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新編荒野に立つ虹
 [哲学・心理・宗教]

新編 荒野に立つ虹

渡辺京二/著
出版社名:弦書房
出版年月:2016年12月
ISBNコード:978-4-86329-141-6
税込価格:2,916円
頁数・縦:436p・20cm


 『アーリイモダンの夢』(弦書房)と、『渡辺京二評論集成 第3巻』『同第4巻』(葦書房)からいくつかの論文を集め、1冊にまとめた。「荒野に立つ虹」は、『評論集成 第3巻』のタイトルである。1982年から2012年にかけて、新聞・雑誌に掲載された論文・エッセーを収録している。
 渡辺は、「英語という共通語、民主主義、人権、スーパーマーケット、インターネットで成り立っているような人類共通文化など、私はご免蒙りたい」(p86)と述べているが、人類は、現代に新たに出現したものや文化、たとえばスーパーマーケットとか、インターネットなどを共有することにより、ひとつになることができないものだろうか。個々の民族、国家の特質を失わず、お互いに尊重しつつ。

【目次】
1 現代文明
 いま何が問われているのか
 ポストモダンの行方
  ほか
2 現代政治
 アジアの子から見たマルクス
 社会主義は何に敗れたか
  ほか
3 イヴァン・イリイチ
 イリイチ翻訳の弁
 イリイチを悼む
  ほか
4 日本早期近代
 逝きし世と現代
 徳川期理解の前提
  ほか

【著者】
渡辺 京二 (ワタナベ キョウジ)
 1930年、京都市生まれ。日本近代史家。

【抜書】
●阿部年晴(p88)
 文化人類学者。『アフリカ人の生活と伝統』(1982年 、「人間の世界歴史」第15巻、三省堂)、『アフリカの創世神話』(1965年、紀伊國屋書店)。
 アフリカが、「長く同じような技術水準と生産力の段階にとどまり、そこで可能な社会や文化の形態をさまざまに模索し、展開し、開花させて来たということは、停滞ではなく彼らの積極j的な達成なのであり、アフリカ大陸が人類史になした寄与とも呼べるものである」(『アフリカ人の生活と伝統』)。

●分益小作制(p130)
 ウォーラーステインは、マルクス主義の発展的世界史観を否定する。世界資本主義が成り立つうえでの絶対的必然的な要素は、世界が中核、半辺境、辺境の三つに分かれていることである。『史的システムとしての資本主義』。
 中核諸国では、自由なる労働者、つまり工場労働者や近代プロレタリアートが成立する。
 半辺境では、シェア・クロッパー、つまり「分益小作制」という労働形態をとる。日本の小作と似たような制度で、4が地主で6が小作というように、収穫の量を取り合う。
 辺境では、奴隷労働あるいは農奴的労働が行われている。

●平衡と矛盾(p156)
〔 毛沢東の最後の冒険は結局悲惨な失敗に終わりましたし、ホメイニ革命の帰結も今や明らかだと思います。どうしてそういう試みが失敗するかというと、人類の意識というものが矛盾から平衡へ、平衡から矛盾へと絶えず運動を繰り返して高次のものへ展開するダイナミクスを、政治的あるいは宗教的な固定化によって阻止しようとしているからです。西洋近代文明は様々な問題を含みつつも、根本的にはそういう人類の意識の展開のひとつのかたちに他ならず、それを政治的あるいは宗教的権力の強制によってせきとめようとするのは、最初から失敗を予定づけられた試みといわねばなりません。〕
 
(2017/3/4)KG

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キリスト教成立の謎を解く 改竄された新約聖書
 [哲学・心理・宗教]

キリスト教成立の謎を解く―改竄された新約聖書

バート・D・アーマン/著 津守京子/訳
出版社名:柏書房
出版年月:2010年10月
ISBNコード:978-4-7601-3872-2
税込価格:2,592円
頁数・縦:350p・20cm


 キリスト教の正典集『聖書』の「本文批評」研究の「常識」を開陳する書。
 〔本書で私が提示する見解は、学者の間ではごくごく標準的なものである。本書を読んで、一つでも新しい発見をする聖書学者がいるとは思えない。〕(p.32)
 異教徒にとって(と同時に一般のキリスト教徒にとっても)、目から鱗が落ちるような内容である。
 自らの宗教の聖典を批判的に論じる西洋人の精神とはいかなるものなのであろうか。キリスト教が民族固有の自然宗教ではないだけに、心の奥底に客観的な視点を残しているということなのだろうか。

【目次】
第1章 信仰に突きつけられた歴史的挑戦
第2章 矛盾に満ちた世界
第3章 山積する様々な見解
第4章 誰が聖書を書いたのか?
第5章 嘘つき、狂人あるいは主?歴史的なイエスを求めて
第6章 いかにして私たちは聖書を手に入れたのか
第7章 誰がキリスト教を発明したのか?
第8章 それでも信仰は可能か?

【著者】
アーマン,バート・D. (Ehrman, Bart D.)
 ノース・カロライナ大学教授。新約聖書・原始キリスト教史・イエス伝等の研究の第一人者。

津守 京子 (ツモリ キョウコ)
上智大学外国語学部英語学科、東京大学文学部歴史文化学科(西洋史学専修)卒業。

【抜書】
●共観福音書(p56)
 『マルコによる福音書』『マタイによる福音書』『ルカによる福音書』。これらは同じような内容を含む。
 『ヨハネによる福音書』は含まない。

●偽書(p138)
 新約聖書として編纂されている27の書のうち、作者名と実際の作者が一致することがほぼ確実なのは、以下の8つ。
 ・パウロ作『ローマの信徒への手紙』『コリントの信徒への手紙1』『同2』『ガラテヤの信徒への手紙』『フィリピの信徒への手紙』『テサロニケの信徒への手紙1』『フィレモンへの手紙』
 ・『ヨハネの黙示録』(ただし、ヨハネが何者なのかよく分かっていない)
 間違った作者名を与えられた書……『マタイによる福音書』、『ヨハネによる福音書』、『ヘブライ人への手紙』(ヨハネ)。
 同名異人(ホモニマス)の書……『ヤコブの手紙』。イエスの兄弟ヤコブの作ではない。
 偽典……他人の名を騙って書かれたもの。スーデピグラフィー。

●非類似性の基準(p184)
 ありそうもない話のほうが信憑性が高い。
 聖書では、自分たちの見解に沿うように伝承に手を加えたため、正典間で矛盾を抱えるようになった。初期キリスト教徒が好んだと思われるイエス像と一致しないイエスの口碑のほうが、信憑性が高い。
 たとえば、イエスはベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったことになっている。ベツレヘムはダビデの子が生まれることになっているので、イエスの出生地として都合がよい。しかし、おそらくナザレ出身。ガリラヤ地方のナザレという貧しい町に生まれたとしても、キリスト教の教義の発展には寄与しない。そうであるからこそ、たぶん、この誕生譚は歴史的に正しい。

●トリエント公会議(p224)
 27の書から成る正典は、16世紀に宗教改革に対抗して開かれたトリエント公会議において、初めて公会議において承認された。
 それまで〔正典は、ある時点ではっきりと採択されることなく、誰が決を採ったわけでもないのに、出現したのだ。〕

●アタナシウス(p257)
 初期キリスト教史において、初めて、現在の聖書を構成する27の書だけが記載された正典のリストがつくられたのは、367年。エジプトのアレクサンドリアの司教だったアタナシウス。39通目の「祝祭日に関する書簡」の中で、教会で読まれるべき書のリストを挙げた。
 5世紀以降、アタナシウスの正典は、大方の正統派教会の正典として定着する。
 ニケア公会議……アタナシウスは、その数十年前に開かれたニケア公会議(325年)の立役者。ローマ皇帝コンスタンティヌスにより招集された、最初の公会議。

●苦悩するメシア(p276)
 イエスが苦悩するメシアだという考えは、初期キリスト教徒が発明したものである。ユダヤ教にはない概念。
 パウロは、この発想が、ユダヤ人にとって最大の「つまずかせるもの」だったと指摘(『コリントの信徒への手紙1』1章23節)。しかし、このようなメシア像があまりに馬鹿げているからこそ、正当だとみなした。(『同』1章18-25節)。

●反ユダヤ思想(p285)
 反ユダヤ思想は、キリスト教が誕生するまで、ローマやギリシャや他のいかなる地域にも存在しなかった。ローマやギリシャの作家が、男児のペニスを傷つけたり、豚肉を食べなかったり、1週間のうち1日は怠けて仕事をしなかったり(安息日)といった慣習を、揶揄することはあったが、彼らはすべての異民族を馬鹿にしていた。

●垂直的二元論(p310)
 水平的二元論……もうじき終末が訪れ、神の国が実現するという、時間的な二元論。
 垂直的二元論……天上に神の国が存在するという空間的な二元論。
〔 キリスト教思想家は、終末が、待てど暮らせど来ないので、この時間軸を再定義し、軸を回転させ、水平的二元論にすることで、「終わり」を垂直線上に置きかえた。そうすることで、この世とあの世という、二つの領域が、今の時代とこれから訪れる時代という、二つの時代に取って代わった。もはや、肉体的復活は、議論されることも、信じられることもなくなった。いまや、重要なのは、この世における苦しみと、天国における歓喜なのだ。〕

(2017/2/28)KG

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世界のエリートが学んでいる教養としての日本哲学
 [哲学・心理・宗教]

世界のエリートが学んでいる教養としての日本哲学

小川仁志/著
出版社: PHP研究所
発売日: 2016/04/08
ファイル容量: 4.9MB
税込価格: 1,200円
ISBN:978-4-569-82983-8


 グローバルに活躍できる日本人となるために、知っておくべき「日本の哲学」。
 日本哲学の要諦と、大雑把な思想史をつかむことができるような内容となっている。

【目次】
第1章 日本哲学の歴史―時間の流れの中で整理せよ
 神道 / 仏教 / 武士道 / 儒学 / 国学 / 幕末の思想 / 啓蒙思想 / ナショナリズム / 京都学派 / 戦後民主主義 / 現代日本思想(ニューアカからゼロ年代まで)

第2章 日本哲学の思考法―ユニークに考えよ
 なる / 従う / 結ぶ / 無になる / 清める / 型をつくる / 一体化する / 信じる / 唱える / 一心不乱になる / 感じる / 間をとる / 頼る / 発散する / うつろう / 小さくする / みやびやかにする / 簡素化する / 凝る / 筋を通す

第3章 日本哲学の名著―古典を語れるようになれ
 『古事記』 /  『日本書紀』 / 『万葉集』 / 空海『十住心論』 / 紫式部『源氏物語』 / 吉田兼好『徒然草』 / 山本常朝『葉隠』 / 本居宣長『古事記伝』 / 新渡戸稲造『武士道』 / 福沢諭吉『学問のすゝめ』 / 西周『百一新論』 / 西田幾多郎『善の研究』 / 九鬼周造『偶然性の問題』 / 三木清『構想力の論理』 / 和辻哲郎『風土』 / 丸山眞男『日本の思想』 / 土居健郎『「甘え」の構造』 / 吉本隆明『共同幻想論』 / 柄谷行人『日本近代文学の起源』 / 東浩紀『動物化するポストモダン

第4章 日本哲学の必須人物―生き様を手本にせよ
 聖徳太子 /  空海 / 親鸞 / 道元 / 世阿弥 / 千利休 / 山本常朝 / 新渡戸稲造 / 二宮尊徳 / 本居宣長 / 佐久間象山 / 吉田松陰 / 内村鑑三 / 柳田國男 / 福沢諭吉 / 西周 / 西田幾多郎 / 田辺元 / 丸山眞男 / 吉本隆明
 
第5章 日本哲学の必須用語―言葉を思考のツールにせよ
 本地垂迹(神道) /  絶対他力(親鸞) / 只管打坐(道元) / 花(世阿弥) / 理気二元論(朱子学) / 先王の道(荻生徂徠) / 万人直耕(安藤昌益) / 石門心学(石田梅岩) / 報徳思想(二宮尊徳) / もののあはれ(本居宣長) / 和魂洋才(佐久間象山) / 草莽崛起(吉田松陰) / 天地公共の実理(横井小楠) / 二つのJ(内村鑑三) / 常民(柳田國男) / まれびと(折口信夫) / 絶対無(西田幾多郎) / 間柄(和辻哲郎) / いき(九鬼周造)  / 執拗低音(丸山眞男)

おわりに―西洋哲学+日本哲学=グローバル人材の思考力

【著者】
小川 仁志 (オガワ ヒトシ)
 1970年、京都府生まれ。哲学者・山口大学国際総合科学部准教授。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。米プリンストン大学客員研究員(2011年度)。商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践している。専門は公共哲学・政治哲学。最近は主に海外で日本哲学の研究発表を行っている。

【抜書】
●敬神崇儒
 敬神崇儒(けいしんすうじゅ)……江戸時代、水戸学が掲げた、神道と儒教を結合した理念。
 日本を神州とし、アマテラスを起源とする皇統の連続性を強調すると同時に、国学と儒学の理念との一致を説く。
 藩士が藩主に従うことが幕府への忠誠を意味し、それはひいては天皇に対する忠誠につながる。「尊王敬幕」。

●小さな物語
 1970年代と80年代とを分つもの……モダンの終わりとポストモダンの始まり。
 モダン……「大きな物語」を紡ぐこと。敗戦後の日本は、国家としての自立と経済発展を最大の目標にして突き進んできた。国家の大枠を作ることが最大の目標だった。
 「大きな物語」の追求は、政治的には安保の改定と全共闘の挫折で終焉。
 ポストモダン……「小さな物語」の追求。個々人がそれぞれ、自分の世界観を追求する状況。個々人がばらばらの目標を勝手に追い求める。ニューアカデミズム。

(2016/11/30)EB

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儒教とは何か 増補版
 [哲学・心理・宗教]

儒教とは何か 増補版 (中公新書)
加地伸行/著
出版社名 : 中央公論新社(中公新書 989)
出版年月 : 2015年11月
ISBNコード : 978-4-12-190989-3
税込価格 : 972円
頁数・縦 : 296p・18cm
 
 
■儒教のことがよく分かる入門書
 儒教というと、堅苦しい礼教性ばかりが強調され、宗教ではないと言い切る人さえいる。しかし、元来、儒教は死の問題にもかかわりを持つ、れっきとした宗教である。本書では、孔子以前の原儒の時代から連綿と続く宗教性に光をあてて解説する。重層的に儒教を理解するうえで格好の儒教論でもある。

【目次】
序章 儒教における死
第1章 儒教の宗教性
第2章 儒教文化圏
第3章 儒教の成立
第4章 経学の時代
第5章 儒教倫理
終章 儒教と現代と

【著者】
加地 伸行 (カジ ノブユキ)
 1936年(昭和11年)、大阪に生れる。1960年、京都大学文学部卒業。高野山大学、名古屋大学、大阪大学、同志社大学を経て、立命館大学フェロー、大阪大学名誉教授、文学博士。専攻、中国哲学史。

【抜書】
●本尊(p.ⅰ)
 仏式葬儀で、参列者が死者の柩や写真を拝むが、本来、これはおかしい。本堂中央に安置されている本尊を拝むべき。
 仏教では、仏を、ひいては法(のり:最高の教え)をこそ崇め拝むのが一番大切なこと。〔そして、崇め拝み奉った本尊の広大な恵みや余光を得て、導師(僧侶)に導かれて来世の幸福が得られることを、或いは成仏することを死者に期待すのであるから。〕
 柩や写真を拝むのは、儒教の影響。
 柩……儒教では、死者がベッドにあるとき「屍(し)」と言う。棺(かん)に納めた死者を「柩(ひつぎ)」と言う。
 仏教では、死者の肉体は単なる物体に過ぎない。死者は成仏したもの。お骨を拝んだりしない。
 儒教では、死者の肉体は、霊魂が再び戻ってきて依りつく可能性をもつものとされる。そのため、遺体をそのまま地中に葬り、墓を作る。お骨を重視する。

●殯(p.ⅳ)
 殯(もがり)……死から葬るまでの間、遺体を家に安置しておくこと。
 かつては、遺体を風葬し、肉が落ち白骨になるとそれを集めて墓に納めた。その期間が2年。3年(足掛け3年)の喪につながっている。日本の葬式における、遺体安置から出棺までの時間は、風葬の名残。

●夫婦別姓(p4)
 明治31年、民法制定。第746条に、「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」とある。欧米列強諸国風に法整備。
 明治3年、平民に苗字が許されてから民法制定まで、女性は生家の姓を名乗っていた。明治26年、内務省は、女性は結婚後も「生家の氏を称スル」ことを指令している。
 東アジアの夫婦別姓の根本理由は、儒教における「同姓不婚」の原則による。

●魂魄(p17)
 魂(こん)……精神の主宰者。
 魄(はく)……肉体の主宰者。
 魂・魄が一致し、融合している時を生きている状態とする。肉体の呼吸停止が始まると(脳死ではなく心臓死)、混合一致していた魂と魄が分離し、魂は天上に、魄は地下へといく。
 招魂復魄儀礼では、香をたいて天上の魂を、地に酒を注いで地下の魄を、尸(かたしろ)に招く。現在では、尸は木の板に姓名・肩書きなどを記したもので、神主(しんしゅ)または木主(ぼくしゅ)と言う。

●孝(p20)
 孝……①祖先の祭祀(招魂儀礼)、②父母への敬愛、③子孫を生むこと、この三つをひっくるめて「孝」とする。

●儒教史(p51、p244)
 (1)原儒時代……職業的シャーマン。礼教性と宗教性との混淆時代。
 (2)儒教成立時代……孔子の登場。儒教理論の基礎付け。礼教性と宗教性の二重構造の成立時代。
 (3)経学時代……孔子以後。基礎理論を発展。礼教性と宗教性の分裂とその進行。
 (4)儒教内面化時代……近・現代。家族理論中の礼教性を残しつつ、宗教性が東北アジア人の心の中に生きている。

●日本の忠(p85)
 鎌倉時代以降、日本では、武士階級(武官)が政権を握る。武官が文官向きの儒教的教養を身につけることになる。「孝」よりも「忠」を重視する傾向が見える。中国との儒教理解の相違。

●宗法制(p87)
 宗法制(そうほうせい)……孔子(BC552-BC479)の生きていた周王朝時代の制度。家は、大宗(たいそう:本家)と小宗(しょうそう:分家)とに分かれ、大宗の当主が小宗を率いる。
 大宗は永遠に不変だが、小宗は、その時の当主の兄弟が分家して作り、それぞれの小宗の当主となる。5代までを同族とし、それ以後は別のグループとする。

●少正卯暗殺(p99)
 孔子は、行政官僚を養成する塾を開いた。行政官僚の予備軍の集まり。当時の塾は、 高等教育をする場であり、政治的意見を主張する機関であり、師と弟子が熱い共同体的関係で結ばれた党派でもあった。
 少正卯(しょうせいぼう)も、魯国の都において塾を営み、相当な勢力があった。
 孔子が50歳を過ぎて魯国の閣僚になったとき、ライバルの少正卯をただちに暗殺している。おそらく、ライバルである少正卯の塾を解体するため。

●孟子、荀子(p100)
 孟子(BC385?-BC305?)……孔子の高弟、曽子(そうし)の系統。心の内省や礼の内容・目的を重んじた実践派・哲学派。人間の心にある良心を根拠に、性善説を唱える。
 荀子(BC335-BC255?)……子夏の系統。知識や礼の形式を重んじた文献派・学術派。人間の心は善とは限らない。良心という自律的なものではなく、礼に従うという他律的なものによって善になる。性悪説。

●君子儒、小人儒(p100)
 孔子によって原儒を脱し、儒教が成立した後、儒者は君子儒と小人儒に分かれる。
 君子儒……知識儒。考を基礎とする家族理論、その上に立つ政治理論について思考を進める。
 小人儒……祈祷師。原儒時代からの狂乱の祈祷や、葬儀・小さな諸儀礼の業者として生計を立てる。

●常識の肯定(p113)
 孔子の思想を一言で言うと、「常識の肯定」。
〔 例えば、すでに述べてきたように、「愛する」というとき、己に最も親しい人間、すなわち親を愛するという常識を第一とする。すると、「死を悲しむ」と言うとき、無関係な人間の死を悲しめるはずがない、もし悲しむとすれば、偽りだとし、己に親しい人間の死を悲しむ、という常識を第一とする。
 しかし、孔子は、人間は社会的生物であるという常識ももちろん肯定するから、その愛情や悲しみを〈形として〉表わし、共通の規則或いは慣行として守ろうとした。すなわち〈礼〉がその具体的表現である。儒教とは、人間の常識を形として(大小や数量など)表現することでもある。そして、この礼を守ることによって社会の秩序が成り立つと考えた。
 もちろん、礼は単なる形式ではない。本来は真情の真摯な表現である。〕

●推恩の令(p123)
 前漢王朝の郡国制において、高祖(劉邦)は、論功行賞の意味もあって、臣下に気前よく領土のバラ播きを行った。見かけは中央政権でありながら、諸侯・王の総計の領土や経済力は、中央政権を上回っていた。そのため、中央政権の言うことを聞かず、しょっちゅう反乱を起こした。
 中央政権は反乱を徹底的に鎮圧、地方における重要な高官は中央政府の派遣とした。
 武帝は、「推恩の令」を発布。諸侯・王の嫡子相続制を緩め、他の子弟にも分割相続することを認める。そのため、相続争いが起こり、諸侯・王の領土は分裂し、勢力は弱まっていった。 ⇒ 大共同体潰し

●古文尚書、今文尚書(p131)
 古文尚書……焚書坑儒の後、前漢の儒家はこの焚書事件を利用して、その時に壁に隠されていたテキストが出てきたと称し、世に『書経』の新テキストを出してきた。奇妙な古い字で書かれていたので、「古文尚書」と名付けた。
 今文尚書……焚書事件から比較的近い時期に、通用の文字に書き取った『書経』。
 古文尚書と今文尚書とでは、内容も分量も異なる。それぞれの学派に分かれて、異なる解釈や主張を展開。
 『誌経』『礼経』『易経』『春秋』に関しても、古文派、今文派に分かれ、激しく論争するようになる。
 古文には、偽作も多く含まれ、内容的には今文より新しいものがある。今文説では周王朝あたりのスケールの実情がモデルとなっているが、古文説では前漢帝国のスケールの状況を写し出している。

●五経博士(p152)
 武帝の時代、 建元5年(BC136年)、五経博士という官職がおかれた。儒教を国定の学問とした。
 五経博士制定により、儒教は前漢王朝への乗り込みに完全に成功した。

●宋学(p195)
 魏晋南北六朝時代から隋唐時代に続く6~700年間、儒教・道教・仏教三者鼎立の論争が続く。
 11世紀の宋代になって、儒教でも、宇宙・形而上学に弱かった点を補おうという動きが出てくる。 ⇒ 宋学
 宋学は、新儒教ともいわれる。最大の特徴は、従来の儒学理論体系に、宇宙論・形而上学を重ねたこと。
 中心人物は朱子(朱熹)。朱子学は、宋学の代名詞でもある。

●朱子学の体系(p196)
 ―――――――――――― 朱子学
 哲学性 形而上学(存在論) ↓
     ―――――――― ↓
     宇宙論
 ―――――――――――― ↓朱子学までの経学
 礼教性 政治論      ↓↓原始儒教
     ―――――――― ↓↓↓
     家族論       
 ―――――――――――― ↓↓↓
 宗教性 生命論としての孝
     ―――――――― ↓↓↓
       死の不安   ↓↓↓ -原儒
     ――――――――

●『小学』(p204)
 隋時代から科挙が始まり、宋代になると学校は受験勉強の機関となってしまう。
 本当に学問をしたい者が集まる私立学校(書院)ができるようになる。
 朱子、白鹿洞書院(はくろくどうしょいん)を経営。初等教育用教科書として、『小学』という本を弟子を使って作る。儒教の重要文献から重要なことばを抜き書きした文章など、略式の儒教概論。
 『小学』の後、四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)に進み、さらに五経(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋左氏伝』)へ。

(2016/10/8)KG

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天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔
 [哲学・心理・宗教]

天使とは何か キューピッド、キリスト、悪魔 (中公新書)

岡田温司/著
出版社名 : 中央公論新社(中公新書 2369)
出版年月 : 2016年3月
ISBNコード : 978-4-12-102369-8
税込価格 : 842円
頁数・縦 : 212p・18cm


 主にキリスト教にとっての天使を、西洋絵画素材にして論じる。

【目次】
第1章 異教の神々―天使とキューピッド
第2章 天からの使者として―天使とキリスト
第3章 歌え、奏でよ―天使と聖人
第4章 堕ちた天使のゆくえ―天使と悪魔
第5章 天使は死なない―天使と近代人

【著者】
岡田 温司 (オカダ アツシ)
 1954年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。京都大学大学院教授。

【抜書】
●カストラート(p85)
 16~18世紀のイタリアで一世を風靡した、去勢された男性歌手。「天使の歌声」ともてはやされた。
 最後のカストラート、アレッサンドロ・モレスキ(1858‐1922)は、「ローマの天使」という異名をとっていた。

(2016/9/17)KG

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イスラーム法とは何か?
 [哲学・心理・宗教]

イスラーム法とは何か?

中田考/著
出版社名 : 作品社
出版年月 : 2015年11月
ISBNコード : 978-4-86182-553-8
税込価格 : 2,592円
頁数・縦 : 269p・20cm

 
【目次】
序――「イスラーム法」などというものは存在しない
第1部 イスラーム法の基礎
 イスラーム法とは何か―これだけは知っておこう、基本的なこと
 オリエンタリストのイスラーム法研究の問題点―私たちの「考える枠組み」を考えなおす
 解釈学としてのイスラーム法学―「法」のみを切り取って理解はできない
第2部 イスラーム神学と法学の交差
 言葉として顕現する神―誰に「責任」を負うのか?
 理性と啓示の虚偽問題を超えて―理性による善・悪(利害)の判断
 イスラーム法の非霊的権威―もしくは、イスラーム法の「非」宗教的性格
第3部 イスラーム法学の要諦(現世と来世を貫く法―あの世が組み込まれた構造
 イスラーム法の主体―誰が法を守り、誰が裁き、誰が裁かれるのか?
 イスラーム法の要としてのカリフ―法と法“外”の問題
 「時間のなかを生きる」人間がなすべきこと

【著者】
中田 考 (ナカタ コウ)
 1960年生まれ。イスラム法学者。同志社大学客員教授。一神教学際研究センター客員フェロー。1983年、イスラーム入信。ムスリム名は「ハサン」。東京大学文学部イスラム学科の一期生。東大大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得。

【抜書】
●イスラーム(p3)
 イスラーム……アッラーから預言者ムハンマドに啓示された教え。アル(al:定冠詞)・シャリーア。

●シャリーア(p18)
 神学(イルム〈学問〉・カラーム、イルム・ウスール・ディーン)……シャリーア、すなわちアッラーの使徒ムハンマドが伝えたクルアーンとハディースの教えに基づき、アッラー、預言者、来世などムスリムが信ずべき事柄を学ぶ。神についての判断を導出する学問。
 法学(イルム・フィクフ〈理解〉)……個別的な典拠から演繹されたシャリーアに基づく行為規範の学。行為の判断を導出する。
 霊学(スーフィズム)……神学と法学を学んだあとで、人格陶冶のための修行論、正しい信仰の心理分析などを行う。

●マドラサ(p19)
 マドラサ(イスラーム学校)……クルアーンとハディースのテキストを学ぶとともに、神学、法学、霊学が必修科目となっている。9世紀ごろに成立し、11世紀にアッバース朝の支配下にニザーミーヤ学院と呼ばれる多くのマドラサが建設され、マドラサ制度が確立した。イスラーム学の完成期。この時代に整備されたマドラサのカリキュラムは、大きな変更を蒙ることなく、今日までイスラーム世界各地で教えられている。

●シーア派、スンナ派(p149)
 ムハンマドは、預言者であるとともに、マディーナのイスラム国家の元首でもあった。瞑想・勤行に励む修道者の模範、祭礼・葬式・巡礼・日々の礼拝を指導する説教師、アッラーの命令を法として布告する立法者、人々の争いを裁く裁判官、浄財や戦利品を徴収し分配する公共事業を行う行政官、戦争を指揮する将軍であった。あらゆる領域の指導者性を一身に兼ね備えた統合的なパーソナリティであり、すべての権威を一身に体現するカリスマ。
 シーア派……政治的実権を欠くイマームがなお理念的には預言者のすべての権威を継承したと考える。
 スンナ派……預言者の権威は、カリフを頂点とするウマラーゥ(王侯、貴族)が政治的権威を、イスラーム学者(ウラマーゥ)が学的権威を、スーフィーが精神的権威をそれぞれ担うかたちで継承された、と考える。

●報償と懲罰(p168)
 フィクフは、行為を次の5つの範疇に分類する。
 ①義務……行うことが報償、行わないことが懲罰。
 ②推奨……行うことが報償、行わなくても懲罰はない。
 ③合法……行うことも、行わないことも、報償にも懲罰にもあたらない。
 ④忌避……行わないことが報償、行っても懲罰はない。
 ⑤禁止……行わないことが報償、行うと懲罰。
 報償は来世での楽園の報奨、懲罰は来世での火獄のこと。

●イスラムの刑罰(p174)
 法定刑(フドゥード)……クルアーンとハディースに罰則が明記されている刑罰。①飲酒(鞭打ち)、②窃盗(手足切断)、③追剥(処払い、手足切断、死刑)、④姦通(未婚男女は鞭打ち、既婚男女は石打ち)、⑤姦通誣告(鞭打ち)、⑥背教(死刑)、⑦内乱(交渉が決裂した場合には鎮圧、投降すれば咎めなし)。
 同害報復刑(キサース)……殺人の場合は遺族、障害の場合は被害者に、①加害者に対する同害報復、②加害者の親族に対して血の賠償の請求、③赦免、からの選択権を授ける。
 行政裁量刑(タァズィール)……量刑はカリフの裁量による。フドゥードと同種の犯罪に関しては、フドゥードの刑を超えてはならない。
 連帯義務……誰かがそれを実行すれば、他のムスリムは免責されるが、誰も行わなければムスリム全体が罪に陥る義務。フドゥード(法定刑)とは、刑罰の対象となる犯罪の禁止ではなく、ムスリムの為政者に対する刑罰の執行の命令。ジハードの執行も、連帯義務。

●ジン(p184)
 人間は、選択の自由を持ち、その結果に責任を負うことを選んだことで、他の被造物と本質的に異なる存在となった。選択の自由を引き受けたことで、悪魔と並んで悪を犯す存在となった。
 ジン……妖霊、幽精と訳されることが多いが、定訳はない。悪魔の太祖イブリースの子孫で、魔物の一種。神を知らない者、信者、不信仰者がいる。
 ジンには、神に帰依してムスリムとなる者もいるが、悪魔に近い存在。
 人間は土から造られたが、ジンは悪魔と同じく火から造られた。
 ジンは、人間と同じように自らの行為を選ぶことができるが、フィクフはジンのために行為規範を定めていない。

(2016/3/27)KG

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戦後日本の宗教史 天皇制・祖先崇拝・新宗教
 [哲学・心理・宗教]

戦後日本の宗教史: 天皇制・祖先崇拝・新宗教 (筑摩選書)
島田裕巳/著
出版社名 :筑摩書房(筑摩選書 0116)
出版年月 :2015年7月
ISBNコード :978-4-480-01623-2
税込価格 :1,836円
頁数・縦 :328p・19cm

 戦後日本の宗教を、天皇制、祖先崇拝、新宗教という3つのキーワードで読み解く。
 天皇制の変容で国家神道が否定され、戦後の社会の変化によって数々の新宗教が生まれてきた背景を解説する。

【目次】
Ⅰ 敗戦と混乱期
 第1章 敗戦によって国家神道体制はどう変容したのか
 第2章 『先祖の話』のもつ意味
 第3章 敗戦が生んだ新宗教
 第4章 宗教をめぐる法的な環境の転換

Ⅱ 高度経済成長と変化する戦後の宗教
 第5章 戦後の天皇家が失ったものとその象徴としての役割
 第6章 創価学会の急成長という戦後最大の宗教事件
 第7章 創価学会の政治進出と宗教政党・公明党の結成
 第8章 靖国神社の国家護持をめぐる問題
 第9章 戦後における既成仏教の継承と変容

Ⅲ 高度経済成長の終焉と宗教世界の決定的な変容
 第10章 政教分離への圧力 その創価学会と靖国問題への影響
 第11章 オイル・ショックを契機とした新新宗教概念の登場
 第12章 靖国神社に参拝しなくなった昭和天皇の崩御
 第13章 創価学会の在家主義の徹底と一般社会の葬儀の変容
 第14章 オウム真理教の地下鉄サリン事件

【著者】
島田 裕巳 (シマダ ヒロミ)
 1953年、東京に生まれる。宗教学者・作家・東京女子大学非常勤講師。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学助教授、東京大学先端科学技術センター特任研究員などを歴任。

【抜書】
●PL教団(p68)
 正式名称は、「パーフェクト・リバティー教団」。宗教法人の認証を受ける際、アルファベットを使うことが認められていない。
 戦前の名称は、「ひとのみち教団」。教祖は、御木徳一(みきとくはる)。黄檗宗で得度したが、貧乏寺の住職にしかなれず、生活が困窮、僧籍を離れる。教派神道の一派、御嶽教(おんたけきょう)に属していた徳光教会の開祖、金田徳光と出会い、その元で活動。徳光は、山伏として修行した民間宗教家。神仏混交。
 1919年、徳光の死後、そのあとを継ぎ、25年に御嶽教徳光大教会本部を設立。
 1928年、御嶽教から扶桑教(富士山信仰)に移る。どちらも山岳宗教。
 1931年、扶桑教ひとのみち教団を設立。天照大神を至高の神とする。出勤や登校の前、早朝に集まって説教や礼拝、体験告白を行う「朝参り」が活動の中心に。早起きの徳を強調。
 1934年、大阪の布施市(現在の東大阪市)に大本殿を建設。高さ27m、約2300坪、1008畳敷きで収容人数2万人。
 1937年、「ひとのみち教団事件」が起こり、弾圧を受ける。不敬罪。治安警察法により、結社禁止処分。徳一は厳しい取調べを受け、保釈中に死亡。息子の徳近(とくちか)も、懲役4年。
 1945年10月、徳近は出所後、教団の名称をパーフェクト・リバティー教団に改称。
 1947年、「二十一か条の処世訓(みおしえ)」(現在はPL処世訓)を発表。第1条は、「人生は芸術である」。自由、世界平和などを謳い、自己表現を志向するなど、戦後の価値観に沿う内容。
 PL教団広島診療所、宝生会病院(富田林市。現・PL病院)、PL東京健康管理センター(人間ドック)など、近代医学を取り入れた病院を多数開設。

●認証(p89)
 現行の宗教法人法(1951年施行)では、宗教法人を設立する際に、所轄庁から「認証」を受けなければならない。
 所轄庁……単位団体の場合は都道府県、複数の都道府県にわたる単位団体を包括する団体(本社、本山、本部)の場合は文部省。
 認証……一定の条件を課し、それを満たしていれば所轄庁が宗教法人として認めるという制度。礼拝施設などの財産を所有し、信者がいて、実際に宗教活動を実践していることなど。脱税逃れのための設立を防止。
 宗教団体法(1939年)では「認可」、宗教法人令(1945年)では「届出」だった。

●アメリカと天皇制(p101)
〔 アメリカは新興国で、一八世紀に建国されたこともあり、ヨーロッパの諸国とは異なり、王や貴族という特権階級が存在しない。それは、民主国家を標榜するアメリカにとって誇りでもあるわけだが、同時に、王や貴族といった存在に対する強い憧れを生むことにもつながっている。そうしたアメリカの人間からしてみれば、天皇という存在、あるいは天皇制という政治制度は、どう扱っていいかが難しいものに映った可能性がある。
 そうしたことから、天皇制は温存され、天皇退位も行われなかった。そして、国家と国家神道の分離を推し進めることで、天皇制が軍国主義の復活に結びつかない体制が作られていったのだが、やはり天皇制のあり方は戦前と戦後では大きく変わらざるを得なかった。
 それは、第一章で述べた現人神の否定ということには留まらない。一般に、それほど注目が集まることもなく、重視されることも少ないが、戦後に大きく変わったのは、いわゆる「天皇財閥」の解体と、「天皇の藩屏」、つまりは皇室を守護するものとその役割が規定された「華族制度」の解体であった。〕

●御料地(p102)
 御料地……戦前の天皇家は、林業経営によって資産を形成。1881年(明治14):634町歩(約634ha)→1890年:365万4,000町歩。民有林が838万5,000町歩だった。
 御料地から莫大な収益を得て、株式や国債などの有価証券にも投資。日本銀行、横浜正金銀行、日本興業銀行、台湾銀行、王子製紙会社、南満州鉄道会社、など。
 戦後、財産税法に従って、皇室の所有する約37億円の9割にあたる約33億円の財産税が課され、物納された。残りの財産も、憲法88条によって国家に帰属することになった。皇室の私的な財産は、身の回りの品と預貯金、有価証券が約1,500万円のみとなった。

●創価教育学会(p125)
 1930年、牧口常三郎が「創価教育学会」を創立。当初は教育者の団体としての性格が強かった。
 牧口は地理学者で、尋常小学校の校長を歴任。柳田國男とも親交あり。日蓮正宗に入信。
 牧口、伊勢神宮が配布する神宮大麻を拝むことを拒否、札を焼却させたことから、治安維持法に違反したとされ、1943年7月に逮捕。東京拘置所で病死。戸田城聖も逮捕されたが、最後まで信仰を捨てず。
《牧口の宗教思想》
 価値論……西欧の「真善美」に対抗し、「美利善」を強調。「利」=現世利益。
 法罰論……日蓮仏法には、悪人を罰する力がともなっている。
 生活革新実験証明座談会(座談会)……信仰でどういった功徳があったか、あるいはそれに反したことでどういった法罰が下ったのかを報告しあう。

●日本小学館(p130)
 戸田城聖、戦前に日本小学館という出版社を経営していた。戦後、日本正学館と改称。中学生向けの数学と物理の通信教育を始める。

●創価学会(p130)
 戸田城聖、 西神田の日本正学館の事務所で法華経の講義を始める。創価教育学会の元会員たちが集まってくる。機関誌『価値創造』を復刊。
 1945年11月に創価学会として初の総会を開く。約500人が集まる。戸田、戦前と同様、理事長に就任。
 1951年3月、戸田が第二代会長に就任。1,500人の会員を前に、「折伏大行進」の開始を宣言。「生きている間に75万世帯を折伏」。

●葬式仏教(p201)
 「葬式仏教」が普及するのに、江戸時代の「寺請制」が大きな役割を果たした。
 日本に仏教が伝来した当初は、葬儀にかかわっていなかった。薬師寺など、古代に創建された寺院には墓地がなく、檀家もない。
 やがて浄土教信仰が盛んになり、死者を西方極楽浄土に成仏させる役割が期待されるようになる。
 さらに、禅宗の寺院で修行中の雲水の生活を支えるために、在家の信徒に対する葬儀の方法が編み出され、それが他の宗派にも受容されていった。

(2015/11/25)KG

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神社に秘められた日本史の謎
 [哲学・心理・宗教]

神社に秘められた日本史の謎 (歴史新書)

新谷尚紀/監修 古川順弘/著
出版社名 :洋泉社(歴史新書)
出版年月 :2015年2月
ISBNコード :978-4-8003-0536-7
税込価格 :929円
頁数・縦 :190p・18cm


【目次】
第1章 知っておきたい神社の基本
 神社のルーツはどこにあるのか?
 神社と神道はどんな関係にあるのか?
  ほか
第2章 古代編―大神社の誕生とランク付け
 神社はいつからあったのか?
 中国や朝鮮半島にも神社はあった?
  ほか
第3章 中世・近世編―仏教との不思議な関係
 なぜ全国に一宮と総社がつくられたのか?
 朝廷から特別な崇敬を受けた「二十二社」とは?
  ほか
第4章 近代・現代編―大きく再生する神社の姿
 何のために「神仏分離」が行われたのか?
 神社祭神が明治維新で変更されたのはホント?
  ほか
資料編 おもな神社の種類と信仰

【著者】
新谷 尚紀 (シンタニ タカノリ)
 1948年広島県生まれ。現在、國學院大学文学部および大学院教授。国立歴史民俗博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学)。早稲田大学第一文学部史学科卒業。同大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得。

古川 順弘 (フルカワ ノブヒロ)
 1970年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。宗教・歴史をメインとするライター。

【抜書】
●稲作の普及(p3)
 BC10世紀後半、九州北部玄界灘沿岸地域で稲作が始まった。
 その後、稲作の伝播に、瀬戸内西部地域まで約200年、摂津・河内地域まで約300年、奈良盆地まで約400年、中部地域まで約500年、南関東地域まで約600~700年かかっている。
 東北地方北部には、BC4世紀頃、日本海側を北上して稲作が伝わったが、BC1世紀に放棄された。稲作は、山形から仙台を結ぶ線を北限として、それ以北には定着しなかった。
 稲作の普及に650年という長い時間がかかった理由は、稲作労働の過酷さが原因のひとつ。潅漑による水稲耕作には多くの人手が必要。 ⇒ 多くの人たちに対する統率力。
  ↓
 労働力を強制的に動員する権力とシステムが不可欠。古墳築造を支えた権力構造。
 古墳時代を超越していった7世紀の飛鳥時代の中央王権は、中国王朝の権力システムを導入、律令国家へ。
 天武・持統の時代は、「倭」から脱皮して「日本」が誕生。仏教寺院への信仰とはまた別に「神社」祭祀が国家的規模で整備されていく。
 神祭りの中心が稲の祭り。稲と米は権力と祭祀に密着したもの。政治の結晶としての歴史をその後も刻んでいく。

●神社の原型(p14)
 もともと、聖域にある巨岩や樹木に神霊を招いて神マツリが行われていた。
 磐座(いわくら)……神霊の依り代として祭祀の対象となった岩。
 神籬(ひもろぎ)……聖域に樹木や枝を立てて祭壇とした。
 磐境(いわさか)……岩や石を積み並べて作られた祭場。
 社(やしろ)……もともとは「屋代」。「屋」(神を迎える小屋、祭壇)そのものではなく、屋を建てるための区域。「マツリ」のときに簡素な神殿が仮設され、神マツリが行われた。原初の神社の姿。
 宮(みや)……御屋。神マツリがしばしば行われ、神霊の常在を願う人々の気持ちが高まり、ヤシロに常設の社殿が作られるようになった。 ⇒ ミヤ

●社殿(p22)
 拝殿……神を礼拝するための場所。通常の参拝者は、拝殿の前の賽銭箱の前で参拝する。拝殿での参拝は正式参拝(昇殿参拝)と呼び、初穂料を納め、神職によるお祓い・祝詞奏上をへて、神拝を行うのが一般的。
 幣殿……神々への幣帛(へいはく。供え物)や神饌などを神職が捧げ置く場所。一般参拝者はこのエリアに入ることはまずない。拝殿と一緒になっているケースも多い。
 本殿……正殿、神殿とも呼ばれる。ご神体を祀る場所。神社で最も重要な建物。社殿の奥にある。神職といえどもみだりに立ち入ることができない聖域。周囲を瑞垣(みずがき)で囲われ、禁足地となっている。山や巨岩をご神体とする神社は、拝殿のみで本殿がないところもある。

●摂社・末社(p23)
 摂社……本殿に祀られている神(祭神)と深い縁故のある神々を祀る社。
 末社……それ以外の神々を祀る社。本社より古くからその土地で祀られてきた神を祀っているところも多い。
 いずれも、境内にもあるものも、境外にあるものも存在する。

●古代豪族と氏神(p57)
 物部氏……石上神宮(奈良県天理市)/布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
 蘇我氏……宗我都比古神社(奈良県橿原市)/曾我都(そがつ)神
 藤原氏……春日大社(奈良市)/天児屋根命
 安曇氏……穂高神社(長野県安曇野市)/穂高見神(ほたかみのかみ)
 阿蘇氏……阿蘇神社(熊本県阿蘇市)/健磐竜命(たけいわたつのみこと)
 多氏……多神社(奈良県田原本町)/神八井耳命
 大伴氏……住吉大伴神社(京都市)/天忍日命(あめのおしひのみこと)・道臣命(みちのおみのみこと)
 息長氏……山津照神社(滋賀県米原市)/山津照(やまつてる)神
 越智氏……大山祇神社(愛媛県今治市)/大山積(おおやまづみ)神
 賀茂氏(大和)……高鴨神社(奈良県御所市)/味鉏高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)
 紀氏……平群坐紀氏(へぐりにいますきのうじ)神社(奈良県平群町)/都久宿禰(つくのすくね)
 毛野(けの)氏……赤城神社(群馬県前橋市)/豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
 佐伯氏……雄山神社(富山県立山町)/雄山神
 秦氏……松尾(まつのお)大社(京都市)/大山咋神(おおやまくいのかみ)
 宗像氏……宗像大社(福岡県宗像市)/宗像三神
 東漢(やまとのあや)氏……於美阿志(おみあし)神社(奈良県明日香村)/阿知使主(あちのおみ)

●神宮寺(p80)
 7世紀前半、舒明天皇によって、日本最初の官立寺である百済大寺(くだらのおおでら)が建立された 。
 7世紀末になると、神社に常設の社殿が建つようになる。朝廷を中心とした神社祭祀制度が確立。仏と神は競合関係。
 8世紀の奈良時代、神社の近辺にあえて寺院が建立されるようになる。気比神宮、若狭彦神社、伊勢神宮、鹿島神宮など。 ⇒ 神宮寺
 神宮寺……「神身離脱」を願う神々のため、建設された。所属する僧侶を社僧と呼ぶ。社僧の長が「別当」。近世には、神宮寺を別当寺とも呼ぶようになる。
 神身離脱……「神」を離脱して「仏」に達すること。仏教では、天界(天道)に「天」(デーヴァ)という神的存在がいると説く。天は、人間より高級だが、仏(如来)の境地には達していない。悩み苦しむ衆生の一。日本の神々はこの「天」の一種とみなされた。仏教に帰依して修行の段階にある存在。 ⇒ 神仏習合
 平安時代に、「宮寺(みやでら)制」が確立、神仏習合が各地に波及。神宮寺と神社が一体となり、半僧半俗の社僧が中心になって運営。別当・検校・上座などの階層ができ、時には神職の立場をしのぐようになる。岩清水八幡宮護国寺、八坂神社など。
 寺院鎮守神(ちんじゅがみ)……寺院の境内に神社を勧請して寺の守護神とするケースも現れる。

●官幣社、国幣社(p90)
 律令制度の下、朝廷に神祇官が置かれた。
 重要祭祀の際、都に集まった各地の官社の代表へ神祇官から幣帛(へいはく)を頒布する班幣制度が始まる。
 遠国の神社で、幣帛を受け取りに来ないところが現れるようになる。
 平安時代、官社を官幣社と国幣社に分ける。国幣社は、地元の国司から班幣が行われるよう、制度を改革。
 平安時代中期ごろから律令制度が解体、官幣・国幣の制度も形骸化、中央集権的な神社祭祀が衰退していく。
 その一方、国司による班幣は、各地の国司と地方の官社との結びつきを強める。地方の神社行政の権限は国司に大きくゆだねられるようになった。
 国司は、任地に赴くと、有力な神社を巡拝。巡拝する神社の順序によって、一宮、二宮、三宮、……、と呼ばれるようになり、一種の社格となる。
 惣社(総社)……国内の有力な神社の祭神を勧請してひとつの神社に祀る。六所神社など。惣社に参拝することで、神拝を済ませる。

●大元宮(p132)
 吉田兼倶(かねとも)……1435-1511。吉田家は、神祇官の次官を世襲した卜部氏の流れを汲み、神祇官が衰退しても、『日本書紀』をはじめとする古典と神祇故実に通じた神道の名家として公家や武家に重んじられる。吉田神道を創唱。吉田家は、神道の家元のような存在となり、神社界に君臨。
 1484(文明16)年、日野富子の援助により、京都の吉田山(京都市左京区)に大元宮(だいげんぐう)を造営。八角形の神殿に天神地祇・八百万の神を合祀。その後方には伊勢神宮、神祇官八神殿、全国式内諸社を祀る殿社が並ぶ。この「大元宮斎場所」は、吉田神道のシンボル。日本のあらゆる神々を一箇所に集めて祀った。
 吉田神道……元本宗源(げんほんそうげん)神道、唯一神道とも言う。全宇宙の根源である国常立尊(くにのとことたちのみこと、大元尊神だいげんそんしん)を主神とする。密教や陰陽道、道教など、さまざまな宗教の教理を取り入れている。「この唯一神道を正しく継承しているのは、吉田家のみである」。

●教派神道、神社神道(p162)
 教派神道……国家公認という形で布教活動が許可された「宗教」としての神道。出雲大社、伊勢の神宮教、天理教、黒住教なども含まれる。
 神社神道……一般の宗教から分離した、「教義」を伴わない、天皇崇敬と神社祭祀を中心として展開された神道。神道非宗教説。国によって管理されたので、国家神道とも呼ばれるようになった。

●靖国神社(p168)
 明治元年、幕末の尊皇派の殉難者と、戊辰戦争での官軍側の戦没者の霊を祀った招魂社を京都の霊山に設ける。
 明治2年、東京遷都にともない、官軍の全戦没者を祀る「東京招魂社」を九段に創建。6月に造営が始まり、わずか10日で竣工、6月29日に招魂式が行われる。
 明治12(1879)年、明治天皇の聖旨にもとづいて「靖国神社」と改称、別格官幣社に列格される。
 各地に建てられた招魂社は、靖国神社を総本社とするとされ、昭和14年、すべて護国神社と改称。
《特徴》
 1. 亡くなった人間をまとめて「神」として祀った(合祀した)。平成26年現在、246万6000余柱。
 2. 軍部が所管した。陸軍省・海軍省の共同管轄。一般の神社は内務省。
 3. 祭神の基準が変則的。当初は、明治維新前後の新政府側の「戦死者」が合祀の対象だったが、日清・日露後、民間人を含む戦没者全般に合祀の対象基準が拡大される。

●明治神宮(p172)
 明治天皇は、自身の遺詔により、京都の伏見桃山の御陵に埋葬された。
 崩御直後から、「東京に御陵に次ぐようなものを」という声が東京市民から上がり、渋沢栄一らの呼びかけで、明治神宮創建を国に請願。
 大正4年、明治神宮造営局が設置。
 代々木の南豊島御陵地が選定される。「代々木の原」と呼ばれるような草地だったが、全国から10万本に及ぶ献木と全国の青年団の労働奉仕によって整備された。
 〔今も鬱蒼と茂る緑豊かな「代々木の森」は、純然たる人工林なのだ。〕
 
(2015/10/24)KG

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寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」
 [哲学・心理・宗教]

寺院消滅

鵜飼秀徳/著
出版社名 : 日経BP社
出版年月 : 2015年5月
ISBNコード : 978-4-8222-7917-2
税込価格 : 1,728円
頁数・縦 : 278p・19cm


 しばらく前に、「消滅可能性都市」が話題になっていた。少子化と大都市圏への人口集中により、2040年には全国の自治体のうち49.8%が消滅するというのだ(「はじめに」より孫引き)。
 しかし、消滅するのはムラだけではない。ムラとともにお寺も消え去る。
 いや、お寺の消滅は将来の話ではなく、すでに相当程度進行している。兼務住職、無住寺院、廃寺が全国いたるところに存在する。尼僧も絶滅危惧種だ。
 こういった仏教界の抱える問題点と、それを克服しようとする新しい動きについてレポートする。日本仏教の現状を知ることのできる好著である。

【目次】
第1章 地方から寺と墓が消える
 島を去る住職、来る住職 ある在家出身僧侶の奮闘記…長崎県宇久島
 地方と都市を彷徨う墓地 福沢諭吉のミイラと改葬…東京都ほか
 世界遺産の恩恵はどこへ 限界集落の空き寺…島根県石見
 もう住職はいらない 空き寺で起きる仏像盗難…福島県会津坂下
 再建できない被災寺院 政教分離が復興を阻む…宮城県陸前高田
 絶滅寸前の尼僧 尼寺に拾われて…長野県・京都府・愛知県ほか
 〔賢人に聞く 1〕 宗教は「時代遅れ」でもいい 作家 玄侑宗久氏
第2章 住職たちの挑戦
 「ゆうパック」で遺骨を送る時代
 火葬場で読経10分、増える「直送」
 「本当に感動する葬儀をやりたい」
 多摩ニュータウンにできた“民家”寺院
 企業人が仏教界を立て直し
 〔賢人に聞く 2〕 25年後に35%の宗教法人が消える 國學院大学 石井研士氏
第3章 宗教崩壊の歴史を振り返る
 寺は消えてもいいのか
 鹿児島が迎えた寺院・僧侶の「完全消滅」
 国家と宗教の争い
 戦争に加担した日本仏教
 農地改革に翻弄された寺
 寺がサイドビジネスに手を出す理由
 〔賢人に聞く 3〕 僧侶に「清貧さ」は必要か 全日本仏教会 戸松義晴氏
第4章 仏教教団の調査報告
 浄土宗 過疎地にある正住職寺院へのアンケート
 曹洞宗 宗勢調査・檀信徒意識調査
 浄土真宗本願寺派 宗勢調査
 日蓮宗 宗勢調査
 臨済宗妙心寺派 被兼務寺院調査
≪日本仏教史≫
解説 作家・元外務省主任分析官 佐藤優

【著者】
鵜飼 秀徳 (ウカイ ヒデノリ)
 1974年、京都市右京区生まれ。成城大学卒業後、報知新聞社に入社。事件・政治担当記者を経て、日経ホーム出版社(現日経BP社)に中途入社。月刊誌「日経おとなのOFF」など多数のライフスタイル系雑誌を経験。2012年から「日経ビジネス」記者。これまで社会、政治、経済、宗教、文化など幅広い取材分野の経験を生かし、企画型の記事を多数執筆。近年は北方領土問題に関心を持ち、2012年と2013年には現地で取材を実施、発信している。正覚寺副住職。

【抜書】
●福沢諭吉のミイラ(p32)
 福沢諭吉は、1901年、2月3日に脳出血が原因で死去。享年67歳。
 諭吉は、本人の希望で、眺望の良い常光寺(浄土宗、上大崎)に埋葬(土葬)された。実際は、隣にあった無住の本願寺(浄土宗)の墓地に埋葬されたが、その後、常光寺に編入された。葬儀は、菩提寺である麻布十番の善福寺(浄土真宗本願寺派)。
 常光寺は、諭吉の墓ができたことで、慶応大学を目指す受験生が合格祈願に訪れ、「受験の聖地」に。大学関係者も墓参、大いに賑わう。本堂を建てる際には、慶応大学から寄付も。
 護持会組織(檀家の集まり)ができ、「常光寺に墓所を持つ檀家は浄土宗信徒であること」「信徒でなければ改宗すること」「改宗できなければ、墓を移転すること」などの会則が定められる。
 1977年5月、諭吉の墓は、善福寺に改葬。
 4m掘って出てきた棺の中で、大量のお茶の葉で包まれた遺体は伏流水につかり、白骨化することなく、屍蠟化していた。棺から出されると、大気に触れてみるみる緑色に変色。
 遺体は荼毘に付され、錦夫人の遺骨や墓石とともに善福寺に移された。

●石見教区東京法要(p61)
 浄土宗石見教区の52ヶ寺が集まって、毎年9月の第1週の日曜日、東京・港区にある増上寺(浄土宗の大本山)で「石見教区東京法要」を実施。8年前から。寺のほうから東京に出張して合同法要を行う。
 島根県邑南町(おおなんちょう)日貫(ひぬい)集落の宝光寺、浜田市の極楽寺などが参加。

●尼僧(p98)
 尼僧、全国で250人程度……「全日本仏経尼僧法団」に加入する尼僧(住職に準ずる尼僧)の数。法団に加盟しない尼僧を含めても数百人程度。40歳以下の若い尼僧は皆無。
 女性僧侶は、9,470人……『宗教年鑑(平成26年度版)』。宗門が定めた「僧侶資格取得者」の数。髪を伸ばして在家僧侶兼ビジネスパーソンとして働いてる僧侶が多い。男性は83,205人。
 尼僧と女性僧侶の違い。尼僧は、
  ①尼僧専門の修行道場を出ている。
  ②剃髪している。
  ③未婚を貫く。
  ④代々続く尼寺に入っている。 
 1872年(明治5)、「肉食妻帯畜髪等、勝手たるべし」という太政官布告。男僧は世俗化が進む。
 1873年、尼僧にも「俗化」が認められた。しかし、尼僧は「出家」の大前提を守りとうしている。尼僧の矜持。

●ゆうパック(p120)
 熊谷市にある曹洞宗・見性院では、ゆうパックによる「送骨サービス」を受け付けている。届いた遺骨は、本堂で供養した後、境内の永代供養塔に合同納骨。
 永代供養の基本料金は3万円。月に3~5柱の遺骨が届く。
 2013年10月から、住職の橋本英樹氏(49歳)が始めた。遺骨の配達は、日本郵便のみが「配送可能」だった。
 核家族化による親戚関係の希薄化、老老介護の末の伴侶の死、親戚なき孤独死、内縁者の死後の扱い、など、引き取り手のない遺骨が増えている。

●250年の寺院空白期(p132)
 日本最古の寺……飛鳥寺。596年(推古4)、蘇我馬子が建立。木造建造物として現存する最古の寺は、607年(推古15)建立の法隆寺。
 1631年(寛永8)、江戸幕府によって「新寺建立禁止令」が発布された。
 1868年(慶応4)、神仏判然令(神仏分離令)。明治期に入っても、廃仏毀釈により、新寺建立は不可。
 1876年(明治9)、信教の自由が認められる。
 1631~1876年の約250年間、日本では新しい寺が建てられなかった。
 日本の寺院は、およそ400年以上の歴史を持つ古い寺か、150年未満の若い寺に大別できる。全国に77,329ある寺のうち、およそ10%程度が明治以降の新寺。

●リタイア組僧侶(p144)
 長野県千曲市にある開眼寺の住職・柴田文啓(ぶんけい、80歳)は、横河電機の技術者、元役員。ヨコガワ・アメリカの社長も経験。元GEのジャック・ウェルチとも親交がある。
 1934年、福井市生まれ。福井大学工学部時代、永平寺に泊りこみ、修行のまねごとをしたことも。
 30歳のとき、東京・五日市町にある禅寺・徳雲院の坐禅会に通い始め、住職・故加藤耕山老師と出会う。
 65歳、滋賀県にある臨済宗永源寺で1年3ヶ月間の修行に入る。
 2001年8月、13年間空き寺だった開眼寺に住職として入る。退職金や寄付、横河電機OB会からの支援などで寺をリフォーム。新たな禅堂を作り、多くの仲間が集える場を整えた。
 企業の人事担当者から、研修やセミナーの講師の依頼が来るようになる。寺を使った新人研修も行う。2泊3日で、坐禅、作務など禅僧の日常も体験。
 第二の人生を僧侶として送る、リタイア組の「スカウト」も始める。2014年9月、臨済宗妙心寺派が、リタイア組専門の修行道場を姫路市に開く。60歳以上なら誰でも入れる。関東でも、シニア向けの僧堂の建設を検討中。

●鹿児島の廃仏毀釈(p179)
 鹿児島県内には、江戸末期まで寺院が1,066ヶ寺あり、僧侶2,964人がいた。1874年にはどちらもゼロに。徹底的に廃仏毀釈が行われた。寺院も仏像も破壊し尽くす。
 1876以降、一部の寺院が復興し、浄土真宗が布教活動に力を入れたことから、現在では、寺院数は廃仏毀釈以前の半分の水準にまで回復。鹿児島県には、古い寺は存在しない。真新しい鉄筋コンクリート造りの伽藍ばかりが目立つ。

(2015/8/1)KG

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カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容
 [哲学・心理・宗教]

カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容

宮崎賢太郎/著
出版社名 : 吉川弘文館
出版年月 : 2014年2月
ISBNコード : 978-4-642-08100-9
税込価格 : 2,484円
頁数・縦 : 226p・20cm
 
 
■「カクレ」はキリシタンではない?
 私たち一般人が隠れキシリタンに関して長いこと抱いてきた、「歴史的」誤解を解く。
 つまり、彼らは禁教令や迫害を恐れて、隠れてキリスト教を信仰してきたのだと、一般には信じられてきたが、実はそうではない。彼らの信仰は真のキリスト教ではなく、日本古来からの祖先崇拝に根ざしたものである。〔「仏教や神道を隠れ蓑として、秘かにキリシタンの神様を拝んできた」というの正しくない。「仏様も神様もキリシタンの神様も、先祖が同じように大切にしてきたありがたい神様」というのが偽らざる彼らの気持ち〕(p192)だというのである。
 そもそも、平民・庶民であるカクレキリシタン(著者は、「彼ら」のことをこう表記する)たちは、領主の大名らがキリスト教に改宗したために、改宗させられたのである。その大名たち(特に九州の大名)は、南蛮との貿易によって利を得るためにキリスト教に改宗した。しかし、秀吉のバテレン追放令や、江戸幕府のキリシタン禁教令によって宣教師が追放され、大名や支配階級の武士たちが棄教すると、在郷の農民や庶民は取り残されてしまった。キリスト教の教義に通じた指導者もなく、わけの分からぬまま、先祖が敬ってきたものを単に継承してきただけなのである。それはもはやキリスト教ではなく、土着化された神であり、八百万の神々の一つにキリスト教の神が加わっただけである。カクレキリシタンの信仰の形態は、驚くほど日本の民俗宗教と一致し、本来のキリスト教とはかけ離れている。
〔 彼らが苦心惨憺して今日まで守り続けてきたものは、第七、第八で詳述したように、キリスト教とはかけ離れた、「先祖が命がけで守り続けてきたものを自分の代で絶やしてはならぬ」という、子孫としての先祖を思う一心から出たものでした。そして、その先祖がキリシタン時代に命がけで守ってきたものも、キシリタン信仰と呼ぶことのできる一神教的な性格のものではなく、日本の伝統的な諸神仏信仰に加えて、さらに強く現世利益的願いを叶えてくれそうな、南蛮渡来の力ある神をプラスしたというのが実態でした。〕(p215)

【目次】
1 カクレキリシタン誕生
 日本人とキリスト教の出会い
 潜伏キリシタンとカクレキリシタンの発生
 信仰の継承とその組織
2 オラショと行事
 カクレキリシタンの祈り―オラショ
 カクレキリシタンの行事
 お授け(洗礼)と房し方(葬式)
3 信仰の実像(信仰の本質とその仕組み
 どんな神様を拝んでいるのか
 なぜキリスト教信徒数は増えないのか

【著者】
宮崎 賢太郎 (ミヤザキ ケンタロウ)
 1950年長崎市に生まれる。1975年東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。1978年東京大学人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程中途退学。現在、長崎純心大学人文学部比較文化学科教授。

【抜書】
●キリシタン禁教令(p26)
 1614年(慶長19)、江戸幕府は、全国にキリシタン禁教令を発布。
 宣教師および有力な信徒の国外追放令。高山右近、内藤徳庵とその家族、内藤ジュリアンと15人の修道女を含む総勢350人以上をマカオ、マニラに分けて追放。
 日本中の教会や修道院をすべて破壊。
 〈禁教政策〉(p37)
 訴人褒賞制……キリシタンを訴え出た者に多額の賞金。
 五人組……五戸を単位とする相互監視制度。
 絵踏……キリストやマリア像を足で踏ませる。幕末まで毎年実施。
 寺請制度……必ずどこかの寺の檀家となることを強制。1635年(寛永12)より実施。奉公、旅行、婚姻、死亡、出生、移住、離婚などの際、「寺請証文」(宗旨手形)が必要となる。

●九州の三キリシタン大名(p37)
 九州の三キリシタン大名の息子たちは揃って棄教。
 ・バルトロメオ大村純忠の息子サンチョ喜前(よしあき)……1602年、加藤清正の勧めもあり、日蓮宗に改宗。領内の弾圧を開始。
 ・プロタジオ有馬晴信の息子ミゲル直純……妻マルタ(小西行長の姪)を離縁、家康の養女国姫を正室に。領内の弾圧を開始。日向延岡に転封。
 ・フランシスコ大友宗麟の息子コンスタンチノ義統(よしむね)……1587年に受洗したが、2ヵ月後、豊臣秀吉のバテレン追放令によって棄教。

●潜伏キリシタン(p40)
 潜伏キリシタン……1614年の禁教令以降の江戸時代の信徒。1644年(正保1)、最後の宣教師、イエズス会の小西マンショが大坂で殉教。1859年(安政6)、カトリックのパリミッション会ジラール神父が渡来するまで、宣教師(指導者)不在に。
 カクレキリシタン……1873年(明治6)に禁教令が撤廃された後も潜伏時代の信仰形態を続けている人々。
 潜伏期、武士や知識人層の人たちはほとんどが殉教したか、棄教した。

●崩れ(p44)
 崩れ……密告により、父祖伝来のキリシタンの神を拝む人々が集団的に存在することが露見、取調べの結果、一網打尽に捕えられ、処分された事件。
 1657年(明暦3)、大村郡(こおり)崩れ……608人が捕縛、411人が斬罪、牢死78人、永牢20人。
 1660年(万治3)、豊後崩れ……220人が捕縛、死罪57人、牢死59人。
 1661年(寛文1)、濃尾崩れ……65~69年の間に996人が処刑。
 1805年(文化2)、天草崩れ……4か村5,000人。あまりの多さにキリシタンとしては扱えず、心得違いの異宗徒として踏絵を行い、改心誓詞を差し出させて無罪放免。
 1856年(安政3)、浦上三番崩れ……多くの指導者層が捕らえられ、牢死、追放処分。
 1867年(慶応3)、浦上四番崩れ……浦上一村3,400人余りが西日本各地に流罪。1873年以降、帰村。その間に600人余りが死亡。

●カクレキリシタン三役(p57)
 a) 神様をお守りし、行事を執行する役……帳方、帳役(長崎・外海・五島)。オヤジ役(平戸・生月)。
 b) 洗礼を授ける役……水方、水役、看坊、向役(長崎・外海・五島)。オジ役、爺役(平戸・生月)。
 c) 行事準備・進行補佐および連絡・会計係……取次役、聞役、宿老(長崎・外海・五島)。役中(平戸・生月)。
 これらの原形は、キリシタン時代のコンフラリア(confraria組・講)に求められる。信心講。
 信徒組織全体は、垣内(かきうち)、「ゴシヤ」「ゴッシャ」(御支配が転訛)などと呼ばれる。五島地方では「クルワ」。

●経消し(p142)
 仏式の葬式では、キリシタンの葬式で送られた祖先とあの世で会えなくなる。そのため、「経消し」のオラショを唱え、仏式とは別にキリシタン式の葬式を行った。二重の葬式。

●民俗宗教vsキリスト教(p163)
 日本の民俗宗教との違い。
〈民俗宗教〉   〈キリスト教〉
・重層信仰   vs 一神教
・祖先崇拝   vs 唯一絶対神崇拝
・現世利益志向 vs 来世志向
・儀礼中心   vs 教義中心
 カクレキリシタン信仰は、すべての項目について日本の民俗宗教の特色とぴったり一致している。〔カクレにはキリスト教的特色を示す要素は見られず、現代日本の民衆の諸宗教の特色を余すところなく兼ね備えた、きわめて日本的な宗教であることがわかりました。〕

●祖先崇拝(p169)
 〔日本は仏教国といわれ、その二大行事はお盆とお彼岸ですが、何をやっているのかといえば、先祖の墓参りと供養です。大切なのは、命日などを忘れずに仏壇の位牌にお茶とお花と線香をお供えし、三回忌や七回忌などの年忌供養をしっかり行うことです。仏教といいながら、信仰の中身は祖先祭祀です。新宗教が教勢を伸ばしているのも、ご先祖様の供養が十分でなく成仏できずに苦しんでいるとか、水子の霊が祟ってというような日本人のウイークポイントを的確についているからです。
 キリシタンとなった人々にとっても、先祖に対する思いは強いものがあったに違いありません。それどころか、身近な先祖の中から多くの殉教者を出したキリシタンにとっては、殉教した先祖は神様のような存在として大切に祀られてきました。殉教の模範は残された子孫にとって、いうならば先祖の遺言であって、先祖の信仰の形をできる限り変えることなく守り続けていくことが最大の務めと考えたのではないでしょうか。〕

●信仰対象(p180)
 カクレキリシタンの信仰対象。これらの中で真に彼らの心の中で生きているものは、④。
 ①カトリックに由来する神
  どのような神か分からなくなっており、オラショで呪文のように唱えているだけ。
 ②仏教や神道の諸神仏、ならびに民俗神
  ――檀家総代や氏子総代を務めることも珍しくない。
 ③殉教した先祖の霊や無縁仏などの死者霊
 ④知覚できる物的存在としての神
  (a) 御前様……掛け軸に仕立てられた人物画
  (b) サンジュワン様(御水)……聖地中江の島から採ってきた聖水
  (c) オテンペシャ……本来苦行の鞭(ディシプリーナ)だったものが、お祓いの道具に転用されたもの
  (d) オマブリ……紙を切って作った十字の形をしたお守り
  (e) 御札様……カトリックのロザリオの十五玄義がおみくじに転用されたもの

●御札様(p190)
 生月島と平戸にのみ伝わる。
 「御喜び様」「御悲しみ様」「グルリヤ(栄光)様」各5枚に、「親札」1枚を加えた16枚の木札(60×40×7mm)。各場面の意味を墨書きしたもの。木片に三種の記号と、1~5本の線が描かれている。
  生月島のカクレキリシタンは、この札がカトリックのロザリオの祈りに由来することなど知らず、運勢を占うおみくじとして使っている。
 「男様」と「女様」の二組がある。それぞれの袋の中から1枚を引く。
 「親札」が最高。「喜び」の1番~5番、「栄光」の1番~5番、「悲しみ」の1番~5番の順となっている。

●ミッション系の学校(p203)
 ミッション校(キリスト教の布教を目指して作られた学校)の数。2010年度の統計。
 カトリック系……幼稚園534、小学校53、中学校102、高校113、短大17、大学21。その他含め計853。
 プロテスタント系……小学校17、中学校63、高校82、短大20、大学56。
 日本全国の大学数は780校(2011年)。十分の一がキリスト教系。
 信徒数は、カトリック約44万人、プロテスタント約65万人。全人口の1%にも満たない。

(2015/6/20)KG

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