侵攻―ピッグス湾事件《1961年、キューバ》
 インドネシアで突如起こったクーデターと共産党弾圧―9・30クーデター《1965年、インドネシア》
 ド=ゴールの時代に起きた新しい世代の叛乱―フランス五月革命《1968年、フランス》
 中国とソ連が国境となる川中の島を巡って武力衝突―ダマンスキー島衝突事件《1969年、ソ連》
 イラン革命後に元国王の引き渡しを求めた民衆―アメリカ大使館占拠事件《1979年、イラン》
 南米エル=サルバドルで人権尊重を求めたカトリック福者―ロメロ神父狙撃事件《1980年、エル=サルバドル》
 「筋金入りの抵抗者」の教皇が率いるヴァチカン市国―ヨハネ=パウロ2世暗殺未遂事件《1981年、ヴァチカン市国》
 自由化を求めた学生デモに対する無差別発砲―天安門事件《1989年、中国》
 保守派によるクーデター未遂はやがてソ連崩壊へと導く―ゴルバチョフ軟禁事件《1991年、ソ連》
 第二次世界大戦後、ヨーロッパで最大のジェノサイド―スレブレニツァ虐殺事件《1995年、ボスニア=ヘルツェゴビナ》
 
第4章 21世紀
 アメリカと中東世界が起こした「文明の衝突」の悲劇―9・11同時多発テロ《2001年、アメリカ》
 「世界最悪」の悲劇・コンゴ紛争とアフリカ大戦―ローラン・カビラ暗殺事件《2001年、コンゴ民主共和国》
 ウクライナを脅かす21世紀ロシアのナショナリズム―クリミア半島併合事件《2014年、ウクライナ》
 
【著者】
関 眞興 (セキ シンコウ)
 1944年、三重県生まれ。東京大学文学部卒業後、駿台予備校世界史講師を経て、著述家。
 
【抜書】
●バスティーユ監獄(p34)
〔 この後、フランスは革命の長い混乱に入っていく。発端となったバスティーユ監獄は、フランス絶対主義の象徴のように言われるが、この時、政治犯の収容者は一人もおらず、文書偽造犯4人、精神病患者が2人、素行不良の貴族1人の計7人であった。しばしば話題になるマルキ=ド=サドは10日ほど前に他の施設(修道院)に移されていた。
 ということで、じつはバスティーユ監獄に、直接的には「絶対主義の象徴」としての意味はなかった。しかしこの事件が「フランス革命史」で強調されるのは、それまで特権階級の間でおこなわれていた「革命」に市民が直接介入したことと、この事件が瞬く間に全国に伝えられたことにより、全国的な革命状況を生み出す契機になったことにある。〕
 つまり、市民たちは武器と弾薬を奪いに行ったのである。
 
●アルメニア(p116)
 カスピ海と黒海の間をさすコーカサス地方にある3国の一つ。他は、ジョージアとアゼルバイジャン。
 アルメニア人は、インド=ヨーロッパ系の言語を話す民族。キリスト教。初めてキリスト教を国教化した民族としても知られる(301年)。祖国アルメニアは300万人あまりの人口だが、ヨーロッパに50万人、アメリカに80万人余りがいるという。
 商才にたけ、「コーカサスのユダヤ人」と呼ばれることもある。
 
●アラブ人(p153)
 アラブ……アラビア語を話すイスラム教徒。アラビア語は、もともとアラビア半島の住民の言葉だった。イスラム教徒は「アラビア語でコーランを読まなければならない」というイスラム教の基本原理がある。
 
●アフリカの年(p181)
 17の独立国が誕生した1960年を、国連は「アフリカの年」と評した。
 
●5月35日(p260)
 1989年、天安門事件。6月4日未明、李鵬の指示によって人民解放軍が鎮圧活動を開始した。天安門広場に集まっていた学生・市民たちに対し、無差別に発砲、多くの死傷者が出た。政府発表は319人。数万の死傷者が出たとの意見もある。
 インターネットでは、「6月4日」という言葉を含むものはすべて遮断されるため、「5月35日」などの隠語を生んでいる。
 
●イスラム教(p289)
 〔イスラム教は純粋な宗教であり、政治的な宗教でもある。〕
 教義は、「六信五行」と単純。
 イスラム教には聖職者がいない。ただし、それに対応する法学者がいて、宗教上・生活上の問題は『コーラン』に戻って解説してくれる。世俗的な法体系を作り上げるのではなく、法体系の原点が『コーラン』。〔日常生活そのものが宗教生活であり、宗教がそのまま日常である。〕
 
(2017/6/18)KG
 
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世界と日本がわかる最強の世界史
 [歴史・地理・民俗]

世界と日本がわかる 最強の世界史 (扶桑社新書)
 
八幡和郎/著
出版社名:育鵬社(扶桑社新書 230)
出版年月:2017年1月
ISBNコード:978-4-594-07640-5
税込価格:929円
頁数・縦:311p・18cm
 
 
 日本との関連を捉えながら古代から現代までの世界史を通観する。
 
【目次】
第1章 人類・神話・民族
第2章 ローマ・ペルシャ・秦漢帝国
第3章 仏教・キリスト教・イスラム教
第4章 民族移動・宗教政治・商人の活躍
第5章 成吉思汗・ルネサンス・オスマン帝国
第6章 大航海時代・アメリカ・宗教改革
第7章 ウェストファリア体制・絶対王制・大清帝国
第8章 アメリカ独立・フランス革命・大英帝国
第9章 世界大戦・社会主義・ファシズム
第10章 国家独立・市場経済・グローバリズム
 
【著者】
八幡 和郎 (ヤワタ カズオ)
 1951年滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学大学院教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。
 
【抜書】
●帝国(p32)
 世界でただ一人だけ、エンペラーを名乗っているのは日本の天皇。
 ヨーロッパでは、ドイツ、オーストリア、ロシアの皇帝が、第一次世界大戦とその時期の革命でいなくなった。
 ソロモン王とシバの女王の子孫とされるエチオピアのハイエセラシエ(ハイレ・セラシエ)帝も、1974年に革命によって廃位させられた。
 しかし、帝国主義とか大英帝国といったように使われるときの「エンパイア(帝国)」というのは、多数の国とか民族を束ねた政治形態のことをいう。君主が皇帝を名乗っているかどうかは関係ない。
 帝国のはしりは、紀元前7世紀にメソポタミアからエジプトまでを統一した、アッシリア。
 完成形にしたのは、紀元前6世紀にダレイオス1世(在位前522-前486)のもとで全盛期を迎えたアケメネス朝ペルシャ。インド北西部からマケドニアやルーマニア、エジプトまで領土が及んだ。
 ペルシャの制度は、それを滅ぼしたアレクサンドロス大王の帝国に引き継がれ、さらにローマやインドのアショーカ王の帝国もその伝統を受け継いでいる。
 
●朝鮮半島(p58)
〔 しばしば、日本が半島から文明を学んだという言い方がされますが、根拠はありません。稲作が本格化する条件も温暖な日本のほうが整っています。あとで書くように6世紀あたりに百済を通じて中国の文化を輸入する時代がありましたが、ほかの時代にもそれと同じようなことがあったわけではありません。〕
 
●「何も学ばず、何も忘れず」(p178)
 クロムウェルが59歳で死んだとき、死刑にしたチャールズ1世の息子で大陸に亡命していたチャールズ2世を迎えて王政復古を選んだ。
 ただ、彼らは大陸から「何も学ばず、忘れず」に帰ってきたので、人々に嫌われた。結果、チャールズ2世の弟であるジェームズ2世は、名誉革命(1688年)で追放され、娘のメアリとその夫でプロテスタントだったオランダ総督オレンジ公ウィリアム(オラニエ公ウィレム)が共同君主として迎えられた。
 フランスが戦争に負けて、ナポレオンが地中海のエルバ島に流されたとき、亡命者たちは「何も学ばず、何も忘れず」に帰ってきた。ルイ16世の弟がルイ18世になった。(p204)
 
●セオドア・ルーズベルト(p244)
 セオドア・ルーズベルト(在任1901-09)は、軍事的な圧力を背景に、「静かに歩いていても、棍棒を持ってさえいれば遠くに行ける」ということをモットーにしていた。
 パナマ運河を建設するためにコロンビア国内の分離派を巧妙に仕掛けたことを理想主義者は非難したが、「運河を建設する前に半世紀も議論するよりも、建設してから私の処置について半世紀議論したほうがましだ」と反論した。
 
●中国(p308)
 〔中国は政治・経済・社会・文化などいずれをとっても巨大な開発途上国にすぎません。もし、21世紀が後進文明国のヘゲモニーのもとに置かれるなら、人類にとってこのうえない不幸はないのです。〕
 
(2017/6/3)KG
 
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疑問に迫る日本の歴史 原始・古代から近現代までを考えながら学ぶ
 [歴史・地理・民俗]

疑問に迫る日本の歴史
 
松本一夫/著
出版社名:ベレ出版
出版年月:2017年1月
ISBNコード:978-4-86064-499-4
税込価格:1,728円
頁数・縦:325p・19cm
 
 
なぜそれは起こったのか、疑問に答えながら日本史の側面・裏面を解説する。原始・古代から近現代まで、全40題。
教科書では出てこない歴史のとらえ方を学べる一冊。
 
【目次】
第1部 原始・古代
縄文人の知恵
邪馬台国論争はなぜ決着しないのか
ほか
第2中世
鎌倉幕府の成立はいつか
武士どうしの争いでもあった承久の乱
ほか
第3部 近世
織田信長は本当に天下統一をめざしたのか
豊臣秀吉の情報戦略
ほか
第4部 近現代
世界史から見たペリー来航
近代国家は江戸末期に準備されていた―綿工業の視点から
ほか
 
【著者】
松本 一夫 (マツモト カズオ)
1959年生まれ。1982年慶應義塾大学文学部を卒業後、栃木県の高校教員となり、20年間日本史、世界史等を担当する。専門は日本中世史。2001年博士(史学)。國學院大學栃木短期大学、宇都宮大学等で非常勤講師を務めた。その後、栃木県立文書館等を経て現在は栃木県立上三川高等学校長。南北朝期の軍事関係史を研究する一方で、日本史教育の実践的研究にも取り組む。
 
【抜書】
●麦、米(p16)
岡山県姫笹原遺跡から出土した縄文中期の土器から、イネ科植物の葉に含まれるプラントオパールが検出された。
九州や山陽地方の後期・晩期の縄文遺跡から、米や麦の粒そのものが見つかっている。
米や麦は、弥生時代以前の早い時期に日本に伝わっており、一時期、原始的な農耕も行われていた。
しかし、日本の豊かな自然は、農耕に頼らなくても狩猟採集生活に困らなかったので、農耕が普及しなかった。
稲作は、梅雨を経て育成期に高温となる日本の気候に最も適し、収量も豊かだったので、この生業方式が大陸から入ってきたときに初めて農業社会に移行した。
縄文人がスムーズに農業技術を習得した理由……定住が進み、すでに相当な計画性をもって食料調達ができていた。アク抜きなど手間のかかる作業を通じ、勤勉さを身に着けていた。エゴマやヒョウタンなど、一定の植物栽培の知識がすでにあった。工夫された道具類が残されていることから、手先が器用だった。
 
●歌あわせ(p77)
和歌が文芸の中心となったのは9世紀末。貴族の間で、左右に分かれて歌の優劣を競う「歌あわせ」が盛んとなった。905年『古今和歌集』以後、朝廷が次々と勅撰和歌集を編纂していった。
(しかし、すでに783年ごろ(?)『万葉集』が成立していた)
 
●犬小屋(p206)
徳川綱吉の時代、元禄8年(1695年)10月、幕府は四谷、大久保、中野に大規模な犬小屋を作り、江戸町方の野犬を収容した。
中野の犬小屋は16万坪、東京ドームの約11倍。すぐに手狭となり、翌年10万坪の施設を増築。25坪の犬小屋が290棟、7.5坪の日除け場が295棟、子犬養育所が495か所設けられた。最大10万匹が収容されていた。
 
●四木三草(p214)
戦国時代以来、農民たちは米以外にも四木三草(しぼくさんそう)と呼ばれる、収益性の高い商品作物を栽培していた。
四木……茶、桑、楮(こうぞ)、漆
三草……麻、紅花、藍
 
●演歌(p270)
演歌は、もともと明治の自由民権運動において弁士たちが演じたパフォーマンスが起源。川上音二郎の「オッペケペ節」など。演説歌。
大正期に入ると、「カチューシャの唄」「船頭小唄」など、大衆芸能化していく。
現在の演歌は、これらとの直接のつながりはなく、1950年代ごろから民謡や浪曲などをベースに作り上げられてきた。
 
●象徴天皇(p307)
昭和21年2月に新聞各紙に発表された調査結果によると、一般国民はすでに「象徴天皇制」の考え方を持っていた。
天皇制支持91%。このうち天皇主権支持16%。天皇が政治から離れ、民族の総家長、道義的中心となることを指示した人は45%。
 
●表彰台(p320)
1964年の東京オリンピックで、開催間際になって表彰台を準備していないことに気づく。
組織委員会は、どの部門で作るかも決めておらず、結局、何でも屋のようになっていたデザイン室に急遽依頼。
デザイナーは、とにかく間に合わせるために、メモ程度の設計図を作り、仕事場から最も近い工務店に駆け込む。
職人はその設計図をちらりと眺め、「オリンピックか」とつぶやき、すぐに作業に取り掛かった。ごく短期間で、揺れも軋みもしない、完璧な強度を持つ表彰台を仕上げてしまった。
この時デザイナーは、日本の職人の持つ技術の高さに大いに感嘆した。
 
(2017/5/18)KG
 
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知らなかった、ぼくらの戦争
 [歴史・地理・民俗]

知らなかった、ぼくらの戦争
  
アーサー・ビナード/編著
出版社名:小学館
出版年月:2017年4月
ISBNコード:978-4-09-388508-9
税込価格:1,620円
頁数・縦:255p・19cm
 
 
 2015年4月~2016年3月に放送された、文化放送の「アーサー・ビナード『探しています』」という番組の中で、戦争体験を語ってくれた23名のインタビューを採録し、加筆・修正したもの。
 日系人あり、有名人あり、市井の人あり、また、地域的にもアメリカ、東京名古屋広島、長崎、沖縄と、インタビュイー選びの幅の広さが際立っている。
 出版時点での物故者も数名いる。だからこそ、いま聞いておかなければ、という著者の思いが伝わってくる。
 また、アメリカ人でありながらアメリカ政府の姿勢を批判的に解釈する姿勢も本書の重要な視点と言える。
 
【目次】
第1章 「パールハーバー」と「真珠湾」と「真実」
 マリは蹴りたしマリはなし(栗原澪子)
 「空母は何隻いたのか?」(原田要)
 あの日からぴたりと白人客は来なくなった(リッチ日高)
 ミシガンのセロリ畑で聞いた「無条件降伏」(浜坂米子)
 生まれた集落の名前は「鯨場(くじらば)」(鳴海冨美子)
 
第2章 黙って待っていたのでは、だれも教えてくれない
 まだあげ初めし前髪の乙女たちは毒ガス島で働いていた(岡田黎子)
 「君は狭間という日本語を知っているか」(飯田進)
 それでもくたばるのはイヤだから(西村幸吉)
 硫黄島は墓場である(秋草鶴次)
 十五歳で日本海軍特別年少兵(西崎信夫)
 
第3章 初めて目にする「日本」
 「外地」は一瞬にして「外国」となった(ちばてつや)
 「日本という国が本当にあった!」(宮良作)
 「疎開」の名の下に「うっちゃられた」(平良啓子)
 
第4章 「終戦」は本当にあった?
 八月十五日は引っ越しの日?(三遊亭金馬)
 ストロボをいっぺんに何万個も(大岩孝平)
 昼飯のだご汁をつくり始めたら(松原淳)
 津々浦々に投下されていた「原爆」(古内竹二郎)
 
第5章 一億総英会話時代
 GHQは東京日比谷で朝鮮戦争の業務を遂行(篠原栄子)
 公園はすべてを見てきた(小坂哲瑯)
 流れに「のっていく」ぼくらの今と昔(高畑勲)
 
【著者】
ビナード,アーサー (Binard, Arthur)
 詩人。1967年、アメリカ・ミシガン州生まれ。ニューヨーク州のコルゲート大学で英文学を学び、1990年の卒業と同時に来日、日本語での詩作を始める。詩集『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞、『日本語ぽこりぽこり』(小学館)で講談社エッセイ賞、『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)で日本絵本賞を受賞。
 
【抜書】
●隔離(p39)
〔 一九四〇年代の初め、多くの日系人はまじめに働き、それぞれの地域社会に貢献しながら日々、白人とも黒人ともラテン系とも中国系の人々とも触れ合っていた。そうすると「ジャパニーズも人間なんだなぁ」と、みんな日常生活の中で確認することになる。そんな状況がつづけば、焼夷弾で日本人を万人単位で焼き殺すような作戦は喜ばれず、非難されかねない。ましてや無防備の民間人に原子爆弾を投下するなんて、支持を得られる行為ではまったくない。
 だからこそ日系人を癌細胞のように扱い、アメリカ社会からさっさと摘出したのだろう。
 だれも彼らの人間性に触れることができないように、荒れ地のキャンプに閉じ込めて隔離したわけだ。一九四一年から大々的に始まった「ジャップ」を蔑むプロパガンダのネガティブキャンペーンにも、そんな狙いが透けて見える。〕
〔いずれにせよ、アメリカと日本の関係を考える際、アメリカ政府が日系人に対して行ったことを外してはならないと思う。今までそれが外されてきて、日米の歴史は盲点だらけだ。〕
 
●Little boy、Fat man、Pumpkin(p198)
 Little boy……広島に落とされたウラン弾。ウラン弾は、この1発だけであった。
 Fat man……長崎に落とされたプルトニウム弾。
 Pumpkin……Fat manと同型の爆弾。1万ポンド(5トン)爆弾。長崎に原爆を落とす前に、実験として日本各地30都市に49発が投下された。
 
(2017/5/13)KG
 
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