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アルカイダから古文書を守った図書館員
 [歴史・地理・民俗]

アルカイダから古文書を守った図書館員  
ジョシュア・ハマー/著 梶山あゆみ/訳
出版社名:紀伊國屋書店
出版年月:2017年6月
ISBNコード:978-4-314-01148-8
税込価格:2,268円
頁数・縦 :349p・20cm
 
 
 マンマ・ハイダラの息子、アブデル・カデル・ハイダラが、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」や、トゥアレグ族の独立派からトンブクトゥの古文書を守るために奮闘する物語。
 彼は、アフマド・ババ研究所のために、マリ国中そして周辺国から古文書を集める仕事を請け負い、さらには自分の父祖が集めた古文書を保存するためのマンマ・ハイダラ記念図書館を建てる。そして、トンブクトゥには45の図書館と37万8,000冊の古文書が保管されることになる。
 2012年から2013年にかけて過激派に占領されたトンブクトゥから、このうちの数十万冊を首都バマコまで秘密裏に輸送し、過激派の破壊から守ったのである。
 
【目次】
重責を負わされた少年
失われた黄金の歴史
古文書を探す苦難の旅
私設図書館第一号の誕生
トンブクトゥの新たな春
忍び寄るイスラム原理主義
警戒を強めるアメリカ
吹き荒れるテロの嵐
危険な同盟
トンブクトゥに迫る戦火
征服と抑圧
古文書救出作戦の開始
破壊と残虐
トンブクトゥ脱出
南下する恐怖
フランスの軍事介入
ニジェール川の輸送作戦
勝利と解放
戦いの終焉
 
【著者】
ハマー,ジョシュア (Hammer, Joshua)
 ニューヨーク生まれ。プリンストン大学で英文学を専攻。1988年に『ニューズウィーク』に入社し、ビジネスやメディア関係の記事を担当。1992年から2006年までは、五つの大陸で同誌の支局長兼特派員をつとめる。2007年からはドイツのベルリンを拠点に世界各地を取材し、『スミソニアン』誌、『アウトサイド』誌、『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌などに定期的に奇稿。2016年度の全米雑誌賞など、ジャーナリズム関係の賞を多数受賞している。
 
梶山 あゆみ (カジヤマ アユミ)
 東京都立大学人文学部英文学科卒業。翻訳家。
 
【抜書】
●トンブクトゥ(p26)
 12世紀初頭、トゥアレグ族(サハラ砂漠で放牧を営む遊牧民)の一家が、サハラ砂漠から250km南のニジェール川流域に着いた。毎年夏に、砂漠の酷暑を避けてこの草原へ遊牧するのを習わしとしていた。
 ある夏、数km北寄りのニジェール川の支流近くに、もっと過ごしやすそうな場所を見つけた。浅い井戸が一つあって、美味しいきれいな水を飲むこともできる。
 9月になって、一家は、近くに住むトゥアレグの女性に重い荷物を預けて砂漠に戻った。一家はその女性を、ブクトゥ(へその大きな人)と呼んでいた。
 翌年の夏、また南に向かう一家は行き先を尋ねられてこう答えた。「われわれはブクトゥの井戸(ティン)――ティン・ブクトゥに行く。トンブクトゥは、フランス語読み。
 そこはラクダにとっても川舟にとっても便がよいことから、次第に野営地としての評判が広まっていった。
 その後100年で、世界の十字路として発展を遂げ、二つの文化がぶつかる要衝となった。
 農民に漁師。トゥアレグ族の貴族階級とその奴隷「ベラ族」。ガーナ帝国の暴君のもとを逃れたアラブ人やベルベル人(北アフリカに住むコーカソイド系の民族)の商人。
 
●コロフォン(p30)
 コロフォン……ギリシャ語で「最後の仕上げ」という意味。トンブクトゥの写本には、すべてコロフォン(現在の奥付にあたる)が付されている。
 筆写の開始・終了時期、写本が造られた場所、書家や校正者の名前が記録された。アラビア語に母音記号を振る役割をもった、第三の職人の名も記載。時には、写本制作を依頼した顧客の名も。
 
●アフマド・ババ(p37)
 アフマド・ババ・アル・マスフィ、1556年、アラワン生まれ。岩塩鉱とオアシスの町。黒人で、黒いアイシャドウをつけ、黒づくめの服を着ていたので、「黒い人」の異名をとる。
 トンブクトゥのサンコーレ大学の図書館向けに60冊の本を書いている。コーランやハディースの注釈書、北アフリカのマーリク学派を取り上げた人名事典、天文学書、『煙草使用の正当性について』『アフマド・ババが奴隷制に関するモロッコ人の問いに答える』、など。
 
●黄金時代の終焉(p40)
 1591年、火縄銃と大砲を装備したモロッコの軍隊がトンブクトゥを包囲。ソンガイ帝国の王アスキア・イスハーク2世は殺害される。その兄弟が後継者として即位、モロッコの王に忠誠を誓った。
 モロッコ軍はサンコーレ・モスクを襲撃、アフマド・ババの書庫を略奪。アフマド・ババ自身や何十人もの学者がモロッコに連行され、学問の都の黄金時代は幕を閉じた。
 
●KITAKATA(p90)
 アフマド・ババ研究所で、作業室の様子を見学。傷みやすい古文書のページを「KITAKATA」と呼ばれる日本製の紙で補強していた。薄くて丈夫。裂け目の補修やページの裏打ちに最適。古文書はふつう、紙の片面にしか文字が記されていない。
 
●ギニアビサウ(p145)
 ギニアビサウは、大西洋に面した「麻薬国家」。イスラム教過激派のアブデルハミド・アブ・ゼイドもモフタール・ベルモフタールも、トゥアレグ族やアラブ人の運び屋を使って麻薬を陸路でアンリからギニアビザウへ運び、麻薬売買を行っていた。
 
(2017/12/9)KG
 
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人類一万年の文明論 環境考古学からの警鐘
 [歴史・地理・民俗]

人類一万年の文明論―環境考古学からの警鐘
 
安田喜憲/著
出版社名:東洋経済新報社
出版年月:2017年10月
ISBNコード:978-4-492-22379-6
税込価格:2,592円
頁数・縦:337, 15p/20cm
 
 
 「電気新聞」ウェーブ欄に2004年から2017年にわたって連載されたエッセーをもとに構成。畑作牧畜民(現代の西欧人)の生み出した物質エネルギー文明の限界と、稲作漁撈民(すなわち日本人)の文明の優位を説く。
 おおむね首肯できる内容ではあるが、畑作牧畜民および一神教に対する嫌悪感丸出しの主張はいかがなものか。「他者」に対する嫌悪が内在するのであれば、結局、稲作漁撈文明が将来の社会を導くことになっても、西欧文明同様、他の民族・宗教を排除する思想が萌芽してしまうのではないだろうか。
 
【目次】
第1章 環境考古学
第2章 環太平洋文明
第3章 災害と文明
第4章 富士山と地球環境史ミュージアム
第5章 生命文明の時代
第6章 未来に向けて
 
【著者】
安田 喜憲 (ヤスダ ヨシノリ)
 1946年三重県生まれ。東北大学大学院理学研究科修了。理学博士。広島大学助手、国際日本文化センター教授、東北大学大学院教授などをへて、現在、ふじのくに地球環境史ミュージアム館長、立命館大学環太平洋文明研究センター長。スウェーデン王立科学アカデミー会員、紫綬褒章受章。
 
【抜書】
●地球温暖化(p15)
 1万5000年前、年平均気温が一気に4~6度も上昇する地球温暖化の時代が訪れた。気候の湿潤化も伴う。
 シベリア北部ではスゲ科や地衣類の湿性ツンドラが拡大し、カバノキ属やヤナギ属の森林が覆う。南部では針葉樹の暗い森が拡大。ケナガマンモスの好物のイネ科やヨモギ類の生息するマンモスステップが姿を消した。
 
●最終氷期最寒冷期(p18)
 3万3000年前、最終氷期最寒冷期(過去10万年で最も寒冷で乾燥)の開始期、ホモ・サピエンスは寒冷乾燥気候に適応して生き残った。ネアンデルタール人は絶滅。
 ホモ・サピエンスの誕生した20万~15万年前は、リス氷期末期の地球環境激動の時代だった。
 
●年縞(p35)
 年縞(ねんこう)……湖の底に積み重なったバーコード状の縞模様。福井県の水月湖、鳥取県の東郷池、秋田県の目潟などの湖底ボーリングによって発見。
 春から夏に珪藻が繁殖して白い層を、秋から冬にかけて粘土鉱物が静かに湖底に堆積して黒い層を形成。地球の遺伝子(ジェオ・ゲノム)と名付ける。
 
●五つの掟(p36)
 稲作漁撈民が守ってきた五つの掟。これにより、持続的にこの地球で生き続ける文明システムを発展させてきた。
 ① 自然を信じ、人間を信じ、森や山そして川や海に祈る心を持つこと。
 ② 命の源の水の循環系を守ること。
 ③ 自然の豊かさを、生命の連鎖を守るためには、時には自らの命を捨てても構わないという気概を持つこと。
 ④ 自然の資源を使い尽くさないで循環的に利用すること。
 ⑤ 自然を守るためには自らの欲望をコントロールすること。
 
●長江文明崩壊(p68)
 4200~4000年前は、著しい気候悪化期。寒冷化した。
 気候悪化により、北方から金属製の武器を持った畑作牧畜民が南下し、長江文明を滅ぼした。現在の漢民族のルーツ。
 石家河文化末期には、北方の黄河文明の要素が顕著に出現するようになる。
 稲作漁撈民は、雲南省や貴州省の山岳地帯、チベット高原、東南アジアへと逃れ、海岸部に暮らした人々は日本列島や台湾に逃れた。
 ミトコンドリアDNAの分析によると、漢民族にだけはM8aハプロタイプという特異な遺伝子が存在するが、周辺の少数民族や日本人にはM8aハプロタイプを持つ人の比率は少ない(篠田謙一『日本人になった祖先たち』NHKブックス、2007年)。
 Y染色体の分析では、漢民族はO3eという特異な系統、雲南省や貴州省、チベット高原、東南アジアの人たちはO2a系統、日本列島はO2b系統(崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅』昭和堂、2008年)。
 
●文明の歯車(p120)
〔 危機が忍びよっているにもかかわらず、人々は文明がカタストロフに崩壊する直前まで、巨大なモアイをつくり続け、しかもモアイは、文明の末期になればなるほど巨大化していった。
 人々は、森の消滅によってひたひたと押し寄せる危機を、まったく無視するかのように、より大きなモアイ、より巨大なモアイをつくり続けたのである。
 私たち現代人は、このイースター島のモアイの文明の崩壊から、文明の暴走の恐怖を学ばなければならないのである。
 文明の歯車は、いったん回り出したら、後戻りすることはおろか、立ち止まることさえむずかしいのである。文明の暴走は巨大化を生む、という事実を直視しなければならないのである。〕
 
●島国根性(p122)
 森を守る「島国根性」。
 ① 山を崇拝する。島に恵みの雨と水をもたらしてくれる高い山を聖山としてあがめる。
 ② 自然の再生と循環は、魚を食べることによって守られる。
 ③ 女性の力を大切にした。女性が頑張る社会は、自然の豊かさが守られ、持続型文明社会を構築できた。
 
●日本の漂流(p168)
 第一の危機……明治維新。一神教を背景とした近代欧米文明を受け入れやすくするために、神仏習合と修験道を排除しようとした。
 第二の危機……第二次世界大戦敗戦。マッカーサーは、日本を共産主義に対決するキリスト教の理想郷にすべく、神道と仏教から魂を抜いた。神官は自然崇拝の哲学を語ることなく、仏教は葬式仏教に堕落していった。一方で、一神教に基礎を置くマルクス史観に対しては寛容だった。
 第三の危機……現在の危機。グローバル化と市場原理主義によって引き起こされた。
 市場原理主義は美しい完結した経済理論であるが、歴史と伝統文化を無視した個人の欲望を中心にした経済理論である。将来世代への責任を無視した、現在の欲望のみに立脚した個の欲望。
 
●大陸根性(p178)
 大陸型の畑作牧畜民の文明は、環境や自然が悪化すると、その場を捨てて簡単に移動する。〔大陸根性とは、移動し破壊する心でもある。〕
 
●大仏温暖期(p193)
 最澄と空海が生きた時代は、万葉寒冷期から大仏温暖期へと移行する、地球温暖化の時代であった。干ばつや洪水などの気象災害と地震が多発する時代。
 最澄……自己否定の後、「草木(そうもく)国土悉皆成仏」の思想に至る。
 空海……『三教指帰(さんごうしいき)』の仮名乞児(かめいこつじ)は、自己否定に陥った自身の青春時代の姿。
 
●新嘗祭(p294)
 11月23日の勤労感謝の日は、もともと新嘗祭。稲作漁撈民にとって、最も重要な豊穣の儀礼の祝日。
 豊かな収穫に感謝し、新米を神々にささげ、翌年の豊作を祈る。
 
●森林破壊(p324)
 12世紀以降の大開墾によって、アルプス以北のヨーロッパ平原の大森林(ヨーロッパブナやナラ類)は、17世紀までのあいだに完璧に破壊された。
 イギリスやスイスでは90%、ドイツでは70%の森が失われた。
 
(2017/11/17)KG
 
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世界単位日本 列島の文明生態史
 [歴史・地理・民俗]

世界単位 日本: 列島の文明生態史 (学術選書)  
高谷好一/著
出版社名:京都大学学術出版会(学術選書 082)
出版年月:2017年8月
ISBNコード:978-4-8140-0079-1
税込価格:2,376円
頁数・縦:471p・19cm
 
 
 世界単位。著者による命名で、世界がいくつかの「単位」で創られているという主張をもとに、こう呼んでいるらしい。その「世界単位」としての日本列島を、大陸や南の海との関りを通して、歴史を俯瞰しつつ多角的に論じる。
 ところで、本書の読者を高校生以上と想定してるが、それならば難読語や特殊な地名には「よみがな」を振ってほしいものだ。唯一、よみがなが付されていたのは、「野洲川デルタの中の典型的な普通の村」開発(カイホツ)であった(p337)。著者の住んでいるところだとか。
 
【目次】
第1部 アジア概観―生態区と文明区
 第1章 大陸の森
 第2章 海の世界
 第3章 草原、砂漠、中華世界
 
第2部 日本の形成―内世界と外文明
 第4章 列島の森と野と海―縄文文化の生態史
 第5章 米と銅・鉄―弥生文化
 第6章 国連合から王国へ―天孫思想の到来
 第7章 日本国の確立―律令制の導入と在地化
 第8章 中世武家の時代―分裂と進出
 第9章 陸海あげての激動期―近世への胎動
 第10章 近世日本国の成熟―江戸時代
 第11章 脱亜から戦争へ―明治以降
 
終章 日本、「周辺」そして世界の共存
 
【著者】
高谷 好一 (タカヤ ヨシカズ)
 京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。1934(昭和9)年、滋賀県守山市に生まれる。1958年、京都大学理学部卒業。京都大学東南アジア研究センター助手、助教授を経て、1975年から京都大学東南アジア研究センター教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部教授。2004年から聖泉大学教授。2016年3月11日、調査旅行中のインド・チャンディーガルで逝去。
 
【抜書】
●照葉樹林文化(p4)
 中尾佐助が命名。「農業起源論」(『今西錦司博士還暦記念論文集Ⅰ 自然――生態学的研究』、森下正明/吉良竜夫 編、中央公論社、1967年)より。
 照葉樹林が広がるネパール、中国南部(長江流域以南)、韓国南部、日本列島の西半分に根付いた文化。
 納豆、味噌、豆腐、麺、ちまき、餅、茶、など、共通の食材を有する。他に、絹や漆なども。
 
●良渚遺跡(p31)
 良渚(りょうしょ)遺跡……BC3300年からBC2200年頃の遺跡。長江文明。稲作が頂点にまで高まった。
 杭州湾の北岸。河姆渡(7000年前の水田遺跡)より低湿性は少ない。
 BC2000年ごろ、大洪水で滅亡。そこから北に逃れた人たちが、夏・殷文明を作ったという説もある。
 
●洞庭湖(p34)
 長江中流域、洞庭湖周辺は、最も早く稲作が確立したところ。彭頭山遺跡には、8000~9000年前の稲作遺跡がある。
 長江文明の五点セット……城壁、水田、祭祀の場、神殿、王宮。安田喜徳の命名。長江文明の原型。稲作と稲作儀礼は6000年ほど前にでき、5300年前に王によって政治と祭祀の場として形が整えられた。
 長江文明では、王は聖別した籾の配分者。稲作儀礼をして、きちんと聖別した稲籾を人々に分け与えた。軍備を司る草原型や、交易によって繁栄するオアシス型の王ではなく、農業がうまくいくように祈る司祭のような人だった。
 
●メソポタミアの収穫率(p41)
 メソポタミアでは、水は灌漑によってもたらされ、貴重なものだったので、きわめて丁寧にムギが作られた。BC2200年頃のウル第三王朝の場合、1粒の種子から70~80粒の収穫があった。産業革命頃のイギリスのムギは4~5粒。
 
●サゴヤシ(p81)
 東南アジア島嶼部の湿地林に生える。直径50~60cm、高さ10m。
 成木になると、幹に澱粉を蓄積する。普通のもので、1本から40kg、大きいものだと60kgくらい取れる。1Haあたり毎年50~60本の木が伐れるので、非常に高収量。
 サゴ・ルンダン……サゴ洗いで取り出した澱粉を、もう一度きれいに洗い、篩でふるうと、球状になる。布の上に広げて左右に振ると、小珠は磨かれ、硬くなる。これを浅い鍋に入れて3時間ほどかけてゆっくり炒る。すると、真珠にそっくりのサゴ・ルンダンが出来上がる。
 サゴ澱粉は、マレー人の主食であった。
 
●船のサイズ(p127)
 15世紀末、アジアにやってきたポルトガルの船は400トン程度。
 15世紀初頭、鄭和が大遠征に使った船は8000トン級だった。
 14世紀頃、南シナ海や東南アジアの海には1000トン・クラスのジャンクが活躍していた。しかし、小回りの利くポルトガルの軍艦が、図体がでかくて防御力を持たないジャンクを襲って略奪したので、アジアの船はその後、どんどん小さくなっていった。
 もともとアジアの海は平和で、大型船が無防備に交易活動を行っていた。
 
●五畜(p135)
 遊牧民は、5種類の家畜を飼育していた。すべて草場が違うので、数家族で組んで分業し、遊牧を行う。モンゴルでは、この組(小集団)を「ホタアイル」と呼ぶ。
 牛……食料として利用。春から秋までは草が多いので、乳をたくさん出すので、牛乳を利用。良い草地が必要。
 馬……騎乗用。移動と、放牧した家畜群の見張りに必要。良い草地が必要。
 羊、山羊……食用にするとともに、毛を利用して布やフェルトを作る。
 ラクダ……荷物運搬のトラック。テントや家具を運ばせる。粗悪な草地でも生きていける。
 
●チンギス・ハン(p141)
 最近の歴史学者たちは、従来のチンギス・ハン(チンギス・カン)の軍隊が猛烈に強く、残忍だったという考え方を改め始めている。
 武力による直接対決よりも、政治的な駆け引きで相手を味方に引き入れることが多かった。人間や分捕り品の分配を餌に、戦わずして味方を増やす。効率的に行うために、商人を多く利用。草原地帯には、商人ネットワークも形成されていた。
 シャーマンも味方をする。「天神はテムジンが皇帝になることを望んでいる」。草原社会では、シャーマンの宣託は大きな力であった。
 チンギス・ハンは、社会の仕組みを変える天才でもあった。部族や氏族の社会単位を解体し、1000戸からなる集団に組み替えた(千戸制の創設)。人々は、部族への帰属心よりも国への帰属心を持つようになった。
 
●ウイグル(p158)
 ウイグル人は、8世紀の中頃、突厥が衰えると、草原の覇者となった。約1世紀、典型的な騎馬民族国家を作った。
 840年頃、キルギス人の急襲を受けて崩壊し、天山山脈の北麓のビシュパリクに新しい国を建てた。天山山脈の南麓のオアシス地帯(タリム盆地)にも広がり出す。そして、オアシス農耕と交易を始めた。草原の民から、オアシスの民へと転身。
 
●中華世界(p163)
 中華世界は、森や草原や砂漠といった生態を基盤にした世界ではない。中華思想というイデオロギーでまとめられた世界。
 〔これはそのはじめは生態の境界に作られたいわば貿易会社のようなものであったと私は思っている。おそらく最初はペルシャかどこかのオアシス出身の商人が砂漠帯の東端に貿易会社をひらいた。有望な会社だったのだろう、すぐに草原出身の騎馬民も加わって共同経営を始めた。この会社経営にはのちには農民や森の民も加わった可能性もある。こうして貿易会社中華商会を育てていった。多民族の加わった会社だから、社是を決め、社内語も決めた。これが儒教と漢語である。この社是は、極めて巧妙にできていたものだから、会社は二〇〇〇年以上に渡って生き続けた。
 中華世界は社是で纏められた範囲だから、生態区のように安定した広がりを持つわけではない。会社が強力になったときには広がり、弱くなると縮む。しかも、本店と支店のような分節もしばしば起こる。現在の中華人民共和国は、本来の中華世界よりもかなり広い範囲を強権で抱え込んでいると見てよい。〕
 〔中華世界は、だから儒教と律令制で国をまとめるのだと決めた為政者の支配した範囲で、すぐれて政治的な範囲なのである。〕(p177)
 
●卵生神話(p186)
 古朝鮮の神話では、天から降りてきた神や霊気が人や動物と交わって最初の王を作る。ツングース系に典型的な始祖神話。熊を親に持つ檀君神話など。
 4世紀の三国時代になると、天孫降臨系の話に加えて、卵という要素がかかわってくる。
 卵生神話は、中国南部から東南アジアにかけて広く分布している。混沌の宇宙に生まれた最初の人間である盤古も、卵から生まれたと書かれている(『三五歴記』。3世紀の呉)。
 韓半島はその大部分がモンゴル・ツングース系の文化でおおわれているが、南端部には江南系、海洋系の文化が入っており、卵生神話が天孫降臨系の話に加わった。
 
●母子交合(p222)
 八丈島の最南端、丹娜婆の墓。八丈島の始祖伝説。
 昔、大津波が襲い、人はみな死んだ。妊婦1人だけが船の艫つかまって助かった。
 その後、女は産み落とした男の子と母子交合して子孫が増えた。
 母子交合から子孫が増えたという話は、オセアニアにはところどころにある。沖永良部にも。
 限界的な環境で生きる人たちの文化?
 
●縄文語(p226)
 崎山理の説。『日本語形成』三省堂、1990年。
 縄文語は、ツングース語とオーストロネシア語を話す人たちが出会ったときに生まれた混成語。5000年ほど前?
 ツングース語の文法の上にきわめて多くのオーストロネシア語の語彙が加わってできた。
 ツングース語の文法は主語、目的語、動詞の順に並び、現在の日本語の語順と同じ。
 ツングース系……もとは亜寒帯針葉樹林に住み、狩猟をした人たち。一部は温帯落葉広葉樹林にもおり、狩猟が中心だが、農耕も少し行った。
 オーストロネシア系……南の海民。東南アジアを中心に、東はイースター島、西はマダガスカルにまで分布。もともとは雲南省のあたりにいたらしい。今から6000年ほど前に移動を開始し、広がった。中心部はスンダ陸棚やウォーレシアや南シナ海。
 
●稲作文化の基本要素(p230)
 稲作文化の基本要素は稲、竹、鵜飼、高床式建物。
 本来、竹は日本列島にはなかった。稲と対をなして列島に導入された。隼人が竹の筏船に竹の根と鵜を乗せて鹿児島あたりに上陸?
 大陸の照葉樹林帯には多い。照葉樹林の斜面脚部に広大な竹藪が広がることが多い。
 
●銅鐸文化圏(p238)
 銅鐸文化圏……淡路島を中心に、播磨灘、大阪湾、紀伊水道の周りと伊勢湾並びに遠州灘の周辺に広がっている。稲作がもっとも充実して広がったところ。稲作適地。江南との深いかかわり。
 銅剣文化圏……出雲、吉備。金属加工が卓越した地域。有名な馬の産地でもある。早くから半島系の人たちが入ってきて、独自の文化圏を作っていた。大陸の草原地帯との深い関り。
 銅矛文化圏……玄海灘、周防灘、豊後水道、土佐海岸。海上交易に中心をおく地域。銅矛は、航海祭祀と境界祭祀に用いられる。東シナ海や南シナ海との深いかかわり。
 
●天孫思想(p271)
 古墳時代になると、大王が現れ、巨大古墳が造られた。草原の騎馬民族の持つ天孫思想が日本に到来したことが影響?
 
●ダミー国家(p351)
 琉球は、福建の海民たちが仕立てた「国」だった?
 明の太祖洪武帝が1371年に海禁令を発布。倭寇や密貿易を抑え、外交交渉による華夷秩序の回復を目指した。チャンパ、ジャワ、高麗、日本、琉球に使者を派遣し、朝貢を促した。
 琉球に対して、特別の優遇策を取った。洪武・永楽年間に、海船30隻を与え、朝貢業務を行う中国人居留地の久米村を作った。久米村は、1392年に明朝から閩人三十六姓を下賜されたのが始まり。
 海禁令により、一般海民の交易活動は一切禁止。閩の海商たちは、朝貢貿易を行うため、「琉球国」をでっち上げた。
 
●隠岐島コミューン伝説(p398)
 松本健一『隠岐島コミューン伝説』河出書房新社、1994年。
 幕末、日本の近海に外国の船が出没するようになった。海防のため、隠岐では、480人の農兵が作られた。
 隠岐の庄屋や神官たちは、武芸を教える「文武館」の設置を藩に嘆願した。しかし、歎願は却下され、「武芸差留め」の布告が出された。郡代が島民を信用せず、これ以上農民たちに武器を持たせると危険だと判断したため。
 怒った農民たちは、「世は天朝御料になったのだから、旧藩の役人たちは早々にこの地を退去してほしい、島は自分たちで守る」と、松江藩の郡代を島から追い出した。慶応4年(明治元年)。
 農民たちは、自治政府、コミューンを作った。農民たち、海民たちの危機意識。
 しかし、新政府からの指示で松江藩が鉄砲隊を島に送り込み、コミューンは81日で終わった。
 
●三種の人(p402)
 日本には、三系統の人が共存している。
 オーストロネシア系の海民、ツングース系の内陸民、水稲耕作民。
 
(2017/11/12)KG
 
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いま知っておきたい天皇と皇室 気になる動向と素朴な疑問に答える本
 [歴史・地理・民俗]

いま知っておきたい天皇と皇室: 気になる動向と素朴な疑問に答える本
 
山下晋司/著
出版社名:河出書房新社
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-309-02566-7
税込価格:1,512円
頁数・縦:199p・19cm
 
 
 知られざる天皇と皇室の真の姿を、かつて宮内庁長官官房総務課報道室に勤務していたジャーナリストが語る。
 
【目次】
1 「天皇の退位」をめぐって浮上した重大な課題とは
2 天皇と皇室を支える「しくみ」の基礎知識
3 「天皇のお仕事」はなぜ忙しくなったのか
4 「皇室の国際親善」の本当の役割とは
5 新聞・テレビではわからない「宮内庁と皇居」の内側
6 皇室の知られざる「プライベート」を拝見
7 天皇と日本の未来のために「残された問題」とは
 
【著者】
山下 晋司 (ヤマシタ シンジ)  
 1956年、大阪府生まれ。関西大学卒。皇室ジャーナリスト。23年間にわたり宮内庁に勤務、おもに報道室で、宮内記者会をはじめとする報道機関対応を担当した。2001年に退職した後は『皇室手帖』編集長などを務め、現在はBSジャパン『皇室の窓』の監修ほか、皇室解説の第一人者としてテレビ、新聞ほか各種メディアで活躍中。
 
【抜書】
●泉湧寺(p67)
 泉湧寺(せんにゅうじ)は、皇室の菩提寺。JR奈良線・京阪本線の東福寺駅が最寄り駅。
 歴代天皇の位牌がある。
 「御寺(みてら)泉湧寺」という言い方をする。
 全国には、陵(天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墓)が188、墓(その他の皇族の墓)が554、点在している。北は山形県羽黒山、南は鹿児島。神代三陵のうち、ウガヤフキアエズノミコトの吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)が大隅半島の鹿屋市にある。
 
●プリンタ(p89)
 今上天皇は、自分で式典のお言葉の原稿を書く。パソコンを使用。プリンタも持っていて、推敲のための印刷には裏紙を使う。
 
●稲作と養蚕(p100)
 田植えと稲刈りを始めたのは、昭和天皇。昭和2年(1927年)、お住いの赤坂離宮に田んぼを作る。「農民と同じ苦労と収穫の喜びを味わいたい」。農業の奨励。
 今上天皇はさらに籾蒔きを追加。
 収穫された米は、神饌として、新嘗祭や神嘗祭のときに宮中や伊勢神宮にお供えされる。
 皇居内の紅葉山御養蚕所では蚕を飼っている。昭憲皇太后が始めた。皇后の活動。産業奨励。
 
●宮内庁御用達(p159)
 明治時代に、国産の品質の高い製品に「お墨付き」を与えるためもあって「宮内庁御用達」の制度が作られたが、昭和24年(1949年)をもって廃止になった。
 最後に出した御用達の有効期限は5年(つまり昭和29年)だったが、現在も「宮内省御用達」の看板を掲げる業者がある。宮内庁は、特に問題のない限り、黙認している。
 
●民主主義(p191)
〔 国民感情というものは、制度云々よりも、天皇や皇族方のご活動を見ることで生まれるものです。
 陛下のご活動に接した国民が陛下を尊敬し、熱烈に歓迎する、その歓迎ぶりが陛下のモチベーションになる。このいい関係で成り立ってこそ、民主主義下の象徴天皇制度は維持されていくのだと思います。〕
 
(2017/11/4)KG
 
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名字でわかるあなたのルーツ 佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺のヒミツ
 [歴史・地理・民俗]

名字でわかる あなたのルーツ: 佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺のヒミツ  
森岡浩/著
出版社名:小学館
出版年月:2017年7月
ISBNコード:978-4-09-379892-1
税込価格:1,296円
頁数・縦:223p・19cm
 
 
 日本人の名字に関する蘊蓄話。
 
【目次】
序章 名字のルーツを探る
 名字はいつからあるか
 古代からあるのは氏や姓
  ほか
第1章 由来で探るルーツ
 地名に由来する名字
 ルーツが1か所の「渡辺」と「佐々木」
  ほか
第2章 先祖で探るルーツ
 姓を使用している名字
 武蔵七党の名字
  ほか
第3章 分布で探るルーツ
 ネット上のランキングの盲点
 東西の境目
  ほか
第4章 ルーツ探しの彼方に
 日本人の名字とは
 名字と漢字の問題
  ほか
 
【著者】
森岡 浩 (モリオカ ヒロシ)
 1961年、高知県生まれ。早稲田大学在学中に独学で姓氏研究を始め、文献調査に加えてフィールドワークや統計、実証的手法を用いて多くの発見、成果を生んだ。
 
【抜書】
●名つけ帳(p18)
 最も古い農民の名字の記録は、和歌山県紀の川町粉河の王子神社に伝わる「名つけ帳」。男の子が生まれると、翌年の正月11日に王子神社に宮参りをする。その時、神社では宝蔵庫の中にしまってある箱から名つけ帳を取り出し、新しく誕生した子の名前を記す。名字も書かれている。
 室町時代の文明10年(1478年)から記帳が始まっており、途切れることなく現在まで続いている。長さは70mを超える。
 現在でも同地にある名字が、室町時代には生まれていた。
 
●鈴木(p48)
 鈴木の由来……刈り取った稲は、田んぼに積み上げて乾燥させる。紀伊半島では、中心に長い心棒のある独特の形に積み上げ、これを方言で「すすき」「すずき」と呼ぶ。
 古来、熊野では神官が共通の名字として「鈴木」を名乗っていた。鎌倉時代以降、朝廷の力が弱まると、鈴木一族は東日本各地に出向き、その地に熊野神社を建立して住み着き、信仰を広めた。
 
●村、町(p49)
 江戸時代、農民の集落を「村」「郷」、商人の集落を「町」といった。
 漁村は「浦」とも呼ばれた。
 
●つる(p50)
 九州では、細川の流れを「つる」という。
 南部では「水流」、北部では「津留」という字を当てることが多い。
 
●藤(p63)
 「藤」が上に付く名字は、植物の藤に因むものが多い。
 ただし、この藤は、藤棚で育てられているフジではなく、山間部から里山にかけて自生するツル植物。古くは、クズなどツル植物全体を「フジ」と呼んでいた。
 藤棚のフジは、ノダフジという、近代以降に広まった観賞用の品種。
 
●名字の由来(p98)
 主なものは7つ。
 地名、地形、方位、職業、藤家、拝領、僧侶。
 
●東北地方(p102)
 中世、武士たちは支配する地名を名字とすることが多く、所領が変わるたびに名字を変えていた。
 しかし、東北では、中央との結びつきを明示するために、あえて変えないことが多かった。平安中期以降地方官僚となった「~藤」を名乗る一族は、東北では地名を名乗ることなく、そのまま「~藤」名字を名乗り続けている。
 
●利仁流(p118)
 藤原利仁……上野介や上総介を経て、延喜15年(915年)、鎮守府将軍となった。伝説的な人物で、『今昔物語』に、利仁が藤原基経に仕える「五位」という男に大量の芋粥を馳走した話が紹介されている。芥川龍之介「芋粥」の原典。
 『尊卑分脈』(南北朝時代に成立)には、「海路を飛ぶこと翅在るが如し。人おもえらく、神の化せし人かと」と記されている。
 利仁流の嫡流は、斎藤氏。利仁の子の叙用(のぶもち)が伊勢神宮に奉仕する斎宮頭となったことから、斎藤氏を称した。
 斎藤氏の一族は各地に広がる。なかでも加賀斎藤、疋田斎藤、河合斎藤の三つの大きな流れがある。河合斎藤氏からは美濃斎藤氏が出る。斎藤道三の家系。
 後藤氏、新藤氏も同族。
 
●越智(p141)
 伊予の地方豪族。饒速日命の子孫で、越智国造となった小致命(おちのみこと)の末裔と伝える。
 大化の改新以降、伊予国の越智郡司を務めた。以後、土着の士族として中予地方各地に広がる。
 同族では河野氏が台頭。河野好方が天慶4年(941年)の藤原純友の乱の鎮圧に活躍、以後、水軍を擁して中予地方に勢力をふるった。治承4年(1180年)に源頼朝が挙兵すると、通清・通信親子がいち早く呼応して伊予で挙兵。鎌倉幕府の成立後は、幕府の御家人となる。室町時代には伊予守護も世襲している。
 
(2017/10/29)KG
 
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忘れられた黒船 アメリカ北太平洋戦略と日本開国
 [歴史・地理・民俗]

忘れられた黒船 アメリカ北太平洋戦略と日本開国 (講談社選書メチエ) [ 後藤 敦史 ]
 
後藤敦史/著
出版社名:講談社(講談社選書メチエ 651)
出版年月:2017年6月
ISBNコード:978-4-06-258654-2
税込価格:1,998円
頁数・縦:299p・19cm
 
 
 「黒船」ペリーと同時期に、米清の大圏航路を開拓すべく、北太平洋の測量に出発したもう一つの「黒船」艦隊の顛末を描く。
 
【目次】
序章 ペリー来航史観の陥穽
第1章 十八~十九世紀の太平洋世界
第2章 海原への「明白な天命」
第3章 わきあがる対日遠征論
第4章 もうひとつのアメリカ艦隊
第5章 ペリーの影
第6章 いよいよ日本へ
第7章 ロジャーズ来航
第8章 歴史の波間に
終章 太平洋からみる日本開国
 
【著者】
後藤 敦史 (ゴトウ アツシ)
 1982年福岡県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学。日本学術振興会特別研究員、大阪観光大学国際交流学部専任講師を経て、京都橘大学文学部准教授。博士(文学)。専攻は幕末政治・外交史。
 
【抜書】
●レディ・ワシントン号(p26)
 1791年、紀伊大島に2隻のアメリカ船、レディ・ワシントン号とグレイス号が来航した。ラッコの毛皮の交易船。歴史上初の日米交渉。
 レディ・ワシントン号の船長ジョン・ケンドリックは、コロンビア号に乗って北太平洋海域でラッコ漁をし、中国に寄港。コロンビア号の船長が裏切り、先にボストンへ帰還。
 毛皮の交易を試みるため、日本に寄港。しかし、日本で毛皮の取引はできないと知り、来意を告げないまま、10日ほどの滞在で日本を離れる。
 
●ラナルド・マクドナルド(p45)
 1848年6月、捕鯨船に乗っていたマクドナルドは、単身で利尻島へ上陸。ボートでの漂着を装って日本への上陸を試みる。
 オレゴン州生まれのマクドナルドは、母親が先住民チヌーク族のメイティ(混血民)。差別に絶望し、日本をチヌーク族の祖先の地と考え、日本行きを決意した。
 松前藩により長崎に護送され、長崎のオランダ通詞たちに英語を教える。日本初の英語教師。
 1849年4月、ラゴダ号の旧船員15名とともに、アメリカ東インド艦隊に所属するプレブル号にて帰国。
 
●太平洋探検隊(p51)
 1838年4月、海軍大尉チャールズ・ウィルクスを司令長官のもと、アメリカの太平洋探検隊がヴァージニア州ノーフォークを出航。42年に帰港。
 ヴィンセンス号を旗艦とし、ピーコック号、ポーパス号、シー・ガル号、フライング・フィッシュ号、リリーフ号の計6隻。アメリカが太平洋探検における遅れを取り戻すべく、国家的威信をかけて艦隊を派遣。
 
●北太平洋測量艦隊(p117)
 司令長官カドワレイダー・リンゴールド。ウィルクスの探検隊にも参加。
 旗艦はヴィンセンス号……700トン、スループ船、200人乗艦。1846年、ジェームズ・ビッドルが浦賀を訪問した際に引き連れていた艦船。
 ジョン・ハンコック号……蒸気船、70人乗艦、ジョン・ロジャーズ艦長(2代目の司令長官)。
 ジョン・ケネディ号……補給艦。ニューヨークで購入された350トンの商船。40人の乗艦。
 ポーパス号……ブリッグ艦、224トン、70人乗艦。
 フェニモア・クーパー号……スクーナー艦、95トン、20人乗艦。
 1853年6月11日、ノーフォーク出航。
 1854年11月16日、ヴィンセンス号が那覇に入港。水先案内人の派遣もなく、要求した食料の提供も十分に行われなかった。ペリーが締結した琉米協約が守られていないことを知る。
 同12月28日、鹿児島湾の山川へ停泊。立ち退きを求められる。(p176)
 1855年5月13日(安政2年3月27日)、ヴィンセンス号、ハンコック号が下田入港。幕府に測量の許可を求めるが、即答を得られず、5か月後に再訪する旨を伝えて出航。幕府は、不許可の方針を出すが、ロジャーズらの再訪はなかった。(p202)
 
(2017/9/17)KG
 
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イノベーターたちの日本史 近代日本の創造的対応
 [歴史・地理・民俗]

イノベーターたちの日本史 近代日本の創造的対応 [ 米倉 誠一郎 ]
 
米倉誠一郎/著
出版社名:東洋経済新報社
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-492-37120-6
税込価格:2,160円
頁数・縦:313p・20cm
  
 
 幕末から明治期において、日本の発展を促した政府、企業家たちの創造的対応にフォーカスして近代史を顧みる。
 
【目次】
第1章 近代の覚醒と高島秋帆
第2章 維新官僚の創造的対応―大隈重信志士から官僚へ
第3章 明治政府の創造的対応―身分を資本へ
第4章 士族たちの創造的対応―ザ・サムライカンパニーの登場
第5章 創造的対応としての財閥―企業家が創り出した三井と三菱
第6章 科学者たちの創造的対応―知識ベースの産業立国
終章 近代日本の創造的対応を振り返る
 
【著者】
米倉 誠一郎 (ヨネクラ セイイチロウ)
 1953年東京都生まれ。一橋大学社会学部、経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。ハーバード大学歴史学博士号取得(Ph.D.)。1995年一橋大学商学部産業経営研究所教授、1997年より同大学イノベーション研究センター教授。2012~14年はプレトリア大学GIBS日本研究センター所長を兼務。2017年4月より一橋大学イノベーション研究センター特任教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授。
 
【抜書】
●風説書(p21)
 幕府は、風説書という形でオランダ、清、朝鮮の情報を仕入れていた。
 『和蘭風説書』……対日貿易の見返りとして、オランダ商館長より、江戸幕府に提出された。世界情報の報告書。オランダ語の原文も提出させた。1641~1854年、毎年提出された。
 『別段風説書』……アヘン戦争(1840~1842年)以降、『和蘭風説書』に加えて、より詳細な世界報告を要求した。長崎で翻訳されたもの、江戸で翻訳されたもの、原文の3種類が残っている。
 『唐国風説書』……清国との貿易によって、清国側によるアヘン戦争の顛末も入手。
 幕府は、アヘン戦争に関する情報を単一の情報源に頼らず、三つの、しかも中国とオランダという対極的な複数のソースから仕入れていた。
 
●通商和平(p41)
 開国に対する高島秋帆の考え方。1855年「海外交易の建議(嘉永の上書)」による。
 ① 日本のような小国は海外貿易によって国を建てることが重要であり、有用なものを無用のもので替える、というしたたかな交易法である。
 ② また、海外の良いものは積極的に取り入れて学び、自国の足りない部分を補完すべきである。
 
●自己矛盾(p77)
〔 明治維新は、封建体制の末端に所属した下級士族によって主導された点で、ブルジョワ革命とは異なる。封建体制を打倒したその主体が、打倒すべき封建制の一部だったからである。したがって、明治維新政権とは近代化が進むにつれ、いずれ自己否定をせざるを得ないという自己矛盾をはらんだ体制であった。〕
 明治維新は、先進的な下級士族に主導された「ブルジョワ革命」と、尊王攘夷を掲げた「絶対主義革命」の両者が同時並行した日本独自の革命形態。
 
●金禄公債証書(p85)
 幕藩体制下で支給されていた俸禄(年俸)を一定の計算式で数年分に合算し、その総額を通常年7%の利付公債として士族に支給した。
 大名とその家臣団約19万世帯が対象。
 秩禄処分が、封建体制における身分の「有償」撤廃であった。イノベーティブな点は、旧士族の特権と身分を一時金で買い取ったこと。
  
 ●笠井順八(p94)
 1835-1919年。旧萩藩士、小野田セメントの創業者。下級士族有田甚平の三男として生まれ、7歳の時に笠井英之進の養子となる。
 1848年、再建された藩校明倫館に入学、藩校席次第2位の好成績を修める。しかし、「身分が低い」ことを理由に、成績上位3名による藩主へのご進講から外される。憤りを覚え、自主退学。独学で学問を続ける。
 ペリー来航後、長州藩は相模湾三浦岬の沿岸線警備を担当することになり、笠井も江戸に上る。江戸藩邸で財務経理官として2年ほど勤務。
 維新後の藩政改革で、会計局庶務方助役となり、旧藩財政の残務整理と藩札整理に当たる。
 1880年(明治13年)、士族13名の同志を募り、セメント製造会社を設立する。「士族就産金拝借願」を山口県に提出し、士族授産金を受ける。その担保として士族たちに発行された七分利付金禄公債を抵当に差し出す。資本金88,000円の株式会社を発足。金禄公債額面50円に対して1株を発行。
 中下級士族たちの「士族の士族による士族のため」の創業。
 株式会社の形態……現金出資ではなく、公債出資という変則形態。実際には、公債所有権は出資士族に残したまま、それを担保に借入金をして資本調達をする形をとる。その結果、公債から生じる年7%の利子は株主に配当され、事業が継続している限りは公債からの収入が保証される。
 
●陸軍大阪砲兵工廠(p107)
 小野田セメントは、工場建設において、主要機器は陸軍大阪砲兵工廠に発注した。発注にあたり、工部省赤羽工作分局、海軍築地兵器製造所、工部省兵庫造船局にも見積もりを出したが、大阪砲兵工廠が最も安価であった。
 大阪砲兵工廠は、当時、多数の民間用蒸気機械や旋盤などを製造していた。発展していなかった民間の機械生産を代替。日本の工業化を切り開く先達となった。
 
●2500人(p124)
 第二次世界大戦後、GHQが実行した「経済人パージ」において、第一線から追放された企業のトップ経営者は、財閥傘下企業約500社の2,500人近くにのぼった。
 
●三井高利(p128)
 三井の創業者。1622年(元和8年)、伊勢国松坂の地方商人の四男として生まれた。
 1673年(延宝元年)、50歳の時に、江戸に出て越後屋と呼ばれる呉服店を開業した。
 このころ、江戸の伝統的な呉服屋は、基本的に定価をつけず、馴染みの客を店内に呼び込み、個別交渉による掛け売りで商売を行っていた。顧客は信用のある武士や豪商。
 越後屋は、「店前売り」と「現金安売り掛け値なし」の定価販売によって中産階級の人気を博した。開業10年後の1683年には、大規模な両替業も営むようになる。呉服店、両替商とも幕府御用達となる。
 高利死後に三井家を継承した三井高平は、高利の残した膨大な遺産を分割せず、共有財産として相続管理することを決めた。1710年、「三井大元方」(ある種の持ち株会社)を設置。9つの家族(のちに11家族)から構成され、呉服屋や両替商の経営を共同管理し、事業ばかりか家族のあり方も厳しく統制する組織だった。「三井家家憲」も制定。年に2度、事業からの収益を各家の持ち分に応じて配当。
 
●三野村利左エ門(p131)
 三井は、幕末、創業以来初めて、三野村利左エ門(1821-77、当時は美野川利八。出羽庄内藩出身)という新興商人を番頭に引き抜いた。
 三野村は、明治政府が樹立されると、維新政府への財政支援を開始した。まず、太政官札の流通を請け負う。ほかにも、政府の金融、両替、貿易における重要な仕事を次々に請け負う。大蔵省(会計官)の為替方御用、貿易商社代表、為替会社代表、伊豆七島産物売り捌き、北海道物産販売促進、など。
 1876年、三井銀行設立。その際、不振だった呉服業を分離。三越家という分家を創設し、そこに譲渡。三井組を解散する。資本と経営の分離を促す。
 この改革を通じて、三野村は三井大元方総括に任命され、三井家家政についての全権を託された。
 
●三菱商船学校(p179)
 1875年11月、隅田川河口の霊岸島に設立。明治政府は、三菱に船舶を譲渡する条件として、船員養成学校の設立を命じた。台湾出兵で、船舶運航技術の重要性を認識したため。
 1888年、東京商船学校として三菱から独立。
 
●多角化戦略(p195)
〔 財閥とは、近代化初期に生じる経営資源(特に人材)の希少性に俊敏に対応し、その多重利用を通じて事業の多角化を達成した組織的イノベーションの結果であった。したがって、その中心業務は政府の財政機能を補完するような金融・通商・海上運輸業務、あるいは資源関連の鉱工業や官営工場によって移植された事業の払い下げ分野に集中した。
 しかし、日本の近代化は、いわゆる財閥が担った金融・海運産業、鉱工業部門や移植産業に続いて、輸入代替を目標に国産化された産業あるいは知識ベースで創出された新産業が出現することでさらに進展した。旧財閥の経済活動の限界を埋め、重化学工業部門における新産業創出を担ったのが、いわゆる新興財閥であった。〕
 
●芋蔓式経営(p258)
 理研コンツェルンは、大河内正敏の主導のもと、芋蔓式経営を行った。
 芋蔓式経営……大河内が、ドイツのアルコール製造業者のビジネスモデルをもとに考案した経営手法。ドイツのアルコールは、芋を原料にしている。芋農家を後方統合し、芋の副産物として出る蔓や葉を飼料として養豚業を営む。さらに、豚を加工して酒のつまみとなるソーセージを作る。本業のアルコール製造と補完関係にある農業、養豚業、食品加工業といった具合に多角化していくビジネスモデル。
 
(2017/9/16)KG
 
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海賊の世界史 古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで
 [歴史・地理・民俗]

海賊の世界史 - 古代ギリシアから大航海時代、現代ソマリアまで (中公新書)
 
桃井治郎/著
出版社名:中央公論新社(中公新書 2442)
出版年月:2017年7月
ISBNコード:978-4-12-102442-8
税込価格:929円
頁数・縦:270p・18cm
 
 
 海賊の活躍を描く西洋史。
 ローマのキケロは「人類の敵」と称したらしいが、海賊たちは単なる略奪者ではなく、虐げられた者にとっては英雄でもあり、時に国家に利益をもたらす愛国者(?)でもあった。そんな複雑な存在である海賊たちの歴史をたどる。
 
【目次】
第1章 海賊のはじまり
第2章 海賊の再興
第3章 二つの帝国
第4章 黄金期の海賊
第5章 海賊の終焉
第6章 現代と海賊
 
【著者】
桃井 治郎 (モモイ ジロウ)
 1971年、神奈川県に生まれる。筑波大学第三学群社会工学類卒業、中部大学大学院国際関係学研究科中退。博士(国際関係学)。中部高等学術研究所研究員、在アルジェリア日本国大使館専門調査員などを経て、中部大学国際関係学部准教授。専攻・国際関係史、マグレブ地域研究、平和学。
 
【抜書】
●カエサル(p20)
 ユリウス・カエサルは、ロードス島での遊学を終えてローマに戻る途中、キリキア(トルコ南部海岸)海賊に囚われた。
 海賊から身代金20タラントンを要求されると、お前たちは一体だれを捕えたのか知らずにいるのだとあざ笑い、自分の方から50タラントンやると約束した。金の調達のために、自分の部下をそれぞれ各地の町々につかわした。
 側近の友一人と従者二人とともに、38日間、海賊の中で過ごす。
 自分が眠ろうとするたびに人をやって連中に黙るように命じた。
 海賊と一緒にゲームを楽しんだり、ともに体育訓練をしたりした。
 詩や演説をいくつか物し、海賊を聴衆に仕立てが、褒めない者には面と向かって無学盲目の輩とか野蛮人めと叫び、笑いながら、しばり首にするぞと脅すこともしばしばであった。しかし、相手は面白がって、この遠慮のない言葉を一種の無邪気な冗談程度に考えていた。
 部下が調達してきた身代金と引き換えに解放されたが、その後、ローマにもどらず近隣の港に出向いて船団を編成すると、海賊の停泊地に向かい、キリキア海賊たちを一網打尽にする。「しばり首にするぞ」という予告通り、磔にして処刑してしまう。
 『プルタルコス英雄伝』「カエサル」による、青年カエサルの武勇伝。
 
●ヴァンダル族(p40)
 北アフリカ最大の都市カルタゴを征服したヴァンダル族のガイセリック王は、440年、数万の兵を率いて、シチリア島やサルデーニャ島、南イタリア各地を襲撃する。
 455年には、14日間にわたってローマ掠奪を行う。
 ヴァンダルあるいはヴァンダリズムという言葉は、文化や芸術の破壊者あるいは破壊行為という意味の単語として定着することになった。
 
●二大帝国(p78)
 1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープル征服、ビザンツ帝国滅亡。
 1492年、スペイン帝国がグラナダを陥落、レコンキスタ完遂。
 地中海の東西に、イスラム教とキリスト教の二大帝国が並び立つ。
 
●バルバロッサ兄弟(p83)
 バルバロッサ(赤ひげ)兄弟ウルージとハイルッディンは、メフメト2世に征服されたレスボス島に生まれる。父親はムスリム商人(もしくはキリスト教徒の貧しい陶工?)だった。稼ぎのいい海賊稼業に身を投じる。
 アルジェを占拠。
 兄のウルージの死後、ハイルッディンは、スペイン帝国と対峙するために、オスマン帝国にアルジェを属州として差し出し、アルジェ総督となる。
 1534年、スレイマン1世はハイルッディンにオスマン艦隊の整備を命じ、北アフリカ総督に昇格させる。チュニス攻略。
 しかし、ジェノヴァ出身のアンドレア・ドーリアの指揮するスペイン艦隊にチュニスを奪われる。
 チュニス再攻略のためにイスタンブールに赴いたハイルッディンに対して、スレイマン1世はオスマン帝国海軍の大提督に任命する。海賊から身を興し、大帝国の提督に上り詰める。イタリア南部の襲撃を命じられる。
 
●エスパニョーラ島(p139)
 1502年に、エスパニョーラ島に渡ったキリスト教の伝道師ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』。インディオは、すすんで食べ物を差し出したが……。
 「エスパニョーラ島は、先述のとおり、インディアスへ渡ったキリスト教徒が最初に足を踏み入れ、住民に甚大な害と破壊をもたらしたところであり、また、キリスト教徒がインディアスでまっさきに破壊し、壊滅させた場所でもある。
 そのエスパニョーラ島で、キリスト教徒はまずインディオから女性や子どもを奪ってかしずかせ、虐待し、さらに、インディオが額に汗水流して手に入れた食物を取り上げて食べてしまった。インディオは各自出来る範囲で、キリスト教徒にすすんで食物を差し出したが、彼らはそれだけでは満足しなかったのである。
  :
 じつに稀有なことだが、インディオが正当な理由と神の正義にもとづいて、時にキリスト教徒を数名、手にかけることがあった。すると、キリスト教徒はそれを口実に、インディオがキリスト教徒の生命をひとつ奪うごとに、その仕返しに一〇〇人のインディオを殺すべしという掟を定めたのである。」
 
●フランシス・ドレーク(p145)
 フランシス・ドレーク、1534年頃~96年。イギリスの海賊にして英雄。エリザベス女王も陰で援助していた。プリマス市長を務めたこともあり、プリマスの公園に銅像が立っている。
 スペインに対抗するため、パナマや南米の太平洋岸で略奪行為を働く。その航海にて、ゴールデン・ハインド号は、マザランに次いで人類史上2度目の世界周航を果たす。途中、ホーン岬と南極大陸との間のドレーク海峡を発見。
 ドレークの持ち帰った莫大な財宝は、イングランドの対外負債の返済とレヴァント会社の出資金となった。さらにレヴァント会社の収益から東インド会社が設立された。J・M・ケインズは、「(ドレーク遠征による収益が)イギリスの対外投資の基礎になった」と記す。〔そうなると、イギリスに始まる近代資本主義の基礎は海賊がつくったことになるのである。〕
 スペインとの海戦でも活躍、無敵艦隊(アルマダ)を破る。
 
●バッカニア(p157)
 バッカニア……カリブ海の海賊の呼称。
 もともと、エスパニョーラ島西部に入り込んだフランス人が、野生化していた牛や豚の狩猟を行って燻製肉を製造し、船などに売って生計を立てていた。現地で木製の燻製用網を意味する「ブーカン」という単語から、フランス語で「ブーカニエ」、イギリスで「バッカニア」と呼ばれるようなる。
 その後、彼らは海に進出し、スペイン船を襲う海賊となった。
 
●私掠(p157)
 16世紀以降の海賊行為は、海賊と私掠に分けることができる。
 私掠……狭義には、国王などから交戦国の領地や船舶を襲う許可状である私掠状を得た船が行う略奪行為。戦争行為の一環として位置づけられる。
 多くの場合、私掠状は海賊行為を正当化する名目に過ぎなかった。
 
(2017/9/2)KG
 
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世界文明史 人類の誕生から産業革命まで
 [歴史・地理・民俗]

世界文明史: 人類の誕生から産業革命まで
 
下田淳/著
出版社名:昭和堂
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-8122-1622-4
税込価格:2,592円
頁数・縦:288p・21cm
 
 
 著者による独自の人類文明史。「コア文明」という概念を梃子に、西欧中心の現代史観を是正しようという試みである。
 
【目次】
第Ⅰ部 文明の誕生と謎
 第1章 人類の誕生と拡散―「出アフリカ」から東西ユーラシア人へ
 第2章 文明成立の転換点―道具の飛躍的発展と農耕の発明
 第3章 古代最大の謎―シュメル人とは何者か
 
第Ⅱ部 文明の新たな定義「コア」
 第4章 ユーラシアの「コア文明」―中東・中国・インド
 第5章 アフリカとアメリカの「コア文明」―西アフリカ・メソアメリカ
 
第Ⅲ部 文明の媒介としての「移動民」
 第6章 ユーラシア・コア文明と騎馬遊牧民―陸上の道を制した東ユーラシア人
 第7章 インド洋交易とヨーロッパ―海上の道を制した西ユーラシア人
 
第Ⅳ部 文明と「高等宗教」
 第8章 中東コアの「高等宗教」―ユダヤ・キリスト教からイスラムへ
 第9章 インドコアの「高等宗教」―何でも呑み込むヒンドゥー教
 第10章 中国コアの「高等宗教」―儒教・道教・仏教が混淆した中国教
 
第Ⅴ部 新しい「コア文明」ヨーロッパ
 第11章 封建制社会とフランス革命―テクノロジーと資本主義の成立基盤
 第12章 産業革命と近現代文明―テクノロジーと資本主義の一体化へ
 
【著者】
下田 淳 (シモダ ジュン)
 1960年埼玉県生まれ。1983年青山学院大学文学部卒業。1990年ドイツ・トーリア大学歴史学科退学。現在、宇都宮大学教育学部教授。専門はドイツ宗教史、博士(歴史学)。
 
【抜書】
●道具の飛躍的発展(p34)
 文明の成立(約5千年前)以前に、4万~2万年前に道具の飛躍的発展があった。石器の多様化(細石器)、槍投器、骨角器、土器、など。
 4万年前からが、最終氷期で最も寒かった時期。特に2万1千~1万8千年前は、最も過酷な時期だった。この時期、ホモ・サピエンスは世界的規模で食糧不足に陥った。食料を効率的に捕え、調理するために道具を作る必要に迫られた。
 最終氷期末からの温暖化は、食料の増加をもたらした。その結果が、定住と戦争の出現。
 
●ヤンガー・ドリアス期(p35)
 約1万4500年前頃、最終氷期が終わった。
 1万2900年前に、「ヤンガー・ドリアス期」という亜氷期に逆戻り、1万1600年前頃、ようやく温暖化。1300年間、現在より、平均気温は7~8度低かった。
 ヤンガー・ドリアス期にムギ類と稲の栽培化が始まったとする説がある。
 最終氷期が終わり、技術革新と温暖化で食料が増えたので、人口が急増した。乱獲を生み、生態系を破壊。ヤンガー・ドリアスの亜氷期に食料が激減。これを乗り越えるために、農耕を始めざるを得なかった。
 シリア北西部の遺跡から、1万3000~1万2500年前の栽培化されたと見られるライ麦種子が見つかっている。
 温暖化して野生の食料が手に入るようになっても、面倒な農耕を継続させたのはなぜか? ムギ類や稲やイモ類などの「文明の基盤食」が美味しかったから。
 
●牧畜(p39)
 農耕とともに牧畜も始まった。
 最も早く家畜化されたのは犬。遺伝子の研究によると、遅くとも1万5千年前、中央アジア(中国より)と言われている。
 最初の牧畜がどこかは不明。鶏と豚は中国、牛はインド、山羊と羊は中東と考えられているが、先後は不明。
 
●四大文明(p58)
 最初に「古代四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)を唱えたのは、中国の梁啓超(1873-1929)。当時中国は、列強の半植民地状態だった。
 1899年大晦日、渡米途上の太平洋上で創った「二十世紀太平洋歌」のなかで、古代文明の祖国は「四つ」であり、中国、インド、エジプト、安息(アルケサス朝パルティア=小アジア)とした。
 文明を三期に分け、第一期「河流文明時代」、第二期「内海文明時代」(地中海、ペルシア湾、アラビア海、インド洋、黄海、渤海)、第三期「大洋文明時代」(太平洋、大西洋)とした。
 
●アルファベットの誕生(p66)
 シュメルの絵文字は「表語文字・音節文字」、ヒエログリフは「表語文字・アルファベット」だった。
 BC1500年頃、最古の「完全アルファベット」(音素のみからなる文字体系)が考案された。パレスチナの「原カナン文字」。ヒエログリフをもとに、カナン語をアルファベットだけで表記した。30字未満の子音字。
 少し遅れて、楔形文字でシリアのウガリット語を表記した「ウガリット文字」が登場。30字未満の子音字。
 原カナン文字 ⇒ フェニキア文字、アラム文字(ともに22子音字)
  フェニキア文字……ギリシャに伝わり、ヨーロッパのアルファベットの起源に。 ⇒ ギリシャ文字、ラテン文字、キリル文字
  アラム文字……中東コアで使用された。新バビロニア、アッシリア、ペルシア帝国の公用文字になる。旧約聖書もアラム文字で書かれた。 ⇒ ヘブライ文字、アラビア文字
 イエス・キリストは、アラム語で説教した。
 
●ザラスシュトラ(p73)
 ゾロアスター(ザラスシュトラ、ツァラトゥストラ)……BC12~BC9世紀の人物(研究者によって生没年が異なる)。ペルシア人が中央アジかイラン北部に留まっていたころ。古代ペルシア人の多神教信仰から独自の世界観を作り上げた。
 世界を善と悪の二つの原理の闘争の場と見た。
 善……光の神創造主アフラ・マズダー。ゾロアスター以前からペルシア人に信仰されていた。宇宙、人間、生命、秩序、正義、など。
 悪……大悪魔。暗黒の神アンラ・マンユ(アーリマン)。死、闇、邪悪、破壊、など。
 アフラ・マズラーは、天、水、大地、植物、人間、火などからなる世界を創造した。ここに悪魔が侵入し、世界を破壊した。こうして善悪の戦いが始まった。しかし、最後に救世主サオシュヤントが現れ、悪は滅ぼされる。
 人は、死後ハラ山の頂にかかる「チンワト橋」を通り、善人は天国へ行ける。悪人は、橋から落とされ地獄に行く。
 天国・地獄観は、ユダヤ教に影響を与え、キリスト教、イスラム教にも引き継がれる。
 
●マヤ諸語(p106)
 マヤ人の抵抗は、ヨーロッパによる植民地化後も続く。1697年マヤ最後の都市タヤサルが陥落したが、18・19世紀にもマヤ人の蜂起があった。メキシコ政府の統治を受け入れたのは20世紀後半。
 現在でも30のマヤ諸語が話されている。
 
●オアシスの道、草原の道(p125)
 中央アジには、北緯40度ラインの「オアシスの道」(シルクロード)と、北緯50度および支線の延びる60度ライン「草原の道」がある。各所で南北に連結。陸上の道。
 草原の道……東は現中国の北域・興安嶺から、西はハンガリー平原付近まで。
 
●ソグド人(p128)
 陸上の道の交易商人。ラクダを使ったキャラバン商人のイメージで捉えられているが、本来は騎馬遊牧民。サマルカンドを中心に、4~9世紀の陸上ユーラシア交易の担い手となった。中国とヨーロッパを結ぶ。
 安史の乱(755-763)の安禄山と史思明はソグド人。
 
●鮮卑卓抜部(p135)
 五胡(匈奴、鮮卑、羯、氐、羌)は、騎馬遊牧民族国家である。匈奴系騎馬遊牧民。
 五胡十六国時代(304-439年)は、鮮卑の一部である鮮卑卓抜部の北魏によって統一された。
 隋(581-618)、唐(618-907)も、鮮卑卓抜部出身の王朝。
 
●17世紀半ば(p161)
 17世紀半ばは、東ユーラシア系騎馬遊牧民国家が並び立っていた。すべて内陸国家。
 中国の清朝、インドのムガル朝、イランのサファヴィー朝、トルコのオスマン朝。
 ここに、海洋国家であるオランダとイギリスの東インド会社の入る隙ができた。17世紀後半から18世紀の時代に、伝統的インド洋交易構造が解体し、オランダとイギリスによる海上支配に切り替わった。18世紀末には、インド洋は完全にヨーロッパの海になった。しかし、ヨーロッパによるインド洋支配は、アメリカ大陸とは異なり、簡単に進んだわけではない。
 
●原初的宗教(p171)
 原初的宗教……シャーマニズム(降神術・降霊術)、アニミズム(万物に精霊・霊魂が宿るという信仰)、トーテミズム(ある氏族を特定の動植物に関係づける信仰)、自然の神々崇拝、祖先崇拝、など。
 高等宗教……死生観を体系的・論理的に説いている宗教。
 
●中国仏教(p214)
 中国仏教は、儒教の祖先崇拝と道教の祈祷を取り入れ、インド仏教とは違う代物となった。それが日本に伝わった。
 位牌……神主(しんしゅ)を祀る儒教の祖先崇拝(招魂再生儀式)を取り込んだ。
 盂蘭盆……盂蘭盆経という偽経。釈迦の弟子の目連(もくれん)という人物の母親が輪廻転生して「餓鬼」の世界で苦しむのを見た目連が、釈迦に問うたところ、今度の7月15日の高層の集いでご馳走を盂蘭盆(おそらく容器を指す)に載せ、供養すれば救われると言われ、そのようにしたら母親は救われた。ここから先祖を供養する「盂蘭盆」という仏教行事が行われるようになった。
 線香……寺院で線香を焚くのは、もともと魂を魄に取りつかせるための儒教儀式だった。葬儀も儒教から取り入れたもの。
 戒名……儒教の神主の文句に由来。
 墓……墓も墓参りも本来の仏教には不要。儒教の習慣。
 
●砲術師(p257)
 ヨーロッパでは、最初、大砲や火薬の製造法、砲弾の装填法などは、砲術ギルドによって堅く秘密とされていた。ギルドの成員である砲術師が雇われて戦場に駆り出されていた。砲術師は、民間の手工業者であり、特定の君主に属しているものではなかった。
 16世紀以降、砲術師に対する各君主からの需要は多く、火器市場は大きかった。
 砲兵隊が国家の正規軍となったのは、フランス革命後19世紀。
 
●近現代文明(p269)
〔 テクノロジーと資本主義がインターロックした近現代文明は、最後の文明なのだろうか? 地球の寿命はまだ続くであろう。「テクノロジー=資本主義インターロック文明」に終わりはあるのだろうか? どこに行くつくのだろうか? 私は、テクノロジーと資本主義が悪いといっているわけではない。際限なく続くレースに恐怖を覚えているだけである。この文明に終わりはないように思える。際限なくどこまでも続くような気がする。〕
 
(2017/8/13)KG
 
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世界神話入門
 [歴史・地理・民俗]

世界神話入門
 
篠田知和基/著
出版社名:勉誠出版
出版年月:2017年5月
ISBNコード:978-4-585-22165-4
税込価格:2,592円
頁数・縦:273p・19cm
 
 
【目次】
1 世界神話
 世界神話へむけて
 地域的諸問題
 共通神話の形成
2 世界の構造
 卵と鳥
 樹木
 大地
3 女神と至高神
 女神
 愛の神話
 復活神とトリックスター
 裁きの神と太陽の旅
4 悪の原理
 罪と罰
 動物変身と獣祖
 鍛冶神と狼男
 
【著者】
篠田 知和基 (シノダ チワキ)
 名古屋大学教授をへてHSU特任教授。甲南大学人間科学研究所客員研究員。比較神話学研究組織主宰。専門は仏文学、神話学、文化造形論。
 
【抜書】
●イギリス、トルコ、サウジアラビア(p49)
 神話のない国……イギリス、トルコ、サウジアラビア
 トルコとサウジアラビアは、イスラム化の過程で、全イスラム時代の伝承は否定され、抹殺された。
 イギリスは、ウェールズやアイルランドにはケルト神話が存在した。しかし、「イギリス文化圏」の政治的中心であるイングランドは、ローマの支配を直接受けており、ローマ文化、ローマ神話を継承した。
 
●五大古典神話(p56)
 エジプト、ギリシャ、メソポタミア、インド、中国
 
(2017/8/6)KG
 
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