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米中地獄の道行き大国主義の悲惨な末路
 [経済・ビジネス]

米中地獄の道行き 大国主義の悲惨な末路

増田悦佐/著
出版社名:ビジネス社
出版年月:2017年2月
ISBNコード:978-4-8284-1935-0
税込価格:1,620円
頁数・縦:245p・19cm


 これまで製造業がリードしてきた経済構造の主役が、現在、サービス業に移行しつつある。工業社会からサービス社会に転換するのだ。そのために世界の覇権も変わってくる、という内容。
 アメリカの金融市場が中国の資源浪費を後押ししてきたが、それも立ち行かなくなる。サービス業中心の社会では、株式市場や軍需産業が意味を失い、貧富の格差が少なく、人口密集型の国が繁栄することになるという。

【目次】
第1章 今後10年で世界が大転換するこれだけの理由
 今度の金融危機は、体制内変革ではなく、体制の大転換く
 地政学は、軍事帝国を築いたアメリカの自己弁護
  ほか
第2章 アメリカ金融資本主義のたそがれ
 アメリカの没落が不可避な理由(その1)サービス業経済への転換
 設備投資が景気回復の万能薬ではない時代になった
  ほか)
第3章 中国資源浪費バブル崩壊が暴き出す「グローバル化」の虚構
 貿易量縮小は、供給不足が原因か、需要不足が原因か?
 驚異的な中国の資源浪費
  ほか
第4章 こんなにダメな日本が世界の先端に立つこれだけの理由
 日本は1人当たり後進国?
 日経平均の「半値戻し」が、世界株式市場大暴落の号砲
  ほか
第5章 明るい未来と暗い現在とのはざまをどう生き抜くか
 個人が自衛する道は、大きく分けて2つ
 趣味の金銭化に真剣に取り組むべし
  ほか

【著者】
増田 悦佐 (マスダ エツスケ)
 1949年東京都生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修了後、ジョンズ・ホプキンス大学大学院で歴史学・経済学の博士課程修了。ニューヨーク州立大学助教授を経て帰国、HSBC証券、JPモルガン等の外資系証券会社で建設・住宅・不動産担当アナリストなどを務める。現在、経済アナリスト・文明評論家。

【抜書】
●地政学(p15)
〔 一時、戦争の論理で軍事外交のみならず、政治経済全般まで論じる「地政学」なる発想がもてはやされたことがある。この発想は、実はアメリカが軍事的にいかに有利な立場にあるかということに論点を絞った「学問」体系だった。地政学がお好きなアメリカの保守派は、「だからアメリカはもっと自分の利益を正面から押し出す主張をしていい」とあおったわけだ。〕

●84年サイクル(p38)
 株式チャーチストの中に、世界経済は84年周期で回っているという新説を唱えている人がいる。世界経済の危機(不況)は、84年周期で訪れる。あるピークの年を境に、前後10年程度ずつ続く。
 (1)1502~22年……コロンブスの第1回大西洋横断の10年後の1502年から、マザラン艦隊の世界周航完成の1522年。ヨーロッパが世界を地理的に征服したことにより、ヨーロッパ以外の国々は悲惨のどん底に突き落とされた。
 (2)1586~1606年……ヨーロッパにおけるアジア、アフリカ、南北アメリカの侵略の中心が、スペイン、ポルトガルからオランダに移行。植民地支配が貴金属や宝石などを奪い取るだけの略奪経営から、香料諸島で現地人を搾取した生産経営に移行した。
 (3)1670~90年……1688年、イギリスで「名誉革命」が起き、欧州大陸諸国でも個人の自由や平等、人権を尊重する風潮が芽生える。しかし、他方ではヨーロッパ諸国による他民族の隷属化が露骨に進んだ時代。イギリスの独擅場。
 (4)1754~74年……第0次世界大戦の時代。アメリカでフレンチ・アンド・インディアンウォー(7年戦争)が勃発。ヨーロッパ諸国が世界中の植民地でイギリス側とフランス側に分かれて戦争した。1776年、アメリカ独立。ヨーロッパで産業革命が本格化。他の地域では、ヨーロッパ支配が進み、国民の生活水準がかなり顕著に落ちていった。ドイツ、ロシア、アメリカが抬頭。
 (5)1838~58年……フランス、ドイツ、オーストリアで革命が挫折し、悲惨な生活苦がヨーロッパに蔓延した。一方、「セポイの乱」(57~58)にてムガール帝国を滅亡させ、大英帝国が隆盛。1873~96年も大デフレ時代だったが、一般庶民の勤労所得の実質上昇率が一番高かった時代。この後、大英帝国後の五大国(アメリカ、ドイツ、ソ連、日本、中国)のうち、アメリカ、ドイツが経済力を顕著に伸ばした。
 (6)1922~42年……アメリカが覇権を確立。 前半の10年は第一次大戦の戦後成金が没落、後半はその反動として起きた投機的ブームがこけて(1929年)、30年代大不況が始まった。世界経済史上、デフレと同時に不況になったのはこの時だけ。
 (7)2006~2026年?……2016年がピーク? 前半の10年は、30~50年に一度くらいしか起きていなかった金融危機が、2~3年おきに頻発。

(2017/4/19)KG

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最古の文字なのか? 氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く
 [自然科学]

最古の文字なのか? 氷河期の洞窟に残された32の記号の謎を解く

ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー/著 櫻井祐子/訳
出版社名:文藝春秋
出版年月:2016年11月
ISBNコード:978-4-16-390559-4
税込価格:1,782円
頁数・縦:300p、図版12p・20cm


 大学院博士課程在学中の研究者による、氷河期=後期旧石器時代の洞窟などの遺跡に残された「芸術作品」に関する考察。特に、抽象的な図形に着目し、それらのデータベースを構築中である。それは文字なのか、単なる落書きなのか、それともシャーマンの幻覚なのか?

【目次】
古の人類が残した記号
何のために印をつけたのか?
人類のはるか以前に道具を使った者たち
死者をいたむ気持ちの芽生え
言葉はいつ生まれたのか?
音楽の始まり
半人半獣像とヴィーナス像
農耕以前に布を織っていた
洞窟壁画をいかに描いたか?
欧州大陸に到達以前から描いていた
唯一の人物画
遠く離れた洞窟に残される共通の記号
それは文字なのか?
一万六千年前の女性の首飾りに残された記号群
壁画は野外にも残されていた
最古の地図か?
トランス状態で見える図形なのか?
データベースを世界の遺跡に広げる

【著者】
ボン・ペッツィンガー,ジェネビーブ (von Petzinger, Genevieve)
 古人類学者。カナダ・ビクトリア大学人類学博士課程在学中の研究者。これまで、顧みられていなかった氷河期の洞窟に残された記号に注目し、カメラマンの夫とともにもぐって採取。欧州の368カ所の洞窟を調べ上げ、5000以上の記号を収集し、世界で初めて氷河期における幾何学記号のデータベースを作りあげた。ナショナル・ジオグラフィックの『2016年・新世代の探求者』(Emerging Explorer)に選出。「ナショナル・ジオグラフィック」誌や「ニュー・サイエンティスト」誌をはじめとするメディアからも注目を集めている。

櫻井 祐子 (サクライ ユウコ)
 翻訳家。京都大学経済学部経済学科卒。大手都市銀行在籍中の96年、オックスフォード大学で経営学の修士号を取得。98年よりフリーの翻訳者として活躍。

【抜書】
●12万年前の芸術作品(p12)
 20万年前に現生人類が現れたが、現代に通じる人間の精神の創造性(=芸術)を十全に活用するようになったのは、いつか?
 現代的思考の兆しがかすかに見え始めるのは、12万年前のアフリカ。彫刻が施された骨や、赤いオーカー(赤鉄鉱)や首飾りが入れられた墓などが散見される。
 10万年前以降になると、幾何学模様(線、格子型、山形など)が刻まれたポータブルアート(持ち運びできる芸術品)が現れ始める。
 5万年前、岩壁画や小像、首飾り、複雑な埋葬、楽器が大量に出現し始める。
 これらの芸術的慣習のすべてが、10万年以上前に話し言葉が完成していたという通説を裏付けている。

●ツインリバーズのオーカー粉(p42)
 ザンビアのツインリバーズという丘の上の洞窟。30~26万年前の遺跡に、オーカーを粉末にした跡が残されている。現生人類以前の遺跡。
 オーカーは、酸化鉄を主成分とする石。洞窟の壁に塗る赤色をはじめとする塗料を作るのに用いられる無機顔料。
 オーカーの粉は、道具などの接着剤、虫除け、皮なめし、止血などの治療用としても使われる。
 ツインリバーズの住人は、真っ赤なオーカーのとれる鉱床に頻繁に通っていた。日常利用ではなく、象徴的表現のためにオーカーを使っていた可能性がある。

●ベレハット・ラムの小像(p43)
 イスラエル北部のゴラン高原地域にある死火山のクレーターの近くで見つかった、23万年前の遺跡。
 長さ4cm未満の火山岩の「小像」が出土。人の形に似た石に、3本の溝が掘られている。1本は首のくびれ、2本は腕を模したU字型。「乳房」を強調するために道具で彫られたと考えられる跡もある。肉感的な女性のようなオブジェとなっている。
 世界最古の具象的な芸術作品?

●ブロンボス洞窟の絵の具セット(p69)
 南アフリカの西ケープ州の荒涼とした吹きさらしの丘の斜面にある。現生人類が10万年~7万年前ごろまで居住していた。海岸線から800mほど離れていたが、海洋資源を積極的に利用していた。
 ブロンボスで、10万年前の二つの「絵の具セット」が発見された。顔料を調合するためのアワビの貝殻、赤いオーカーと、骨粉を加熱して抽出した骨髄油、炭の粉、石英粒、石片、など。これらの原料に水や尿などの液体を混ぜて顔料が作られた。貝殻の内側には水面の高さを示す「水位標」が何本か付いていた。
 オーカーを砕くのに使われた石と、出来上がった化合物を物や体などに塗るのに使われた赤く染まった骨が、貝殻のすぐそばで発見された。
 オーカーの最も近い産地は、2.4kmから4.8kmは離れていた。
 ほかの生活遺物が見つかっていないので、短期滞在者だった可能性が高い。
 複数の幾何学的模様の付いたオーカーのかけらも発見されている。抽象模様の付いた最古の芸術品? しかし、単純すぎて、意図的につけられたものかどうか不明。

●ディープクルーフのダチョウの卵(p78)
 南アフリカの西ケープ州ケープタウンの北にあるディープクルーフ岩陰遺跡。
 8万5000~5万2000年前の地層で、模様が刻まれたダチョウの卵殻の破片が発見された。この幾何学模様は、どう見ても意図的に付けられたもの。これまでに400片以上が出土している。
 たった5種類のデザインとわずかなバリエーションが、3万年以上の間使われていた。模様は、意図的に標準化されていたと思われる。世代を超えて模様を伝えていた。

●エル・カスティージョ洞窟(p145)
 世界最古の岩壁画。紅茶の受け皿ほどの大きさの赤い円盤状の壁画。少なくとも4万800年前。

●後期旧石器時代の4区分(p149)
 ヨーロッパの氷河期(後期旧石器時代)は、以下の4つに区分される。
 オーリニャック期……4万年~2万8000年前。エル・カスティージョの赤い円盤、ドイツのホーレンシュタイン・シュターデルのライオンマンは約4万年前。3万7000~3万5000年前の最古のフルート(骨製、象牙製)、フランスのショーヴェ洞窟遺跡、など。
 グラヴェット期……2万8000~2万2000年前。後期旧石器時代の黄金期。石器製作の技術が大幅に進歩。入念な埋葬行為。象徴的な芸術作品が多く生み出される。ロックアートよりもポータブルアートのほうがよく知られる。ドルニ・ヴィエストニッツェ遺跡。気候変動により、グラヴェット期の終期にヨーロッパ北西部から南方への人類大移動が始まった。
 ソリュートレ期……2万2000~1万7000年前。最終氷期最盛期(LGM)。さまざまな集団の密集化により集団間の交流が密になり、氷河期末期の「芸術の爆発」と社会の複雑化が引き起こされた。岩絵遺跡は集会所や儀式の会場となり、この時期の社会の統合に役立った。複雑な線刻画が特徴。
 マドレーヌ期……1万7000~1万1000年前。人類が再びヨーロッパ全域に拡散。現在知られている岩絵遺跡のうち約75%がこの時期のもの。

●アッダウラ洞窟(p171)
 シチリア島ペッレグリーノ山の1万3000~1万2000年前の遺跡。17人の人間が描かれた線刻画。人物の大きさは平均すると20cm程度。写実的で躍動感にあふれている。
 チュニジアと200km。北アフリカの影響を受けているかもしれない。

●ゲシュヴィント領域(p198)
 脳の領域。頭頂葉にある。側頭葉のウェルニッケ野の近くにある。
 文字言語であれ音声言語であれ、頭に入ってきた言葉の理解とふるい分けを司る。

●文字の定義(p206)
〔 文字体系を定義する方法はいろいろあるが、最も基本的なところでいうと、「耐久性のある面に書かれた、視覚的で慣習化された記号を利用する、相互コミュニケーションのシステム」である。〕

●トランス状態(p273)
 最近の神経心理学研究によると、トランス状態にあるシャーマンのように「意識変容状態」にある人には、一定の抽象図形が見える。
 網目、ジグザグ、点、渦巻き、懸垂曲線(紐の両端を持って垂らしたときにできる曲線)などの幾何学形状をとり、光り輝き、点滅し、移動し、回転し、拡大するパターンとして認識される。
 トランス状態に陥ると眼圧が高くなり、網膜内の細胞が発火して幾何学的な模様が見える。どんな文化的背景を持っている人でも同様。

(2017/4/17)KG

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文明の海洋史観
 [歴史・地理・民俗]

文明の海洋史観 (中公文庫)

川勝平太/著
出版社名:中央公論新社(中公文庫 か58-2)
出版年月:2016年11月
ISBNコード:978-4-12-206321-1
税込価格:994円
頁数・縦:356p・16cm


 1997年に中公叢書の1冊として刊行された同名書の文庫版。加筆はなく、「文庫版へのあとがき」にて刊行後の状況などを解説。

【目次】
序 新しい歴史像を求めて
起之章 「鎖国」と近代世界システム
承之章 歴史観について
転之章 文明の海洋史観
結之章 二十一世紀日本の国土構想―西太平洋の「豊饒の半月弧」に浮かぶ“庭園の島(Garden Island)”
跋 新しい生き方を求めて

【著者】
川勝 平太 (カワカツ ヘイタ)
 昭和23(1948)年、京都生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程修了。昭和60(1985)年、オックスフォード大学から博士号取得。早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター教授、静岡文化芸術大学学長をへて、平成21(2009)年より静岡県知事。平成8年『富国有徳論』でアジア太平洋賞(特別賞)、平成10年『文明の海洋史観』で読売論壇賞を受賞。

【抜書】
●勤勉革命(p18)
 近代世界システム=産業革命……資源消費型、資本集約型。
 近世江戸社会=勤勉革命……資源節約型、労働集約型。

●知恵蔵(p21)
 〔世界大の諸問題に大国日本は無関心を装える立場にはない。問題解決に貢献しなければならない。そのために迂遠のようだが、近世江戸社会をグローバルな観点から見直すことに、鍵があるように思われる。気づかれていないが、近世江戸社会の知恵蔵はまだ半開きである。グローバルな観点からその知恵蔵を開けるときがきたように思われる。〕

●醤油(p39)
 日本は、醤油のお陰で、東南アジアの香辛料に頼らずに済んだ。世界のほとんどの地域の料理には、香辛料が必要。
 醤油は、鎌倉時代に日本で独自に発明された。禅僧が中国からもたらした径山(金山)寺味噌製造過程で出る溜(たまり)を改良。室町時代以降に広く普及する。

●14世紀の危機(p49)
 ウォーラーステイン『近代世界システム』。ヨーロッパ世界経済は1450~1640年頃に大西洋を囲む大陸で中核、半辺境、辺境の三重構造をもって成立する。その原因は、14世紀のヨーロッパ全域に起きた「危機」である。
 14世紀の危機……技術進歩のない封建制の元での土地の疲弊、戦争の勃発、14世紀半ばからヨーロッパ全土を間欠的に襲った疫病。
 14~15世紀、ユーラシア大陸は寒冷な気候だった。
 疫病説……マクニール。ヨーロッパの人口の三分の一が失われた。信心深き者も神に仕える者も無差別に襲った疫病は、中世の権威であった宗教に対する懐疑を生み、その原因を求める中から近代の科学精神の土台が作り出された。また、薬として利用されていた胡椒や香辛料を求めて地理上の拡大がもたらされた。

●イスラムの湖水(p182)
 アンリ・ピレンヌ(1862-1935)、ベルギーの歴史家。「マホメットとシャルルマーニュ」(佐々木克巳編訳『古代から中世へ』創文社歴史学叢書、1975年)。
 ヨーロッパ古代と中世との画期は、北方の蛮族によるローマ文明の破壊ではなく、南方から襲ったイスラム勢力の外圧である。地中海は、古代にあっては「ローマの湖」だったが、中世には「イスラムの湖水」になり、ヨーロッパは閉め出された。
 シャルルマーニュ率いるキリスト教軍がツール・ポアチエの戦い(733年)でイスラム軍を破り、両者はピレネー山脈を挟んで対峙することになった。ヨーロッパは、陸地に閉じ込められることになり、文化的統一体としての形を整えた。それが中世。「イスラームなくしては、疑いもなくフランク帝国は存在しなかっただろうし、マホメットなくしては、シャルルマーニュは考えることができないであろう」(ピレンヌ)。
 フランク帝国は9世紀から11世紀まで封鎖状態に置かれた内陸国家だったので、必然的に土地が唯一の富の源泉となる新しい経済秩序すなわち封建制を生み出さざるを得なかった。

●倭寇の時代(p195)
 14~16世紀の300年間は、倭寇の時代。元寇の失敗で、中国はシナ海の制海権を失い、日本が海洋進出する。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵の失敗により、海洋志向が終焉。
 関ケ原の合戦(1600年)により、海洋志向の西軍が陸地志向の東軍に敗れる。⇒ 鎖国、海禁へ

●港市システム(p211)
 15~16世紀の東南アジア海域は、アラブ・イスラム文明、ヒンズー文明、中華文明等から多数の商人がそれぞれの文明の諸物産を持って訪れ、「商業の時代」を現出した。
 東南アジアの海洋ネットワークは「港市(port of trade)」システムと呼ばれる自由な交易システム。
 18世紀後半から東南アジアに進出したイギリス商人(カントリー・トレイダー)は、港市システムに倣い、本国政府に向かって自由貿易を主張、東インド会社の貿易独占に反対して、ついに解散に追いやった。彼らはイギリスの自由貿易の担い手になる。ジャーディン・マセソン、スワイヤーなど。
 自由貿易の原型は東南アジア。

●太平洋=多島海(p223)
〔 西太平洋は、日本のほか、フィリピンやインドネシアなど、世界で最も多くの島からなる世界である。それはまさに島的世界である。島は海を存在の条件としており、さまざまな陸地世界とさまざまな海域世界を併せ持つ世界として太平洋は「多島海」と言えるだろう。アメリカも中国も、ますます自己完結できなくなり、相互依存のネットワークのなかに組み込まれ、太平洋全体が多島海的世界として形成される可能性が高い。〕

●無主(p225)
〔 情報革命は近代のパラダイム転換を生むものと予想される。まず、私的所有権が富国の基礎であった「近代」が終わる可能性がある。情報は分けても減らず、分けると増えつつ共有される。情報は個人の排他的な所有には適さない。情報は共有を志向する。情報に関わる権利・義務関係や私的所有権の脈絡で「知的所有権」として議論されているが、情報の帰属は所有権として処理するのはなじまない。現在進行中の情報化の波は近代のパラダイムを支えてきた私的所有権の根幹をゆるがす可能性をはらんでいる。なぜなら、情報や知識は譲渡によってはなくならないし、不動産や動産(物)のような形がないので、移動の事実を確定しがたいからである。また、新しい情報の帰属権が誰にあるかを決定するのも、情報の所有権の侵害を防止したり確認するのも、容易ではない。情報はより多くの人に所有(共有)される運動をはらんでいる。いいかえれば、誰の排他的所有にもならないことを本質とする情報は、無主であることを求める。それは海洋のもっている性質に近い。そのひろがりはグローバル(地球大)である。地球大に広がりうるものは、すべての者のものであるとともに、誰のものでもない。高度情報化によって社会内部、社会間のネットワークの密度が濃くなることが、陸に根を張ることによってある種の排他的性格をもっている陸地史観の歴史像をなしくずしにしていくであろう。文明の海洋史観の試みはこのような地球時代的状況と無縁ではない。〕

●『東西文明之調和』(p232)
 大隈重信は、晩年、「東西文明の調和」をとなえ、それを実践するために1908年に大日本文明協会を創設し、数百巻の文明叢書を刊行した。
 〔佐藤能丸『近代日本と早稲田大学』(一九九二年 早稲田大学出版部)によれば、明治初期の明六社、自由民権期の共存同衆の活動の比ではなく、世界文明の発展に寄与しうる国民を育成しようとした国民的文化運動であった。〕
大隈重信『東西文明之調和』1922年。大隈没年の出版。おもにギリシャ・ローマ文明に対し、東洋古代の仏教・儒教を意識。東洋文明は精神文明として自覚されている。
 脱亜入欧の福沢諭吉とは対照的。

●敗戦(p269)
 日本は、戦争で負けた相手国のシステムを受容し、相手から離脱して自立するという過程を繰り返してきた。
 ① 白村江の海戦で唐に敗れ、「倭国」が滅び、唐の政治システムを取り入れて「日本」という国号を定めた。天皇の称号を作り、都城制、律令、正史という唐の政治システムの三本柱を入れた。
 ② 秀吉が日明戦争で敗れると、明の経済システムを入れて、中国に勝る経済社会を作り上げた。
 ③ 薩英戦争、下関戦争で敗れると、西欧の軍事システムを取り入れた。海軍はイギリス流、陸軍はフランス流→ドイツ流。普仏戦争でフランスが敗れたことにより転換。
 ④ 第二次世界大戦後は、アメリカの生活文化、民主主義を取り入れた。

(2017/4/15)KG

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洞窟ばか すきあらば、前人未踏の洞窟探検
 [文芸]

洞窟ばか

出版社名:扶桑社
吉田勝次/著
出版年月:2017年1月
ISBNコード:978-4-594-07625-2
税込価格:1,512円
頁数・縦:239p、図版16p・19cm


 普通の旅行ではなく、なぜ、洞窟なのか? 「未知の場所への欲望がまずありきで、その欲望を実現できる場所が洞窟なのである。洞窟は、『究極の旅』のひとつというわけだ」。
 つまり、「洞窟が好き」なのではなく、「未知なる場所の探検が好き」ということらしい。
 これまでに潜った洞窟は、国内外1,000超(正確に数えたことはないらしいが……)。洞窟病重症患者の「洞窟ばか」が、洞窟愛を縦横に語る1冊である。

【目次】
第1章 洞窟病、重症化する
 なぜ洞窟を探検するのか?
 いきなり冬山で登山デビュー―洞窟以前の紆余曲折
  ほか
第2章 計画性はゼロ?出たトコ勝負で突っ走る!
 “危機一髪ばなし”にはこと欠かない
 教えてほしけりゃ、俺から引き出せ!異色のガイド講習
  ほか
第3章 いかにして洞窟を探検するか?―吉田流洞窟探検術
 動きたいときに動き、休みたいときに休む!
 悩ましい「装備」と「寝場所」の問題
  ほか
第4章 洞窟探検の愉快な仲間たち
 「JET」のきっかけは英会話学校!?
 唯一無二の個性派揃いのガイド集団「CiaO!」
  ほか
第5章 オレは生涯、洞窟探検家
 「冒険」と「探検」は似て非なるもの
 洞窟からすべてを与えられた
  ほか

【著者】
吉田 勝次 (ヨシダ カツジ)
 1966年、大阪府生まれ。洞窟探検家。(有)勝建代表取締役、(社)日本ケイビング連盟会長。洞窟のプロガイドとして、テレビ番組での洞窟撮影、学術調査、研究機関からのサンプリング依頼、洞窟ガイド育成など、洞窟に関わることならすべて請け負う。洞窟をガイドする事業「地球探検社」、洞窟探検チーム「JET」、洞窟探検プロガイドチーム「CiaO!」主宰。

【抜書】
●ソンドン洞窟(p99)
 ベトナムにある世界最大級の洞窟。1990年代初頭に地元民によって発見され、2009年にイギリスの調査隊が本格的な調査を行う。
 もっとも広いところで100~180m、天井の高さは最大240m。40階建てのビルがすっぽり入る。そんな空間が8kmくらい続く。
 洞窟の入り口は4つ、そのうち二つが陥没ドリーネ。その巨大な穴の底はジャングルになっており、サルまで住み着いている。

(2017/4/7)KG

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忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち
 [歴史・地理・民俗]

忍者の末裔 江戸城に勤めた伊賀者たち

高尾善希/著
出版社名:KADOKAWA
出版年月:2017年1月
ISBNコード:978-4-04-400208-4
税込価格:1,836円
頁数・縦:315p・19cm


 「伊賀者」松下家に江戸時代より代々伝わる古文書をもとに、江戸の下級武士「御家人」の生活をたどる。
 資料の大部分は、松下家5代目の菊蔵(善左衛門)によるもの。明屋敷番、西之丸山里番、西之丸御広敷御用部屋書役、本丸御広敷御用部屋書役、御簾中(徳川家治正室五十宮倫子〈いそのみやともこ〉)御侍、御台所(五十宮倫子)御広敷添番などを務めた。真面目で筆まめな人であったようである。彼のお陰で、松下家は伊賀者(羽織袴格)から昇進して常裃格へとなった。しかし、家禄は20俵2斗6升2合5勺二人半扶持のままであった。

【目次】
第1章 伊賀者とは何か
第2章 松下家、草創の時代
第3章 谷の中の伊賀者たち
第4章 最初の養子、松下伊太夫
第5章 伊賀者から大奥の事務官へ
第6章 伊賀者からの離脱

【著者】
高尾 善希 (タカオ ヨシキ)
 1974年2月、千葉県千葉市生まれ。立正大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導修了満期退学。博士(文学)。元東京都公文書館史料編さん係専門員(専務的非常勤職員)。元武蔵野市立武蔵野ふるさと歴史館学芸員(嘱託)。現在、立正大学文学部史学科非常勤講師。そのほか、首都圏各地で歴史講座・古文書講座の講師を務める。専門は徳川時代史。

【抜書】
●紀州伊賀者(p24)
〔 七代将軍徳川家継没後、紀州藩主であった八代将軍徳川吉宗が徳川将軍家を継承したおり、吉宗は紀州藩士のいくらかを幕臣として召し抱えた。その中に伊賀者に編入された者たちもいた。彼らは伊賀国出身の家系をもたない者であり、れっきとした紀州人である。伊賀者は役職名であるから、紀州人が伊賀者になったとしても差し支えないのである。このいわゆる「紀州系伊賀者」は、やがて分派して御庭番となり、幕府の諜報活動に従事するようになった。〕深井雅海『江戸城御庭番 徳川将軍の耳と目』中公新書、1992年。

●御新造様(p29)
 御目見以上(大名、旗本)……当主=殿様、その妻=奥様。召使やその他の下の身分の者からの呼称。
 御目見以下(御家人)、陪臣、浪人……当主=旦那様、その妻=御新造様。

●伊賀国(p41)
〔 そもそも伊賀国・近江国甲賀郡は、地侍層がひしめいて存在する地域であり、彼らは忍者として、その地域の中で闘争や、他国への軍事的な出稼ぎによって活動していた。伊賀者・甲賀者は時に互いに戦うことはあったものの、交誼を結ぶことが多く、通婚関係もあった。
 伊賀国は中世城郭が六一九も確認されており、分布密度は全国一であるという(近江甲賀群も同様の地域である)。伊賀国はどの大名領にも属さない、独立性の高い地域として知られ、「惣」という地侍層による自治運営がなされていた。〕

(2017/4/5)KG

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